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エリクソンのライフサイクル・モデル
最近、児童精神科医の佐々木正美さんの本が気になって
子どものADHDやASDについての講座で紹介されていた本で名前を見かけたことがキッカケで本を読んでいます。
その中で、こちらの本に書かれていた「エリクソンのライフサイクル・モデル」が興味深かったです。
↓
「ライフサイクル・モデル」
時期(年齢の目安)危機的な主題
乳児期(0~2歳)「基本的信頼」の獲得。 人を、自分を信じられるか
幼児期(2~4歳)「自律性」を身につけること。セルフ・コントロール
児童期(4~7歳)「自主性」、 積極性、主体性、目的性をはぐくむこと
学童期(7~12歳)「勤勉性」 の基礎づくり。 友達とのさまざまな共有経験
思春期・青年期(13~22歳)「アイデンティティ」 の形成。自分を見出せるか
成人期(23~35歳)「親密性」 をもつこと。 家族や同僚とのむすびつき
壮年期(36~55歳)「世代性」 を生きること。引き継ぎと引き渡し
老年期(56歳~)「人生の統合」。人生に感謝ができるか
※年齢は目安。 エリクソンが研究したときと現在では社会環境が異なり、 単純な比較はできない
〝基本的信頼〟は「乳児期に人を信じることができるようになった子は、同時に、自分を信じる力を得る」というもので
エリクソン氏は「相手を信じることと、自分を信じることとは表裏一体だ」と言われたそうです。
この言葉を読んで、青山美智子さんの小説『お探し物は図書室まで』を再び思い出しました。
文庫本の241ページで征太郎さんが浩弥さんに伝えた言葉は、基本的信頼があったからなのかなと。
誰のことも信じられない人は、自分のことも信じられない。
もしそれが本当だとしたら、『脳の闇』に出てきた「正義中毒」の人が増えているという話は、基本的信頼を得られていない人が増えているということなのかもしれないとも思いました。
もし人を信じることができるなら、過ちを指摘するよりも別の方法を取ると思うので…。
どんなに厳しい事を言ったとしても、その言葉の奥に相手を信頼する気持ちが感じられるなら受け止められることもあるのですが
改善案も何もない、正義を盾にした批判からは相手を思いやる気持ちは感じられないので…😢
誰かに伝える言葉は相手の成長や幸せを願う気持ちから話せるように、私も精進しようと思います。