日本史5 雑談していい?聖徳太子と妹子で。
ちょっと、雑談いいですか。
僕って、今までの人生であだ名をつけられたことないんですよね。
ずっと苗字で呼ばれてきたんですよ。
確かに、呼びやすい苗字なんですよ。
なんか、あだ名って、
いいじゃん。
なんか青春っぽいっていうかさ。
エモいじゃん。
ずっと憧れてたんだよね。
来世はベッキーと呼ばれたい!で同じみ。
どうも僕です。
蘇我馬子って絶対、馬関連のあだ名付けられてたと思うんだよね。
もしくは音読みとか。
「おーい、バコ、野球しようぜ」みたいな。
もうバカの一歩手前のあだ名よ、これ。
そんなバコも、爆裂な権力握って、推古天皇と聖徳太子と、やりたい放題しまくったんだけど。
聖徳太子いえば、あれだよね。
ほら。あれだよ、あれ。
そう、冠位十二階と憲法十七条。
冠位十二階ってのは、つまり、
「これからは、お前の親父がどんだけ凄かったとか関係ねーから」
「お前の能力で全部評価するから」って感じにしたってことなんだよ。
それまでは、一族で役割って決まってたのよ。
お前の家系は、ずっと前のじいさんから、会計係だから、お前も会計係じゃい!ってこと。
いくら、カーテン開け閉め係やりたくても、じいさんが会計係だったから、自分も会計係になっちゃうって感じ。
それをガラって変えて、
カーテン開けるの上手いヤツが、カーテン開け閉め係になれるようにした。
それが、冠位十二階なのさ。
そして、憲法十七条ってのは、
「天皇めっちゃ偉いんだから、敬えよ、おまんら」ってこと。
その上で、
「官僚は、ちゃんと働けよ」ってことと、
「みんな仲良くしようね」ってこと言ってるんだよね。
要は、「これから、日本人は、こう生きていこう」みたいな、指針的なものだね。
きっと、当時の若者は「やかましいわ」って思ったんじゃないかな。
そんでさ、推古天皇のときって、遣隋使ってのがいたんだけど。
これは、当時世界でもトップクラスの先進国だった中国に、留学して、色々勉強して来いよって言われた奴らなんだよね。
この遣隋使の中に、あの、男で有名な小野妹子がいんだよ。
この小野妹子がねー、中国の、煬帝っていう、めっちゃ怖い皇帝に手紙届けんだけど、
煬帝が、その手紙読んで、
「は?日本、おれのこと舐めてるよね?」って怒り狂うんだよ。
「誰が、太陽が沈む国の王じゃい!」って感じで。
それぐらいでそんな怒んなよって、妹子は思っただろうね。
「ちょwそんなで怒るって、お前はマナー講師かーいww」って
ツッコミいれたそうです、知らんけど。
そして、「やべー、ちょー怖ぇんすけど」って言って、妹子は帰国する、
という、そういう流れ。
なんか、妹子が、チャラいヘタレ野郎みたいなってしまったけど、
全国の小野さんの期待を一手に背負った妹子は、きっと偉大な小野だったに違いないと、俺はそう思うんだ。
(´_ゝ`)