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いまなぜ「たのしい授業」か一創刊の言葉/「たのしい授業」の思想―「わかる授業」と「たのしい授業」

〔この2本の記事は,仮説社発行の月刊誌『たのしい授業』の創刊号に掲載された記事です。発行は,1983年3月3日です〕

いまなぜ「たのしい授業」か 一創刊の言葉一


 たのしいことを,たのしく

 私たちはいま,多くの人びとの知恵と経験と力とをよせ集めて,ここに月刊『たのしい授業』を創刊します。
 これまで「たのしい学校,わかる授業」という言葉はよく耳にしましたが,「たのしい授業」という言葉はあまりきかれませんでし た。「学校には友だちがいて,休み時間があって,たのしいことがあるけれど,授業はたのしいなんていうことがない」という考えがあるからでしょう。もちろん「授業はわかればたのしくなる」という考えもあります。しかし,子どもにはおもしろいとは思えないようなことを,やたらにわからせようと努力するあまり,授業がかえって重苦しいものになっていることも少なくないのです。
 人類が長い年月の間に築きあげてきた文化,それは人類が大きな感動をもって自分たちのものとしてきたものばかりです。そういう文化を子どもたちに伝えようという授業,それは本来たのしいものになるはずです。その授業がたのしいものになりえないとしたら,そのような教育はどこかまちがっているのです。
 子どもたちが自らの手で新しい社会と自然をつくっていく,そういう創造の力を育てようというのなら,なおさら,その授業はたのしいものでなければならないはずです。たのしい創造のよろこびを味わうことなしには創造性など発揮できないからです。だから私たちは,「今なによりも大切なのは,たのしい授業を実現するよう, あらゆる知恵と経験と力とをよせ集めることだ」と考えるのです。

 教育を根本的に問いなおす

 「わかる授業」でなく,「たのしい授業」を実現するためには,いまの子どもたちに「なぜ,何を教えようとするのか」というところまでたちかえって検討することが必要になってきます。だれかから与えられた教育内容や伝統的な教材をそのままにしていたので は,たのしい授業を実現することは困難なのです。
 改めて思いなおしてみると,「これまでの教育内容は,長い間のエリート中心教育の伝統の中で,基本的に差別選別のための道具として工夫されてきたものがしっかりと定着してしまった。だから,そのような授業はなかなかたのしいものとなりえないのだ」ともいえるのです。
 私たちはそのような教育を根本的に問いなおすためにも「たのしい授業の実現」という視点を大切にしたいのです。そしてこれまでの日本や世界の教育を支配してきた教育のワクをとりはらって,発想の転換をおこないたいと思います。自由に大胆に考え,教育の理想を高め,教材の質を向上させていきたいのです。

 だれにでも使える授業書を

 幸いなことに,私たちはすでに,授業の内容や考え方を根本的に改めると,これまで考えられもしなかったたのしい授業が実現しうることを見てとることができました。仮説実験授業の授業書やキミ子方式の絵の授業は,とくぺつ有能な教師でなくても,また法外な努力をしなくとも,ひと通りの勉強さえすれば,だれでもたのしい授業ができる道をひらいてきたのです。だから私たちは未来を明るく展望しうるのです。だからこそ私たちは「いまこそたのしい授業を」というのです。
 たのしい授業というものは,教師がいくら情熱を注いだからとい って実現しうるものではありません。その教材にたのしい授業を保証するような内容がないのに,熱意だけをふりかざすと,かえってその授業は重くるしいものとなり,耐えがたいものとなることもあります。教育には教育の,授業には授業の法則性があります。冷静にじっくりと,その授業の法則性を追求していってはじめてたのしい授業が実現できるようになるのです。だから私たちは,単なる思いつきでない,たくさんの人びとの授業実験の結果「これならだれでもたしかにたのしい授業ができるようになる」というような授業書や授業案を次々と掲載していきたいと思います。 

 告発をせずに理想をまもる

 少しでもたのしい授業が実現しうるメドがついたら,そういう授業を追求する努力はとてもたのしいものとなってきます。そして, 教師が余裕をもってたのしい授業を追求していくことができるならば,その追求の成果はいよいよ大きいものとなるでしょう。だから私たちは,この雑誌を,教師がその授業をたのしめるような,そういうたのしい雑誌にしていきたいと考えています。理想的な教育を追求しようとする教育運動には,得てして悲槍感がともないがちですが,そういう悲憤感のある雑誌にはしなくてすむと思います。
 現実が理想通りにならないと,とかく人は現実を告発し,自分自身をせめることで自分が高邁(こうまい)な理想をめがけて生きていることに満足感を味わおうとしたりしがちです。私たちは,そういう非生産的な告発をしないように努めるつもりです。

 自発的に書かれた原稿――創意と経験の集約

 私たちは,この新しい雑誌『たのしい授業』を,全国に散在する人びとの創意と経験がひろくとり入れられるようにしていきたいと思っています。
 ふつうの雑誌はほとんどみな,名のある人びとに編集部が依頼した原稿をもとにして作られています。そこで,人びとは編集者から依頼されなければ原稿など書くべきものでないと思っています。し かし,本人が積極的に書く気になって書いた原稿が一番創造的ですぐれているにきまっています。ですから創造的な学会の雑誌はみな,自由投稿制をとっているのです。もっとも,学会誌は少数の専門家が読み書きする雑誌で,私たちの雑誌とはちがいます。専門家でもない人は,自分の書こうとすることが本当に『たのしい授業』のような雑誌にのせるに値するかどうか,判断にまようのです。
 しかし私たちのまわりでは,そのような困難を克服する新しい動きが着実に歩をすすめています。たのしい授業を実現しえた人たち,そこに一歩をふみだした人びとは,その喜びを他の人びととわかちあいたくて,その記録や考えを自らガリ版印刷などにして他の人びととの交流をすすめているからです。 

 情報交換のわくを拡大――あなたも編集委員に

 たのしい授業を確実に実現できるようにするためには,着実な研究の積み重ねが必要とはいうものの,そういう研究はやはり多くの人びとのちょっとした思いつきや経験がもとになって前進するもの です。だから全国の人びとがまわりの人びとと自発的にすすめている情報の交換のわくを大きくひろげることが必要です。そこで私たちはガリ版刷りなどで一部の人びとに流布しているような記録,授業案などの中から,とくに一般性のあるたのしい記事を本誌にたくさんとりあげていきたいと思っています。 
 そこで読者の方々におねがいしたいのです。全国に散在する数多くのプリント類や話合いのなかで本誌にのせるに値すると思うもの をどしどし編集部に知らせてください。私たちはそういう情報・判断を定期的に編集部にとどけて下さる方々を編集委員として,本誌の編集をすすめたいと思います。最後的には全国からのそういう意見を編集実務委員会というところで調整して,本誌の発行をすることになります。

 できることから,ウソをつかずに

 なお,本誌の発行は毎月3日を予定しています。いま日本の書店で売られている雑誌は3月3日に出版のものはほとんどみな(3月号でなく)4月号として銘うたれています。日本でも昔はそんなことはなく,3月にでる雑誌は3月号にきまっていたのです。おかしなことになったものです。「みんながおかしくなると,それに合わせないとかえっておかしくみられる」そんなことがあってなかなかその悪弊がなくなりません。そこで本誌はその悪弊をたちきるためにも,3月3日発行のものを3月号と銘うつことにします。(学年は4月はじまりなので,創刊号の通し番号は第0号として,4月号を第1号とします)
 つまらぬことのようですが,自分たちの責任で改められることは 一つ一つ改めていく習慣をつけないと,世の中をかえることなどなかなかできないでしょう。みんながうそをついている中で,本誌だけ本当のことを書くと,思わぬ混乱がおきて,不利益なことが生ずるおそれもあります。御理解のほどおねがいします。

創刊発起人(順不同) 
板倉聖宣 山田正男 松本キミ子 小野洋一 牛尼文幸 三坂剛  西沢誠人 野村晶子 高木仁志 高橋晋 村上嘉一 田中秀家  斎藤隆 名倉弘 鈴木隆 中村重幸 渡辺慶二 浜岡文博 村上道子 加川勝人 西尾謙三 辻雅義 長坂正博 松尾政一 倉敷 仮説サークル(代表武田芳紀) 犬塚清和 中田好則 板倉正典  塩野広次 尾形邦子 四国弁証法研究会(代表新居信正) 島田繁 広島仮説サークル(城雄二) 〔以下次号掲載〕



たのしい授業」の思想

「わかる授業」と「たのしい授業」

  国立教育研究所・板倉聖宣

 「いまなぜたのしい授業なのか」ということについては本誌の創刊の言葉にひと通りのことが述べられています。そこで,ここでは私なりにもっと視野を拡げて,まず「たのしい授業」の必然性を歴史的・一般的に論じ,次に私自身の体験を中心に「わかる授業」と「たのしい授業」の関係について少し具体的に考えてみたいと思います。

 教育は「いいにきまっている」ものか

 明治以後の日本では,教育というのはひとつの希望,理想を意味していました。人々が教育について語るとき,それは一つの大きな可能性について語ることでした。だから,教育のワクを拡げ,ひとりでも多く,少しでも高い教育をうけさせることは無条件にいいことと考えられてきました。
 しかし,いまはどうでしょう。いまでも,昔ながらに「教育はすばらしいものにきまっている」という考えに固執している人たちがいます。しかし少し冷静にみれば,そのような考えがもはや時代おくれのものでしかないことは明らかでしょう。昔は教育について語るとき,人々はそこにたのしい夢をえがいていきいきと語るのが常だったのに,いまでは教育を語るのが重くるしいものになっているからです。
 昔は,多くの人たちが,少しでも上級の学校に行きたいとねがって,ずいぶん無理をして勉強にはげみました。そう,「苦学生」というのがたくさんいたのです。しかし,いまでは,「学校に行きたくないのに,しかたなしに行っている」という学生がとてもふえているというありさまです。そして教育というのはいまや子どもにとっても親にとっても,「すばらしいもの,いいにきまっているもの」ではなくなり,「いやいやながら受けるもの,しかたなしに与えるもの」になってしまったのです。
 なぜ,どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。いまでも「教育というのはいいにきまっている」と考える人びとは,いやがる子どもたちにも教育を強いることが必要だと考えています。そして「勉強というのは昔もいまも苦しいものにきまっている。だから強(し)いて勉(つと)めると書いて勉強というのだ。ただ昔の子どもにはその苦しさに耐えるねばりがあった。ところがいまの子どもは苦しさに耐えようとしない。あまったれているからだ。そういう子どもたちをきたえなおすことが教育を救う道だ」などと主張したりします。そういう人びとにとっては,「たのしい授業の実現をめざすことは,意気地のない子どもたちに迎合しようとするとんでもない運動だ」ということにもなります。
 どうしてそんなに大きく意見がわかれるのでしょうか。
 「科学というものはいいにきまっている」という考えはすでに大きくゆらいでいます。科学は戦争や公害を悲惨にするもとだとも見られるようになったからです。しかし,「教育というものはいいにきまっている」という考えはまだあまり公然と批判されてはおりません。そこで,人びとは昔ながらに「教育はいいものにきまっている」という考えにとらわれて,判断にまよい混乱におちいっているのだと思うのです。

 かつて,エリートのための勉強は確実に役に立った

 いったい,「教育はいいにきまっている.もの」という考えはどこからでてくるのでしょうか。教育が新しい可能性をきりひらくとき,教育はいいものであったでしょう。人びとが多くの犠牲をはらっても自ら教育をうけたいと欲するとき,教育はすばらしいものであったでしょう。しかし,教育をうける当人が「いやでいやでしょうがない」という教育を与えることがいいにきまっていることかどうか,考えなおす必要があるでしょう。こういうと「昔だって,勉強はたのしいからしたのじゃない。苦しさをのりこえて,がんばってやったのだ」という人もいることでしょう。そうです。その通りです。
 昔もいまと同じように,たのしい授業などほとんどありませんでした。いや,いまよりずっと少なかったといっていいでしょう。しかし,二つの点でいまと大きくちがっていました。
 ひとつは,昔は苦しい勉強でも耐えしのんで上級学校に進学すればそれなりに立身出世が保証され,それまでの苦しい生活からはいあがることができたということです。だから多くの苦学生は,少しでもエリートの座を確保するために自分に勉学を強いたのです。それにもうひとつは,そうやってエリートになれば,その勉強で身につけた知識は実際にかなり役立てることができたのです。
 たとえば,昔の師範学校は旧制中学校程度の学校で,そこではドイツ語はもちろん,英語もろくに教えられませんでした。それとくらべるといまの小中学校の先生の大部分は4年制大学の出身で英語はもちろんドイツ語やフランス語まで学んでいます。しかし,いまの小中学校の先生で英語やドイツ語で書かれた教育書を手にする人はどれだけいるでしょうか。英語の先生以外は皆無といっても差支えないでしょう。小中学校の先生方の中にも論文や著書を書いている人は少なくありませんが,そういう論文や著書の参考文献に英語やドイツ語で書かれたものは全くといっていいほど見当りません。しかし,昔,師範学校しか出なかった人びとの著書を見てごらんなさい。参考文献として英語やドイツ語の著書名がずらりとかかげられているのがふつうといってよいのです。
 たとえば,敗戦まで日本の理科教育界の中で指導的な発言をしてきた人たちは,たいてい師範学校しかでていない人たちでした。大学出は小学校教育にまで手を出すほどたくさんいなかったのです。それで,その師範学校出の人びとの中にも,自らドイツ語の本や英語の本を読んで世界の教育界の動きを読みとろうとしていた人たちが何人もいたのです。
 昔はエリートになるためにだけ自分をムチうって勉強したとしても,そのエリートになれれば,その勉強の結果身につけたもののかな‘りの部分は確実に役立ったのです。それはとくに日本が後進国で「少しでも早く外国の文化を全面的にうけいれる必要があったからだ」といってよいでしょう。おそらく明治以後の日本ほど,教育に,文化の輸入に,活気のみちみちていた国はなかったことでしょう。そういう社会では,エリートのための勉強は確実に役立ったのです。確実に役立つような知識を身につけることはたのしいことです。だから,一見苦しいだけのように見える勉強でも,昔と今とでは学生・生徒にとっての意味合いは全くちがっているのです。

 教育が普及すればするほど学習意欲は低下する

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