続3)死とNVCの裏側で(般若心経〜東洋哲学)
前回、お盆から秋にかけての豊前中津と私のつながりから中津藩出身の福澤諭吉に興味が出てきた話をさせてもらいました。
ご先祖様と豊前中津のつながりから福沢諭吉の話に至ったのですが、今日は、もう少しだけ家の話に触れさせてもらおうと思います。
家のこと
私の話。福岡生まれで高校を卒業するまで福岡市内で過ごした。
九州の家庭にはよくあるスタイルだったと思いますが、父は教師で厳格。亭主関白な家だったと思う。このことは、私の幼少期の精神形成やメンタルモデル形成にも深く関わったと思うのでいつか触れることができればと思う。
私が高校に通う頃、祖母の体調が悪くなり、高校卒業と同時に家族で祖母の住む久留米市に引っ越す事になった。
年に数回行く祖父母の家は、福岡市内から電車で1時間ほどかかる、西鉄甘木線沿線ののどかで田んぼが広がる田舎町。
電車で行くときには、木造の床のワックスがわりに使われる油の匂いがするあずき色の電車に乗り換えて、椅子の座面が他の電車よりも高い、古くて情緒のある二両の車両に揺られて訪れていた。
駅へ降りると、田んぼしかない炎天下の道を汗をかきながら、母親と弟と歩いたのを思い出す。
幼少の頃にはいなかったのか、ジャンボタニシの毒々しいピンク色の卵が気になり始めたのは、電車の床から油の匂いがなくなった後の小学校高学年になる頃だっただろうか。
南米原産で淡水性の巻き貝のジャンボタニシは、和名をスクミリンゴガイといって、1980年代に食用として日本に輸入されたが、その後放棄されたり、養殖場から逃げ出したりして野生化し、水田の稲を食べる害虫として大きな被害をもたらしている。
毒々しいピンク色と害虫に困っているという農家の事情もあって、恨めしく忌み嫌うものとしてその存在を認めていた。
かくして、ジャンボタニシのいるこの土地に我々家族は引っ越す事になった。
大学入学と同時に一人暮らしを始めた私。ほとんど住むことがなかったこの土地が実家に変わって、大学、社会人、結婚と年を重ねて、帰省する先として違和感がなくなってきたのは子供を連れて帰省するようになってからの話でつい最近のことのように思う。
2024年9月
大分県でリトリートに参加するために久留米市に帰省した時のこと。
知り合いから、ご先祖の供養には般若心経を写経するのが良いと聞いた。
なぜ、仏教のお経である般若心経が良いのかその普遍性が私にはよく理解できなかった。
しかも、うちは浄土真宗の家で般若心経にこれまで縁がなく益々ピンとこなかった。
ただ、その話を聞いたその日、なんとなく父の部屋を探索すると写経用の半紙と手本などのセットが出てきた。生前、父は書を趣味としていて、写経をしていた形跡が見てとれた。
見つけてしまったものだから、その日のうちに初めての写経をしてみた。
初めての写経は思ったより時間がかかり、一仕事となってしまった。
般若心経といえば、色即是空 空即是色で有名なお経だ。大乗仏教の思想である「空」や「般若(智慧)」を説いた経典で276文字の短い経文の中に仏教の教えが込められているという。
般若心経 超訳
大いなる智慧によって悟りの世界にいくための修行の要点のお経です。
般若波羅蜜を修行すると外的世界も内的世界もこの世の全てが「空※」だということがわかります。
※サンスクリット語の「シューニャ(śūnya)」は「空」を意味する形容詞で、「空(から)の」「うつろな」「欠いている」「ない」「寂しい」などの意味があります。また、数学のゼロを意味することもあります。
空とは、縁起や関わりあいで意味が生まれるのであってそれ自体に実体がないことを表しています。
空であることが分かると全ての苦しみや厄災を乗り越えることができます。
悟る前は、物質世界が関係性に他ならないことに気づき、悟ると見えている世界が関係性として見えていて、その関係性が物質世界であることに気づくことができます。
しかし自力で修行をして悟るのは難しいので般若の女神のマントラ(真言)を頼りましょう。般若波羅蜜に頼ると心に欲望や執着がなくなり恐怖が消えます。誤った考え方妄想が消えます。そして悟りに至ります。
”行ったものよ。行ったものよ。向こう側に行った女神よ。
向こう側に完璧に行った女神よ。悟りよ。幸あれ。”
ここで思い出すのは、ティク・ナット・ハン師のインタービーイングの話だ。
仏教瞑想を通して空の概念に至るプロセスを書いた下記の記事もご参考。
なぜ般若心経なのかを普遍的な必然性として理解するには至っていないが、その意味を、できるだけ宗教色を出さずに説明しようとした書籍にも出会うことができた。
天外伺郎さんは元ソニーの役員でCDの規格化や開発、AIBOの開発にも携わった技術者だ。
ソニー時代に「燃える集団」を作りだし、プロジェクトを次々と成功させてきた事が、チクセント・ミハイの言うフロー理論で説明できることを見出し、チームとしてフロー状態をいかに作り出すかを経営塾を通して伝えてきた方だ。
フロー理論については、下の記事もご参考まで。
最近では、心理学を通してコミュニティの形成過程を紐解き、コミュニティの根源的な課題感を提示した「シン・コミュニティ論」は、私の周りでも話題になった。
氏は、心理学、哲学、宗教を横断しながら、精神世界と科学との統合を目指している。その中でも易経や、仏教など東洋哲学の示す世界観に関心を寄せている。
学習する組織や、U理論などでも重要とされる対話(ダイアローグ)の重要性を説いたのは物理学者のデヴィッド・ボームの影響も受けたとの事だ。
デヴィッド・ボームもまた、近代科学と東洋哲学や宗教との架け橋を作ろうとしていた一人だ。
学習する組織のピーター・センゲやU理論のオットー・シャーマーにも東洋哲学の影響が見てとれる。
東洋思想の老師に師事している事にも触れてあったのが、こちらの書籍。
チェンジ・エージェントさんの記事もご参考まで
内面探求において、東洋の叡智が我々に教えてくれることは多い。
その普遍性や他宗教との共通性を模索したい。
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Chat gptでの模索
Ⅰ.般若心経が供養に適しているとされる理由
般若心経が死者の供養に適しているとされる理由には、仏教の教えに基づくものと、宗教観を超えた普遍的な側面の両方が挙げられます。
仏教的な理由
悟りの象徴
般若心経は、仏教の核心的な教えである「空(くう)」の哲学を簡潔に表しています。「空」の概念は、物事の本質的な実態が固定されないことを示し、生死を含むすべての現象を超越する視点を提供します。このため、死者への供養として、執着からの解放や輪廻の断絶を願う行為と深く結びついています。音の響き
仏教では、お経を唱えること自体が祈りの一環とされています。般若心経の音韻やリズムは心を落ち着かせ、供養の場に静寂と神聖さをもたらします。
宗教観を超えた普遍的な理由
シンプルで深遠な内容
般若心経は他の仏教経典と比べても短く、内容も簡潔で明確です。そのため、仏教を深く学んでいない人でも、経文を覚えたり唱えたりしやすい特徴があります。文化的な浸透
特に日本では、仏教文化が深く根付いているため、宗教観を超えて般若心経が「死者への思いを込める行為」として親しまれています。また、仏教徒でない人々にも「伝統的な儀礼」として受け入れられています。精神的な癒し
般若心経の唱和は、供養者自身の心の安定をもたらします。死者への祈りだけでなく、生きている人々が死と向き合い、自らの人生を見つめ直すきっかけにもなるため、宗教を超えた実践としても価値が認識されています。音楽的要素
多くの場合、般若心経は単なる朗読ではなく、旋律を伴った詠唱として唱えられます。このため、宗教的な意味を超えて、聴く人々に安らぎや調和をもたらす効果があります。
まとめ
般若心経が供養に適している理由は、仏教的教義の深さに加えて、その簡潔さ、普遍的な癒しの力、文化的な親しみやすさにあります。宗教観にとらわれず、般若心経が多くの場で選ばれるのは、このような要素が絡み合っているからと言えるでしょう。
Ⅱ.般若心経の普遍性を他宗教に伝える方法
キリスト教徒やイスラム教徒に般若心経の普遍性を伝えるには、仏教の哲学的側面を強調し、具体的な宗教儀礼としてではなく、人間共通の精神的な追求や癒しの方法として説明することが有効です。その際、彼らの宗教に存在する類似した教えや祈りを引き合いに出し、共通点を示すことが重要です。
1. 共通点を強調する
般若心経の中心テーマ
「空」の概念は、物事の本質を深く見つめ、執着からの解放を促すものです。この考え方は、キリスト教やイスラム教における「神の意志にすべてを委ねる」姿勢と親和性があります。キリスト教の「主の祈り」
キリスト教の「主の祈り」は神への信頼と自己を超えた存在への委託を表しています。この祈りと般若心経は、いずれも「自己を超越する視点を得る」という目的を共有しています。イスラム教の「スーラ・アル=ファーティハ」
イスラム教の開章章「スーラ・アル=ファーティハ」も、神への賛美、導き、安寧を願う祈りであり、死者のために捧げる祈りにも用いられます。これは般若心経の「平安を願う」目的と重なります。
2. 具体的な比較
祈りの方法
般若心経は唱和され、音韻やリズムによって心を整えます。
主の祈りや「スーラ・アル=ファーティハ」も詠唱や朗読で心を集中させる点で共通しています。
普遍的な効果
般若心経: 無常を受け入れ、心の平安を得る。
主の祈り: 神の導きに安らぎを見出す。
スーラ・アル=ファーティハ: 神への信頼と感謝を通じて内的安定を得る。
3. 宗教哲学として説明
般若心経を単なる仏教の儀礼ではなく、人間の精神的成長のための哲学的テキストとして紹介します。「空」の概念は、物事を固定的に見ない柔軟な視点を育むものとして説明できます。
4. 文化的・精神的交流の促進
例えば、キリスト教徒やイスラム教徒に般若心経を紹介する際、「これを唱えることではなく、ここに含まれるメッセージや哲学に注目してください」と述べることで、特定の儀式としてではなく精神的な教えとして受け入れられやすくなります。
宗教を超えた普遍性の結論
般若心経、主の祈り、スーラ・アル=ファーティハはいずれも、祈りを通じて人間が抱える苦しみや不安を軽減し、心の平安を目指す点で共通しています。これらの祈りを比較することで、宗教ごとの違いを尊重しつつ、人類共通の精神的ニーズや癒しの追求を伝えることができます。
Ⅲ.ヒンドゥー教との共通点
ヒンドゥー教にも、仏教の般若心経に通じる教義や概念がいくつか存在します。以下にその代表例を示し、般若心経との共通点を説明します。
ヒンドゥー教における類似の教義
「ブラフマン」と「アートマン」
ヒンドゥー教の哲学では、宇宙の根本原理である「ブラフマン」と個々の魂「アートマン」が本質的に同一であると考えられています。この教えは、般若心経における「空」の概念と類似しており、全ての現象が独立した実体を持たず、大いなる一体性に帰するという視点を共有しています。
般若心経との共通点: 「色即是空、空即是色」のように、表面的には個別に見える存在も、根本的には一体であることを説いています。
ヴェーダやウパニシャッドの教え
特に「ウパニシャッド」では、物質的な執着を超越し、真実を見出す瞑想的なアプローチが強調されます。たとえば、有名な「タット・トヴァム・アシ」(それは汝なり)という教えは、宇宙と自己が一体であることを示唆しています。
般若心経との比較: 自己と宇宙の関係性を哲学的に探求する点で、般若心経の悟りを目指す精神と一致しています。
バガヴァッド・ギーター
ヒンドゥー教の重要な経典「バガヴァッド・ギーター」では、執着を捨て、自己を超越した行為を通じて解脱に至る道が説かれています。これも般若心経の「執着を手放し、悟りに達する」教えと通じる部分があります。
般若心経との比較: ギーターの「無私の行動」(ニシュカーマカルマ)は、空の哲学が提唱する「自己の固定的な存在を捨てる」ことと似ています。
ヒンドゥー教の祈りやマントラ
オーム(ॐ)
ヒンドゥー教の最も神聖な音節「オーム」は、宇宙の全てを象徴するもので、瞑想や祈りの中心に置かれます。この単音は、般若心経のように精神を集中させ、調和をもたらす効果を持っています。
般若心経との共通点: 音韻の響きが精神的な浄化や安らぎをもたらします。
ガーヤトリー・マントラ
ヒンドゥー教で広く唱えられる祈りの言葉で、宇宙の光で心を浄化し、智慧を得ることを願います。
般若心経との比較: 智慧を求め、心の平安を目指すという点で共通しています。
まとめ: 比較と普遍性
仏教の般若心経とヒンドゥー教の哲学や祈りは、執着の放棄、宇宙と自己の関係の理解、内的な平和の追求という点で重なります。
これらは文化や宗教を超えた普遍的なテーマであり、人間が共通して持つ精神的な課題に取り組むための道具といえます。
ヒンドゥー教の哲学を背景に持つ人には、「空」を「ブラフマン」や「アートマン」と結びつけて説明することで、般若心経の意義をより深く理解してもらえるでしょう。
Ⅳ.他宗教との「空」に通じる考え方、共通点
「空(くう)」の概念は仏教に特有な哲学として知られていますが、その根底には普遍的なテーマである「存在の本質」や「無常」があり、主要な宗教の教えの中でも類似点を見出すことができます。それぞれの宗教における「空」に通じる考え方や共通点を以下に示します。
1. 仏教
仏教では、「空」はすべての存在が独立した本質を持たず、相互依存的であることを指します(縁起の法則)。
「色即是空、空即是色」という般若心経の一節は、物質世界(色)が実体を持たない(空)一方で、空がすべてを含むことを示しています。
主なポイント: 実体の否定、相互依存、無常の認識。
2. ヒンドゥー教
ヒンドゥー教では、宇宙の根源的な実在を「ブラフマン」と呼びますが、このブラフマンは形を持たず、すべてを包含します。同時に、「マーヤー」(幻影)という概念があり、私たちが目にする現実が一時的で変化するものであると教えます。
ウパニシャッドの教えでは、個々の魂(アートマン)が究極的にブラフマンと一体であるとされています。
主なポイント: 物質世界の幻影性、究極的な実在(ブラフマン)への目覚め。
3. キリスト教
キリスト教には「空」という言葉は直接登場しませんが、「神の創造物のすべてが神に依存して存在する」という考え方があります。たとえば、聖書の中で「地上のものは一時的で、天のものが永遠である」とされる箇所(コリントの信徒への手紙 第二 4:18)が、物質的な執着を超える視点を提供します。
また、神の意志を受け入れ、自らを神に委ねる「自己否定」(Kenosis)の概念は、「自己の執着を捨てる」という仏教の教えに近い部分があります。
主なポイント: 一時的な現実を超越する神の永遠性、自己否定。
4. イスラム教
イスラム教では、すべての存在がアッラーによって創造され、アッラーの意志に従うことが宇宙の秩序の本質です。物質的なものは一時的であり、最終的な目的はアッラーとの一体性に達することです。
スーフィズム(イスラム神秘主義)では、「ファナー(自己の消滅)」の概念があり、個我を超越し、神の本質に溶け込むことが理想とされます。これは、仏教の「空」やヒンドゥー教の「ブラフマン」の教えに近いものがあります。
主なポイント: 物質的な現実の一時性、神の本質への帰依。
5. 共通性
物質世界の無常: 仏教の「空」、ヒンドゥー教の「マーヤー」、キリスト教やイスラム教での「一時的な現実」の認識。
究極的な一体性: 仏教では「空」、ヒンドゥー教では「ブラフマン」、イスラム教のスーフィズムでは「ファナー」、キリスト教では「神との一致」。
執着からの解放: すべての宗教に共通するテーマであり、仏教では悟り、キリスト教では自己否定、イスラム教では神への完全な委ね、ヒンドゥー教では解脱に至る道とされています。
結論
これらの宗教は異なる用語や表現を用いながらも、物質的な執着を超え、宇宙の根本的な本質に至るというテーマで共通しています。「空」の概念は、こうした普遍的なテーマの一部として、他の宗教とも深い対話が可能な哲学的基盤を提供しています。
Ⅴ.U理論や学習する組織、インテグラル理論
「空(くう)」の存在と、U理論、学習する組織、インテグラル理論におけるSELFや真我との共通点と相違点は、以下のように整理できます。これらの思想は異なる背景を持ちながらも、自己を超越し、深い意識や存在の本質に触れる点で共通性を持ちますが、用語やアプローチの違いによる独自性もあります。
共通点
1. 自己の超越
空(仏教):
「空」は物事や自己の実体を否定し、すべてが相互依存しているという縁起の法則を強調します。自己を特定の存在として固定せず、無限の可能性を開くことを意味します。SELF(U理論、学習する組織、インテグラル理論):
これらの理論では、エゴや限定された自己から離れ、真の自己(SELF)や全体性に接続することが強調されます。たとえば、U理論では「ダウンローディング」から脱却し、深い気づきに至るプロセスが重要視されます。
2. 相互依存と全体性
空:
空の概念では、すべてが独立した実体を持たず、相互依存的に存在しています。この見方は個人を孤立した存在ではなく、宇宙や環境の一部として捉えます。インテグラル理論:
「全体論的視点」では、個人(自己)が物質、精神、集団の文脈の中で存在しているとされ、全体性(holon)の中で自己を理解します。
3. 内的変容
空:
執着や欲望を手放すことにより、解放された状態(悟り)に至ります。この変容は内面的なプロセスを伴います。U理論:
内的変容を重視し、「プレゼンシング」(PresenceとSensingの統合)によって自己の深い部分とつながるプロセスを提唱します。これにより、新たな洞察や行動が生まれるとされています。
4. 無限の可能性
空:
空は「無」ではなく、すべての可能性を含む基盤として理解されます。物事が固定されないことが、新たな可能性を開く源となります。SELF:
学習する組織やインテグラル理論におけるSELFは、潜在的な可能性を最大化する存在として描かれます。制約を超えて自己の可能性を探る点で一致します。
相違点
1. 実体の有無
空:
空は「自己や物事には固定的な実体がない」とする点で、存在そのものを否定的(非実体的)に捉えます。SELF(U理論・インテグラル理論):
U理論やインテグラル理論では、自己の深い部分に「真の存在(SELF)」があると仮定します。ここでのSELFは実体的であり、空とは異なる視点です。
2. アプローチの具体性
空:
仏教は瞑想や戒律といった宗教的修練を通じて空を体得する方法を説きます。U理論や学習する組織:
組織や集団での実践を通じて内的な変容を起こすアプローチが中心です。空の修練が個人的であるのに対し、これらの理論は社会的文脈での実践が重視されます。
3. 目的
空:
最終目的は「悟り」による苦しみの解放であり、存在の根本的な理解に至ることです。SELF(U理論・インテグラル理論):
主に変革(個人や組織の進化)や自己実現、新しい価値の創出が目的です。実践的な目標が前面に出されています。
まとめ
「空」と「SELF」には共通して、エゴや執着を手放し、自己を超越した次元に到達するというテーマがありますが、空は「無」としての可能性を説き、SELFは「存在としての可能性」に焦点を当てています。空が哲学的で内省的な概念なのに対し、U理論やインテグラル理論は社会的変容や組織運営に適用できる実践的なフレームワークです。この違いを理解することで、相互に補完的な視点を活かすことができます。
参考ページ
以上、最後まで読んでいただきありがとうございました。