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大学で哲学を学んだ広告代理店マンが感じた、 社会人生活に意外と哲学が役に立つ5つの理由

はじめまして。
かしししと申します。

大学3年生の時、父親に哲学科に進学すると意気揚々と報告すると、
「そんなの勉強して何になるんだ!」と激怒されました。

社会人、配属初日に上司に、「哲学を専攻していました!」とフレッシュに伝えると、
「心理学とかはわかるが、哲学が広告にどう役に立つのか説明してくれ」と言われました。
(それが僕の社会人初プレゼンになりました。)

哲学の印象って、世間的にはそんな感じなのだと思います。

でも、広告代理店という一見華やかで、陰鬱とした哲学とは一見真逆の業界に就職して
丸5年がたった今、意外と「大学の時勉強した哲学って、意外と社会人でも役に立つな」と感じることが増えるようになってきました。
新入生の皆さんが、大学に入学し、どの授業をとろうか迷っているであろうタイミングだからこそ、きっとあまり興味が無いであろう哲学という学問に、ほんの1ミリでも興味を持ってもらえればと思い、この記事を書いてみました。

「哲学って役に立つんですか?」
そんな声を浴び続けてきた自分なりに、哲学が社会人生活で役に立つ5つの理由をまとめました。

1、「誰の意見か」を分けて考える癖がつく

6、7年ほど前の大学の哲学ゼミ時代の記憶を思い起こしてみると、
1冊の哲学の古典を、週ごとに該当するページと担当を決めて、回し読みをするようなことをしていました。
回し読みをするときには、教授や先輩も入ってみんなで議論をするのですが、
教授に口酸っぱく、「それはその本に書いてあることですか、それともあなたの考えですか?」と言われました。
つまり著者の意見と、自分の意見をしっかり分けて議論に参加しろ、ということ。


例えば、
・カントの純粋理性批判に書いてあることは、これです。
・カントの他の文献に書いてあることはこれです。
・その2つの著書の関連性を教授はこう解釈しています。
・その解釈に対して、僕はこう考えます。
みたいなことをひたすら議論の中で求められるわけです。
つまり、「その意見はいつ時点でだれが発信したものか」をひたすら整理し続ける能力が議論に参加する前提となっていたのです。
1年や、2年そんなことを続けると、これは誰それが言ったことで、あれは別の人が言ったことで、みたいなことが当たり前のように習慣化されます。

すでに社会人として働いてらっしゃる方は、お分かりかと思いますが、
ビジネスのフィールドでは、多くのプレイヤーが協力しあって、お金を稼いでいます。

例えば、コンビニに並んでいるペットボトル一つとっても、
ペットボトルの容器を作る人、飲料を実際に作る人、どういう飲料を作るか企画する人、
各コンビニにおいてもらうよう営業する人、生産された飲料をコンビニに運ぶ人、
コンビニのどこに置くかを決める人、、、など
多くの人が、自分たちの立場・スタンスで仕事をしています。
その様々なスタンスの人々に対して、「その意見はいつ時点でだれが発信したものか」を習慣的に整理することで、各人の思いをくみ取りながら、うまく丸く調整し、することができる。
哲学というと、一人で没入して考えるイメージがあると思いますが、意外とみんなのことをくみ取る部分で威力を発揮するのだと思います。

2、「言葉の定義」に敏感になる


あとよくゼミの中であったのは、
「主観という言葉は哲学者Aと哲学者Bで意味が違うから、、、、」
みたいなこと。
普通に日本語で考えたら、どっちも同じ「主観」だし、意味が分からないのですが、
まあ、そういうことらしいと受け入れて、教授の話を聞いてみると、
確かに、ニュアンスが違うし、何なら全く違う概念なような気もする。
そうなってくると、同じ言葉でも、意味が違うことを常に疑ってかかるようになります。

社会人の打ち合わせでも、よくKPIだの、CRMだの、なんだのと横文字が飛び交います。
これも社会人あるあるなのですが、何となく横文字を使っていて、全然話がかみ合わないパターン。
でも何となく、お互いわかった気になって、打ち合わせは終了するのですが、
何も決まらず、何も前に進んでいなかったりする。
それはお互いの言葉の意味・定義が微妙に違うから、かみ合わず前に進まないわけで、
哲学経験者はきっとそういうところにすごく敏感になります。
「部長のおっしゃるKPIと○○さんのおっしゃるKPIって微妙に違ったりします…?」
みたいなことを打ち合わせで気づいて、言えるのはめちゃくちゃ大事ですし、ありがたがられる部分です。
ビジネスの会話での齟齬は、意外と横文字だけでなくて、
「計画」とか「運用」とかそういう、普通に使う日本語でも人によって結構齟齬があったりするので、普段から言葉の意味を疑う癖をつけるのは社会人生活で、ものすごく役に立ちます。

3、「疑うこと・信じないこと」から考え始めるようになる


哲学の授業を受けていると、普通のことが普通でなく感じるようになってきます。
なぜなら、「自分は存在しているかわからないから」とか「目の前のコップに水が入っているのは、水があるということなのか」とか「脳だけあれば、体はあるものだと考えることができる」とか基本的によくわからない話をしています。
自分も2年間しか学んでいないので、偉そうなことは言えないのですが、
哲学の基本的なスタンスが、「本当にそうなのか」と疑うことから始めることなのだと思います。


疑う癖は、ビジネスでも役に立つスキルだと思います。
それは疑うことがWhyを考えることと表裏一体であり、whyを考えることは分析の一手目に当たるからです。
この商品はこのままでいいのか、と疑う。
このままでよくないのはなぜか、と考える。
その理由は○○だと推測される。
のような一連の流れが、新しい商品を生むヒントになるかもしれない。


もっと身近な例でいうと、上司に書類のコピーを10部頼まれたとして、
本当に10部でいいのか?10部といっているのはなぜか?足りないと危ないから15部コピーしとくか、みたいなちょっとした場面でも使えたりもします。


4、「相手を想像・妄想する」ことが習慣になる


先ほど、「誰の意見か」をめちゃくちゃ整理させられる話を書きましたが、
哲学のゼミでは、次のようにも言われました。
「読書は思想家との対話である。」
確かに、大学の時に読んだ本を今読み返してみると、全然違う印象だったりします。
それは、大学時代と今とで、思想家との対話の言葉やスタンスが変わったからだと考えるとすっと腑に落ちます。
ただ、一つだけ注意しなければならないのは、この対話相手は、
とっくの昔にこの世を去っていて、質問をしても相手から何も返事がない、ということです。

なので、こちらはひたすら、相手が言いたかったこと、伝えたかったことをくみ取らないといけない。
その思想家が他に書いた本や、当時の時代情勢などを鑑みながら、
こちらが決めつけるのではなく、相手の意図をくみ取る。
その訓練をひたすらやらされます。

社会人と大学までとで大きく違うのは、
答えを教科書が決めるのではなく、どこかの他人が決めるようになることだと思います。
ゲームの審判が変わるイメージです。
社会人になると、
発注を決めるのは、取引先の会社の人になるし、
商品が売れるかを決めるのは、大勢の買ってくれる人になるし、
評価を決めるのは、自社の上司になる。

さらに、厄介なのは、教科書に書かれている答えは結構はっきりしているが、他人が決める答えは、決める本人すらもそれが答えかどうかわかっていないということ。

ひたすら声なき相手の意図をくみ取る、寄り添うことをしてきた哲学経験者は、古典の著書から、実在の人物にやじるしの向きを変えてみれば、
きっと、取引先の人はこう考えていて、買ってくれる人はこう思っていて、
上司はこう思っていて、ということをくみ取ることができるはずだと思います。

それは哲学が人間を観察し、人間を考え続ける学問だからだとも思います。
(ほかの学問も全部そうですが。)

5、「わからない」ことを受け入れられるようになる


哲学はわからないこと、疑うことを前提として、議論が進んでいくので、
わからないことを自然と受け入れられるようになっていくと思います。
というより、普段議論している内容自体が、これが存在してるかどうか、みたいなことなので、いろいろと疑い続けた結果、「わからない」ことが普通になっていきます。
ただ、ここまで書いてきたように、「わからない」ことを前提として受け入れたうえで、
相手のことをわかってみようとする。それが哲学の基本的な姿勢な気がします。

でも、その「わからない」を素直に受け止めることって、社会人だと結構大事だと思います。
社会人の生活には、プレッシャーやストレスがあふれています。
上司に雑にこれをやっといて、と言われる、
契約書を明日までに経理に回しといて、と言われる。
いろいろなプレッシャーの中で、いったん「わからない」ことを認めてみる。
それだけで結構気が楽になるような気もします。


さらに、「わからない」を一回受け止めたうえで、「わかってみようとする」スタンスは、
「わからない」からこそ質問してみる、という質問力にもつながっていきます。

上司に「さっきの指示はこういう意味ですか?」と聞いてみる。
経理の人に、「この処理ってどうすればいいですか?」と聞いてみる。

いったんわからないことを認めるからこそ、素直に質問ができるようになっていくと思います。

結局、哲学って役に立つの?


正直、大学で勉強した哲学の知識は、社会人になって使っていないし、
ほとんど忘れています。
(この記事を書くのに、大学のノートを引っ張りだしてきました。)
ただ、哲学を学ぶことを通じて身についた、考え方の型・スタンスは圧倒的に社会人生活で役に立っていると思います。(5つのポイントも型・スタンスだと思います。)

哲学って、一生で一回も触れない人も少なくないと思います。
でも、それは、ちょっともったいないなと個人的には思います。
それは、哲学という「極端にわけのわからないこと」に触れることで、
経験や思考の幅ができるから。
そして、その経験は5つのポイントに示したように様々な実務に転用できるからです。

この記事を読んでいただいた方で、少しでも哲学に興味を持ってもらい、
新入生の方であれば、4月からの授業の1コマに検討いただけたら幸いです。
(無事、単位が取れることを陰ながら祈っております。)

〈この記事は GO FIGHT CLUB の課題として書いたものです〉



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