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(7)死とNVCの裏側で〜信仰と政治的対立〜
前回記事
ここまでのサマリ
ここまでの話をまとめると、、、
夏の帰省時に偶然、豊前と空誉上人の話を聞く。
家の中から自分のご先祖が関わっている可能性が記述された書物が出てくる。
急遽豊前に行くことになり、期せずしてルーツの旅となる。
色々調べてみるとご先祖の話が、黒田長政や豊前宇都宮氏、空誉上人、後藤又兵衛と関わりがあったような話が出てくる。
行く先々で豊前、福岡、兵庫と関わりが深いものに気づくことが続く
と、いろんなご縁があった3ヶ月。旅先でも続きます。
セブ島がくれたヒント
偶然の出来事や出会いに意味を見出したくなることはないだろうか。
8月のお盆から11月までの3ヶ月間、自分では意識しているつもりはなかったが、自然とそのような流れの中にいたようだ。
行く先々でヒントになるようなことや言葉を聴く事になった。
自分自身の興味と環境も味方してくれていたように感じる。
10月にセブ島を訪れた時のこと。朝の習慣であるマインドフルネスの場所探しに苦労し、キリスト教会にたどり着いた話を過去の記事で少し紹介させてもらった。
キリスト教とフィリピンと日本の関係に興味が湧いて調べてみると、高山右近の話が出てきた。
高山右近といえば黒田官兵衛孝高にキリスト教を進めた人物でもある。
黒田官兵衛孝高はキリスト教に帰依し、息子の長政もキリスト教徒となっていた。しかし、豊臣秀吉の伴天連追放令により、キリスト教を謳うことが難しくなっていった。
長政は、官兵衛が1604年京都で没すると、官兵衛の希望に従い博多教会のキリシタン墓地に葬っている。人目につかないよう夜間に立ち入り禁止区間を設け近親者のみで行ったそうだ。
その半月後、黒田家菩提寺崇福寺に改葬。幕府に忠誠を示すため、こちらは盛大に行われたという。
ーー
セブ島から帰国した後、知り合いにお土産を持っていった時のこと。
この夏にあった、豊前との私の苗字の一族との関わりの話をすると、豊前国の宇佐神宮の話をしてくれました。
その日、何となく気になって一族の話をもう一度読んでみると、どうも私の一族は宇佐神宮との関わりがあることがわかってきました。
京都山城国の慶安寺(今はないようです)から宇佐神宮の弥勒寺の寺務役として派遣されたことが記されている。
この地方の旧社、宇佐神社の寺務を伝え来たりし人に、時枝大和守なる人あり。この人は山城の慶安寺の出身と伝えられ、宇佐郡の時枝に城を築きて、これによりし武将なり、その実名は知らず。
大和守の長男は武蔵守鎮継、二男は備後守某なり。この二男は父の命によりて上毛郡の鬼木村を治し、後に其の地名によりて鬼木氏を号したり。
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宇佐神宮と関係した時枝氏について調べていくと、次々に当時の様子がわかってきた。
黒田家と信仰
時枝氏は宇佐神宮の寺務役として務めていたにも関わらず、黒田官兵衛孝高の勧めで一度は断るものの最終的にキリスト教に帰依することになる。
一方、黒田藩の初代当主となった黒田長政は、江戸幕府が禁教令を出した後に家老級にキリシタンがいることが許せなかったのか、棄教を命じるようになっている。
「然し不思議な振舞いがあったというのは自らキリシタンの名乗りをあげて、その家来たちには改宗を勧めておきながら、同時に彼は仏僧を招いて父のために供養させたことであった。(中略) この確固たる信念の欠如が致命的な結果を生むことになった。彼はいつしかキリシタンに対して冷淡になり、同時に仏教徒を庇護するようになった。」(『キリシタン大名』ミカエル・シュタインシェン)
後藤又兵衛もまたキリスト教に帰依した有力者の一人だったようだ。
話を振り返ると、後藤又兵衛が出奔する原因となった書簡のやり取りをしていた、細川忠興も池田輝政もキリシタン大名として有名な大名。
キリスト教信者同士のコミュニティには強い絆が生まれていたのかもしれない。
黒田官兵衛孝高がキリスト教を強く勧めていたことを思うと、その息子長政の有力武将に対するキリスト教を禁じる姿勢は後藤又兵衛にとって耐え難いものだったのかもしれない。
兵庫県にある後藤又兵衛の菩提寺である多聞寺では、十字架が彫ってある地蔵が出土し、キリシタンだった後藤又兵衛のために作ったキリシタン地蔵尊だったのではないかとの考察もされている。
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歴史を深めて今思うこと
一連の情報をつなぎ合わせていくと、黒田家が九州入りする前後から広まり始めたキリスト教とそれまでの神仏習合の土着の信仰を持った、地方豪族の対立が見え隠れしてくる。
宇佐神宮は神仏習合の発祥の地とも言われる、信仰厚い地域だったことも予想される。この土地に仏教に帰依している空誉上人がキリシタンである黒田家の相談役として居続けることは難しい立場だったことが推測される。
そして私の苗字の先祖はその歴史の分岐点に立ち、時枝氏から兄弟で別れることになる。長男が継いだ時枝氏は黒田氏につき、二男が鬼木村を統治することから名乗り始めた鬼木氏は宇都宮氏につくことになる。
一族が生き残るための戦略があったのかもしれない。
宇都宮氏についた鬼木氏は、黒田氏に討伐され、豊前の地で命を落とすことになった。
土着の神仏習合を信仰としている豊前宇都宮氏とその地域の人々と
外から来て革新を進めるキリシタンの黒田家と家臣たち。
そこに政治的対立が加わった形が当時の世の中だったのではないだろうか。
今でも世界でみると宗教が関わる戦争があるように、信仰の話もこの話には含まれているように感じる。
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この対立は、田舎派(somewhere派)対 都市派(anywhere派)として今も変わらずにみられる構造的な対立に見える。
知識労働をメインにする人たちを中心とした革新的な思考を好み仕事を中心にしてどこに住んでもよい都市派と、
地域に密着した農林水産業などを営む田舎派の対立構造は、アメリカの大統領選挙でもよく言われる構図だ。
現在の日本に住んでいると信仰の話は薄く感じてしまうかもしれないが、今の日本の状態は過去の歴史と比較しても、世界と比較しても薄くなり過ぎているようにも感じる。
一連の歴史を探究してわかったことは、現代を生きる私たちに何を語りかけてくれているのだろうか。
ここでもう一度、福沢諭吉の言葉を載せておきたい。
東西の人民、風俗を別にし、情意を異にし、数千百年の久しき、おのおのその国土に行はれたる習慣は、たとひ利害の明らかなるものといへども、頓にこれを彼に取りてこれに移すべからず。
文明開花のチャンピオンで西洋文化を持ち込んだ人が言った言葉としては非常に興味深い言葉だ。
東西の人民は風俗も心情も異なっている。
数千百年にわたってそれぞれの国土で培われた習慣は、
たとえ良し悪しのはっきりしたものでも
そう簡単に移し替えられるものではない。
それぞれの国の風習は、それぞれの国の整合性を持って機能している。
新しいものが良いものだからと言って、いきなり持ってきてもうまくいかない。その土地の風土や土壌の上に新しいものを取り込んでいくべきだと言っている。
100分de名著ではこの事に関して次のような解説を加えている。
福澤諭吉は日本人としての美しい情緒や形、武士道をきちんと身につけていた。
漢籍、漢文をしっかり身につけていたから自信を持っていた。
だからこそ西洋の文化に圧倒されずに批判精神を持って取り入れようとしていた。と。
理由として間違ってはいないと思うが、私は豊前の歴史との因果に想いを寄せずにはいられない。
鎌倉時代から続いた地方豪族として宇都宮氏が地元住民と一体となって管理していた豊前、中津の土地。黒田家が九州平定に乗り出し土地を追われる事になった時、黒田家への反発がうまれ、黒田家はそれを武によって制圧したことで、その後200年続く禍根を残した。
この事実を知っていたからこそ、無理強いすることが決して良い方法でないことを身を持って知っていたのではないだろうか。
そして、新しい政治や技術を持ち込むということは、単純に物を持ち込むだけでなく、そこに住んでいる人々の信仰や精神性への影響をも深く考える必要があるように感じている。
了
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