noteを始めた本当の理由【初めて大きな賞に選ばれたときの絶望と、いまの私】
noteの投稿を始めるとき、一番最初の記事を、なににするか、とても迷いました。
(私の初投稿の記事は、こちから読めます)
というのも、そもそも、私がnoteを書き始めたのは、私の夢である「相談室の開業」を応援してくださっている個人投資家の方から「加瀬さんは、なにか、パーソナルな部分が伝わる発信をしたら、すごくいいんじゃないかな」とアドバイスを頂いたことがきっかけだったからです。
実は、私は、夢の実現のために、2022年の2月に、地元で開催された「ビジネスコンテスト」に参加し、「準グランプリ」を受賞したのです。
そして、そのことがきっかけで、冒頭の個人投資家の方と出会うことになり、先程のアドバイスを゙頂戴することになりました。
しかし、子育てで忙しく、相談室の開業は、まだ準備中の段階にとどまっています。
このアドバイスを受け、私は、悩みました。
ネットで、なにか、自分のパーソナルな部分を発信する活動なんてしたら、さらに、相談室の開業が遅れてしまう。
しかも、この「ずっと準備中の段階が続いている」ということが、いまの私の一番のコンプレックスでもあったのです。
そして、そんなときに、自分に言い聞かせるように思い出していたのが、自分の過去のエピソードです。
子どもの頃、私は、宿題を忘れてばかりいて、課題の提出も遅れてばかりいました。
しかし、そんな私の短所を「ひとつのことに丁寧に時間をかけて取り組む力がある」というプラスの面をみて、褒めてくれた恩人がいました。
(詳細は、こちらのnoteで綴っています)
ビジネスコンテストで「準グランプリ」を受賞したものの、そのあとは、子育てやパートの仕事で精一杯で、ずっと準備中であることに、私は、情けなさを感じ、その気持ちに押し潰さそうになっていました。
だからこそ、相談室の開業が遅くなっていく度に、私は、自分の過去のエピソードを思い出しては、必死に自分を励ましていました。
私は、これまで人生の中で、人とは違う選択をし、周りの人よりも、時間をかけたときにこそ、周りから喜ばれたり、プラスの評価を受けたりするようなことがありました。
だから、いまもそのときなんだと、謎に過去のエピソードを思い出しては、自分に言い聞かせていました。
遅いけど、遅いからこそ、きっと「早くできたとき」よりも「人から喜んでもらえるもの」ができると。
だから、私は、遅れている相談室の開業を、さらに遅らせ、ネットで、自分のことを発信する活動も、してみようと考えるようになりました。
我ながら「クレイジー」な決断である気がしてなりませんが、でも、人より時間をかけたときに、人から評価される結果になったことは、前回の記事でのエピソードだけではないのです。
今回は、そのもう一つのエピソードと、私がnoteを選んだ理由について、綴っていきます。
ときは、私が、高校生の頃に、さかのぼります。
それは、高校生1年生の夏休みが終わった頃のことです。
あの夏、私の運命を大きく変える出来事がありました。
これから、そのときのエピソードを綴っていきます。
始まりは、ある人からの頼み事でした
これは、私が高校1年生だったときのことです。
夏のある日、図書館司書の先生が、私に声をかけ、頼み事をしてきたのです。
それは「読書感想文を書いてほしい」という相談でした。
実は、私が在籍していた高校では、毎年、読書感想文は「夏休みの宿題」として出されているものの、なぜか「やってもやらなくてもOK」という優しいルールも設定されていて、何年もの間、読書感想文を誰も提出しない状態が続いていたのです。
図書館司書の先生は、そのような状態が続いていることが、とても嫌だったようで「今年こそは、うちの学校からも、読書感想文を出したいのよ。だから、加瀬さん、書いてくれないかしら」と、私に声をかけてきたのでした。
図書館司書の先生は、とても申し訳なさそうに、何度も、その話を持ちかけてきたのですが、私としては、正直、悪い気はしませんでした。
いや、むしろ、日頃からお世話になっている図書館司書の先生に頼られたことが、とても嬉しく、気がつけば、上機嫌に読書感想文を書いていました。
完成した読書感想文を持っていくと、図書館司書の先生が、とても喜んでくださり、私は、もうそれだけで、なんだか幸せな気持ちでいっぱいでした。
しかし、事態は急展開を迎えます。
なんと、そのときに私が書いた読書感想文が、千葉県青少年読書感想文コンクールの「自由図書の部」で「最優秀賞」に選ばれたのです。
これは、私が文章を書いて、初めてもらった賞でした。
【才能の幻影】受賞歴どころか、応募歴さえゼロの小中学校時代
思い返せば、小学校3年生の頃、遠足の思い出の作文を原稿用紙「5枚」書くという課題が国語で出されたときに、私は原稿用紙「14枚」もの作文を書いて、当時の担任の先生を驚かせたことがありました。
私の母は、話を盛る癖があるので、どこまで本当か分かりませんが、当時の担任の先生は職員室で「この子は、絶対に将来、小説家になる! いまのうちにサインをもらっておいたほうがいい!」と、先生同士で騒いでいたそうです。
でも、私の母の話だから、どこまで本当か分かりません。
というのも、私は、小学校や中学校では、作文で賞をもらったことは一度もなく、学校の代表に選ばれたことさえなかったからです。本当に「才能」があったのなら、もっと早くにみつかっていたはずです。
【私が応募歴ゼロの理由】提出が遅れる癖と、怒られる日々
提出期限に間に合わない児童や生徒の作文が、校外のコンクールやコンテストに応募する「学校の代表の生徒」の作品として、校内の先生から選ばれることは、まず、ありません。
もし、そんな選択をする先生がいたとしたら、肝の座ったレアキャラです。
もしくは、選ばれた生徒に、圧倒的な実力があるかのどちらかです。
小中学校の頃の私は、提出期限が過ぎてから、作文を書き始めることばかりでした。
そのため、文章を褒められたことがあったのは、小学校3年生の国語の授業での作文のときだけで、あとは、提出する度に「もっと早く書きなさい」と、怒られていました。
【初受賞】怒られてばかりの私だったからこそ感じる大きな喜び
だから、怒られてばかりの私だったからこそ、高校1年生のとき、図書館司書の先生に頼み事をされたときは、それだけで、なんだかとても嬉しかったのです。
そのため、そんな私が「千葉県青少年読書感想文コンクール」の「最優秀賞」に選ばれたという、光栄過ぎる知らせを受けたときは、さらに嬉しい気持ちになりました。
こんなに大きな賞をもらったことは、本当に、初めてのことだったからです。
【絶望の表彰式】脇役になったことで芽生えた「闘争心」
しかし、表彰式に行って、私は、全然嬉しくなくなってしまいました。
実は、私は「最優秀賞」と聞いて、それが「最も優秀な人」に与えられる賞に違いないと、勘違いしていました。
でも、違いました。
表彰式に行くと、なんと「最優秀賞」は3人もいたのです。
内訳としては、「課題図書の部」から1人と、「自由図書の部」から私を含めて2人が、最優秀賞に選ばれていました。
そして、「課題図書の部」のほうで「最優秀賞」に選ばれていた女の子には、「最優秀賞」とは別に、もうひとつの「教育長賞」という名前の賞か与えられていました。
そして、表彰式では、その「教育長賞」を与えられた子だけが、壇上に上がって受賞作品を朗読し、私を含めた他の子は、表彰状を受け取るときだけ壇上に上がり、あとは、座っているのみの退屈な時間となりました。
表彰式に参列し、挨拶を述べていた来賓の偉い人たちも、教育長賞の子ばかりを褒めていました。
初めてもらった大きな賞だったのに、表彰式では、一番大きな「教育長賞」を受賞した生徒以外は、「脇役」扱いされていることが明らかでした。
私は、悲しい気持ちになり、あんなに喜んでいた自分を恥ずかしく感じるほどでした。
表彰式に参加する前までは、本当に嬉しくて、心から喜んでいたのに、表彰式に参加したあとは、とても晴れやかな気分にはなれませんでした。
「悔しい」
「次こそは、私が一番になりたい!」
野心なんて、まるでなかったのに、あの表彰式のあと、私には、謎の闘争心が芽生えたのでした。
悔しさを胸に、挑戦を続ける日々
そして、そんな出来事があってから、私は「文章」について勉強し、さまざまな賞に応募するようになりました。
とはいえ、「悔しい」「次こそは一番になりたい」と、強く思ったはずなのに、その後も「二番」ばかりでした。
大人になってから参加した地元のビジネスコンテストでも「準グランプリ」でした。
夫には「二番、好きだね」と笑われてばかりいます。
多忙な高校生活の中で受けた「頼み事」が、私の未来を変えた
文章を勉強したことで、人生が好転
表彰式に参加した高校1年生のとき以来、私は、様々な賞に応募し続けたものの、結局、どのコンクールやコンテストでも、一番になることは、できませんでした。
しかし、一番になりたいという「野望」は叶わなかったものの、「文章」の書き方を勉強したことは、確実に私の人生に大きな影響を与えました。
【きっかけをふり返ると?】
どうして「文章」を勉強し、様々な賞に、挑戦するようになったのか?
きっかけをふり返ってみると、やはり「図書館司書の先生からの頼み事」が全ての始まりでした。
あのときのこと【図書館司書の先生の様子】
実は、あの「頼み事」を受けたとき、図書館司書の先生は、とても申し訳なさそうにしていました。
それは、図書館司書の先生が私に声をかけてきたときの表情や口調から、強く伝わってきました。
恐らく、図書館司書の先生は、毎年誰かに同じ頼み事をしていたのだと思います。
そして、声をかけるたびに、嫌がられることが何度もあったのかもしれません。
そんなネガティブな想像を膨らませてしまうくらい、あのときの図書館司書の先生は、とても申し訳なさそうな様子でした。
やりたいことが多くあった高校生活【私の決断と、その理由】
また、当時、私が、周りからみると「多忙」にみえる高校生活を送っていたことも、図書館司書の先生からすると、頼み事をするのを申し訳なく感じる一因だったのかもしれません。
あの頃の私は、2つの部活動に加入した上、農業クラブのプロジェクトチームにも参加し、なにかと、慌ただしそうにしていた生徒でした。
むしろ、引き受けることで、先に取り組んでいたほかの活動に使える時間が、少なくなってしまうような内容です。
だけど、私は、あのとき、図書館司書の先生からの「読書感想文」の依頼を、引き受けることに決めました。
そして、結果として、その選択が、私の人生を好転させていきました。
【喜んでくれる人が、いるなら、行動したい!】私がnoteを選んだ理由
私は「文章」を書くことを仕事には選ばなかったものの、私の友人や周りの人々の中には、私の書く文章が「好き」だと言ってくれる人も、多くいました。
そして、私の文章を「好き」だと言ってくれる人の中には、「もっと作品を書いてほしい」、「もう書くのはやめちゃったの?」と、私になにかを書き続けることを、望んでくれる人も、存在していました。
私が「なにか、パーソナルな部分を発信したら良いのでは?」というアドバイスを受けて、その発信をするプラットフォームとして「note」を選んだのは、私の書く文章を「またみたい」と言ってくれていた人たちのことが頭に浮かんだからです。
もちろん、自分の夢の実現だけを目指すならば、noteへの投稿なんて、寄り道でしかありません。
だけど、この世には、私の書く「文章」が好きで、私がなにかを書くと、喜んでくれる人が存在しているのです。
noteを始めたら、私の「文章」をみて、また誰かが喜んでくれるかもしれない。
そんな想いから、私は、noteを始めことを、選びました。
【遠回りでも夢に近づくために】私にできることをしていく
夢の実現のために、遠回りになる行動であったとしても、身近な人を幸せにしたり、自分自身の人生を豊かにしたりしていくためには、「誰かのために行動すること」は、必要不可欠なことです。
noteへの投稿は、夢への「遠回り」ではあるものの、私の人生にとって「必要不可欠」なものであると、思い込みたい私がいます。
「楽しいけど、不安も大きい」note投稿
実際に、noteへの投稿を始めると、書く楽しさに私自身が改めて気づかされるとともに、私のnoteを読んでリアクションをくださる方も多く、私は、noteがどんどん好きになり、もっと書きたい、交流したいという気持ちが強くなっていきました。
ただ、noteに時間を使うことで、相談室の開業準備がさらに遅れることが不安で仕方ありません。
上手くいかないことばかりだからこそ【過去の経験と、身近な人々の存在】
しかし、これまでの人生でも、予定していたことが遅れてしまったり、やりたいと思っていたことが全く上手くいかなかったりすることは、何度もありました。
そして、そんなときに、いつも私のことを励ましてくれたのは、一番近くにいる「学生時代の友人」や「夫」でした。
身近な人々の支えは「遠回りの選択」の積み重ねが生んだ「宝物」
友人や夫が、私のことを大切にしてくれるのは、これまでの私が「友人」や「夫」を大切にしてきたからこそです。
そして、それは、過去の私が、自分の人生が上手くいかないときでも、身近な人を喜ばせるために、可能な限り行動してきたからこそでもあるのです。
そんな友人や夫との現在の「温かで良好な関係」は、間違いなく、過去の私の「遠回りの選択」が生んだ「宝物」です。
noteを続けていく理由
だから、今回も、誰か一人でも、私の「文章」を読んで、喜んでくれる人がいるのなら、私は、そのわずかな人のためにでも、noteを続けることに、挑戦していきたいです。
それが一見、夢を叶えるための遠回りになる選択だとしても、一人でも喜んでくれる人がいるなら、価値のある挑戦になると、私は考えています。
課題を期限が過ぎてから提出したり、読書感想文を書く人が何年も一人もいなかった地元の底辺高校に進学したりしたことでさえ、大人になった今、あのときに「自分の気持ちを大切にしてよかった」と思えているのです。
だから、これからもnoteを続けていきたいです。
【ゆっくりと進む物語】先延ばしの先にあるもの
このnoteのアカウントでは、私が現在の私になるまでを綴っていく予定です。
しかし、いまだに中高生の頃の物語しか書けていないというのに、次の記事も、その次の記事も、中学の頃のエピソードを投稿しようとしている、のん気な私がいます。
現在の30歳の私のエピソードが書けるようになるのは、いつのことになるのでしょうか。
しかも、もうすぐ31歳になってしまいそうです。
先は長いですね。
投稿頻度も、物語が進むペースも、ゆっくりですが、この投稿は、きっと10年後にふり返ったときに、相談室の開業を先延ばしにしながらも、準備中の期間から「noteをコツコツ始めて良かった」と絶対に思えると信じています。
なぜなら、私はこの10年でネットでの発信を全然してこなかったことをすごく後悔しているからです。
noteでの投稿を続けることで、その後悔は薄れていくはずです。
もしかしたら、今の私の選択はほかの誰かから見たら賢くない選択なのかもしれません。
それでも、いまより大人になったときに「いまの自分」を後悔しないように、今回も自分自身の気持ちを大切にしていきたいです。
最後まで読んでくださり
ありがとうございました🍀
とってもゆっくり更新ですが
次回の記事も楽しみにして頂けると
嬉しいです(◍•ᴗ•◍)