桜の思い出
桜と死は密接した関係にある。
末期癌の叔母に「桜を見に行こうか」と何気なく誘った時の、叔母のひきつった表情が今でも忘れられない。
子供をサッカー教室へ連れて行く途中、道に倒れている白髪の男性を見た。
床屋の真ん前、気持ちの良い小春日和、桜が咲き始めた矢先の出来事だった。
髪をきれいに整えて、全てが再始動に向かっている瞬間に終わりを迎える因果。
思い返してみると、始まりと終わりはよく似ている。
始まりの季節の代表花である桜に死の香りが漂っているのはそのためであり、それゆえに他の花より心に訴えかけるものがあるのだろう。
桜が咲いた3ヶ月後に叔母は亡くなった。
私が発した“桜“という言葉が叔母に死を突きつけたのか。
今はもうわからない。
けれど、人の傷に塩を塗り込むことは意図しなくても容易にできて、寄り添おうとする努力は空回る、
今はただその思い出だけが悔しくて哀しい。