長男の生きづらさ
長男ヒストリー
2010年10月5日誕生
妊娠経過、出産に異常なく誕生
2歳差の姉がいる
3歳差の弟がいる
一歳半で発達障害の疑いありで3歳まで経過観察となる。その間保健センターの療育教室と入園予定幼稚園の未就園クラスに並行して通っていた。
体の発達は問題なく成長したが、やはり3歳になる頃には言語が1年遅れていると保健センターで指摘され、ことばの教室へ通った。
当時の様子はママから離れられない
自発的な言葉はほぼ無いという状態。
ことばの教室へ行き始めた頃は、場所に戸惑ったりして楽しめていなかったが、次第に先生に慣れ楽しめるようになった。ことばの教室卒業後は民間の療育へ通う事となった。
なぜ民間の療育なのかというと当時長女が幼稚園へ行っていたが多人数の幼稚園で長男にはおすすめしないと保健センターで言われ、小規模の幼稚園を紹介されそこへ年中から通わせる事を決断し、長女とは違う幼稚園へ通うため長女は年長で長男は年少にあたる年は民間の療育へお世話になっていた。
母は息子の言いたい事は分かってしまうため、なかなか日々早く気付きすぎないように気をつけて言語発達に努めた。
当時次男が1歳未満でおんぶしながらことばの教室と未就園クラスへ参加してかなり負担は大きく私の心も疲弊していた。
小規模幼稚園へ年中から入園して手厚い保育で2年を過ごし、言葉の力が次第について日々困る事もなく卒園を迎えた。キャラクター的にマイペースな感じではあったが、小学校は普通学級へ入学する事となった。
1年生の時
マイペースが原因か先生の指導は厳しかったが、本人は理解できる厳しさで信頼できる先生の元でご指導して頂いていた。
2年生の時に事件は起きる
当初から評判が良くない先生だったが、先入観は良くないと思う私なので、息子から聞いた先生の言動について先生も人だからね。良いところを探そうねーとやり過ごしたきた。
しかし、ある日それにも限界がやってきた!
先生の理不尽さを理解できなかった息子が怯え耐えられなくなりもう学校へは行きたくない大泣きして訴えてきた時に私は事の重大さに気づく事になった。
長男は理由を話したがらず時間をかけて話を聞いてみたところ沢山のひどい言動の数々が出てきて流石に学校へ相談しに行くこととなった。
教頭先生と主幹の先生に夫婦で訪問し話を聞いてもらって、酷さを理解して頂き平謝りに謝られ息子が自分で決めた不登校が始まった。
不登校の間は学校へ行かせるよりも大変で生活習慣を崩さないこと、勉強は学校に通ってるのと同じくらいする事を実行するのは本当に大変だった。
この不登校の期間に兼ねてより気になっていた発達の診断基準になるウィスク4という検査をして、やはり彼は生きづらさを感じている事は色々な傾向から読み取る事ができてた。
本人が決めて3年生からは学校へ行くという目標があったので、日々の努力は一緒に頑張れた!
その後当時の担任の先生は退職し再任用で別の学校へ異動となり、学校からご配慮頂き素晴らしい先生が3年生から担任となって今にいたる。
先日冬休み前の個人懇談で最近私が気になっている行動で疑っている病名があるため相談したら、やはり学校でも同じような症状があると聞き、さすがに息子本人が生きづらさを感じ始めているのではないか?今しか出来ない事をしておきたい!という母の思いから担任の先生から教えて頂いた発達障害で有名な病院へお世話になる事を決意しました。これからの話はまだ先になりますがまたnoteしたいと思います。
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