夏休みの自由研究(五行歌日記)
水源純です。連日失礼します。
北九州歌会の翌日のことになります。
九州国立博物館に行く
ひとの行った美術館や博物館の話なんて、さして面白くはないと思う。だって、そういう場所は自分で行って、自分の目で見てこそだもの。とはいえ、私のいまのこの感動のような心の中の液体はどうしたらいい。どうにか、カタチにしておきたい。
というわけで、お付き合いいただければ嬉しいです。
福岡へは何度も行っているくせに、ろくに観光をしたことがなかった。太宰府にすら行ってなかったのである。今回こそはと太宰府へでかけた。お参りをし、一通り歩くと暑さに危機感をおぼえる。
そんなときに「九州国立博物館」のポスターが目に入った。
特別展「憧れの東洋陶磁」にて
正直なところ、私はこれまで東洋陶磁にあこがれた覚えはないが、行って見てみようと思った。たしかにポスターの陶磁器はうつくしかったし、実際に目で見てみたかった。
青磁色
展示は、私の脳には入りきらない情報量で、眩暈がするほど。たとえば青磁といっても様々な色の出方があって、これと示せないのだけど、どれもなんともいえない味わい。ああ、この色はどこかで再現できるのだろうかなんて考えたりしていた。
胸の内にだけしまっておこうと思って、写真は撮っていない。
油滴天目
美術館などを歩いても、何度か順路を遡ることがある。その作品に引き戻されるような感覚だ。今回は、出口近くにあった「油滴天目」のふたつ。きらびやか過ぎて、私にはまぶしすぎた。まさかこの類の器に、自分が惹かれるとはまったく思っていなかった。
写真にしてしまうとなんてことはないのだが(腕のせいもある)、結局、
三度ほどここの前に立っていた。
「文化交流展示室」にて
特別展の陶磁器で胸がいっぱいになったところで、さらに上階へ行き「文化交流展示室」へ。
ここがまた思った以上のボリュウム。何しろこのフロアで何千年旅をさせる気だという話である。そういえば、太宰府からここへ来るまでにタイムマシンのような歩く歩道を通ったっけ。
ローマンガラス
小さな小瓶のようなものが並んでいるところがあった。高さ4-5センチほどのもの。銀化したガラスをまじまじと見たこともなかったので、その風合いに見とれていた。改めてキャプションを見ると「1-2世紀」と書かれている。ローマンガラスといって、紀元前からローマ帝国時代に作られていたガラスたちだった。
ワヤン
途中、さすがに頭も心も足も疲れて、とある展示室内に置かれたベンチに座った。そこはインドネシアの「ワヤン」という影絵のための人形たちが飾られているスペースで、その精緻さと色合いの鮮やかさったら。素材は水牛の革や木の皮らしい。ぼんやり見ていると動き出しそうな気もして。
夏休みの自由研究
夏休みの自由研究なのか、ノートみたいなものを片手にした小学生くらいの親子連れもけっこういた。子供が見れば子供の感じ方もあるだろう。彼らの自由研究はどんなふうになるのだろう。
思えば子供のころは、この自由研究というのが苦手だった。「自由」と言われても途方にくれるばかりの、ほんとうに不自由な子供だった。
今なら自由を楽しめるのに。
そういう意味で、私は大人になってほっとしている。
さいごまでお読みいただき、ありがとうございました。