【移り気な私だって天文学者になりたかった】
親戚に天文学者がいた。
本を何冊も書いていた。
知ったのは、私が四六時中、宇宙のことを話していた頃だから、小学校5、6年生だったと思う。
遊びに来ていた親戚の叔母に、得意気に宇宙のことを話していると、さらりと叔母は祖父は天文学者だったと言った。
叔母に悪気はなかったのだろう。
事実を伝えてくれただけだ。
ただ、子どもの私は冷水を浴びせられた気分になった。おどおどした。きょどったのだ。
その気持ちを悟られまいと、どんな本を書いてるの?どこにいるの?こんど会ってみたい!、などと叔母に矢継ぎ早に質問したのを覚えている。
当時は可愛げもなく、講談社のブルーバックスに収まっている宇宙に関する本を片っ端から読んでいたリケジョであり、宙ガールだったのだ。
いやリケジョだなんておこがましい、意味もわからずただ字面を追っていただけだったのだろう。
その証拠に今は何も覚えていない。
当時は宇宙に関する専門書を私は読んでいるんだという意味のないプライドだけで生きていたのだろう。
毎晩、窓から半身を乗り出し夜空を見上げていた。
太陽系の模型を粘土で作り天井からぶら下げていた。
親戚の伯父からは、将来は天文台を作ってあげようと言われ、浮かれていた。
宙ガールとしては鼻が高かった。
しかし、身内に天文学者がいたという事実は、子どもながらに驚愕し、つまらないプライドで凝り固まっていた私をいとも簡単に粉砕した。
天文学者は今でも私にとってはドキドキするパワーワードなのだ。
ただ、眼鏡がかかせない生活になってからは、徐々に距離が離れていった。
円地文子の随筆『眼鏡の悲しみ』のごとく、私は眼鏡を理由に早々と天文学者への道を諦めたのだ。逃げたのかも知れない。
でも、こうして文章に出来るってことは、あの頃の傷も癒えたということなのかも知れない。
あれから私の興味は写真になり、歴史になった。
でも、今でも星空を眺めるのは好きだ。
メガネは必須だけど。
...っていうお話。
撮影場所:実家?
Photo by かしるい
絶賛、勝手に潮来好き好きプロジェクト実施中!
20180918
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