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マインドフルネスと勘違い

『マインドフルネス』とはどんな印象だろうか?
周りの人に聞いてみると、『座禅』『なんか怪しい感じ』
と言われることが多い。

私もお寺に行って座禅するやつ?くらいに思っていた。

これは別に間違っていない。合っている。
しかし、思っているよりも手軽で身近なものだと伝えたい。

マインドフルネスの基本は『今ここにいる感覚に意識を向けること』だ。
今に集中することで囚われている思考や感情から一旦離れることができる。

この『一旦』がとても重要だ。
そうすることで距離ができて、俯瞰的に客観的に物事をみることができる。
無理に考え方を変えたり解決策を模索する必要なく、自然と解決策が見つかったり、見つからなくてもストレスと上手に付き合っていけるのだ。

そのための方法として瞑想をして呼吸に意識を向けることが多く用いられている。
私もマインドフルネスを行うための所へ行ったことがあるが、ダメだった。座禅は姿勢がしんどいし、横になっても腰が痛い。
姿勢をとる時点でダメだった。
静かな環境でたくさん人がいるのも気になるし自分の鼻息がどうかとかもう気になって全然集中できなかった。

そもそも今ここにいる感覚に意識を向けることに何故その場所まで行って慣れない環境化でできるのだろうかと思った。
そしてその環境でしかできないのであれば日常生活で再現することができない。いちいちその場所まで行って行うというのは現実的ではない。
ただ、非現実な体験で終わってしまった。


自宅でも瞑想を行ってみたが、やっぱり全然ダメだった。呼吸を意識すると呼吸するのがしんどくなった。
それは練習が必要とかいろいろ言われると思うが、本も数10冊読みこんで実践して数年経ってもこれだからもう合わないのだと思う。

そして子供ができてからは環境的にも難しくなった。
静かな環境なんてものはないし、つくれたとしてもそのまま寝てしまうからだ。

正直、今ここにいる感覚に意識を向けることができれば手段はなんでも良い。
一番効果があったのはご飯を食べることに全集中することだ。
口に入れたときの舌の感覚、食べ物の触感、匂い、口を動かすときの皮膚のつっぱり、味、見た目、咀嚼音、とにかく五感を使ってひとつひとつ感じてみる。
思ったよりも忙しく楽しい。

それまで支配されていた感情から『一旦』切り離してくれる。すぐに戻されることもあるが、行う前と後では感情を支配される割合が変わり「なんかあるなぁ」くらいになるのだ。
それでもダメなときは利き手じゃない方で食べてみる。
めっちゃ神経を使うしそれどころではない。
うまく使えなかったらイライラするし、使えたら嬉しい。ここで大事なのはどんな感情になってもオッケーなことだ。なぜなら行う前の思考や感情から切り離せれば良いからだ。
1日1回~3回必ず行うことができることもこの方法の良いところだ。

そんな時間ないよ!という人は足裏に集中するだけで良い。
体重がかかっている感覚、温度、歩いてみたときの関節、筋肉の感覚、指の感覚などを感じてみる。
それだけでも十分効果はある。


私たちは意外と今に全然集中していない。
他のことや人が気になっていろんな感情に振り回されたり、反応してしまう。(SNS)
ごはんを食べていても「明日どうしようか、晩御飯はなに作ろう、冷蔵庫に何が残っていたかな。」とか、
過去のことを思い出して嬉しくなったり、虚しくなったり。
過去か未来のことばかりで今この瞬間に目を向けていることがほとんどない。


そしてなぜ今この瞬間に意識を向けることがそんな大事なのかはやってみたらよくわかる。
結構嫌な出来事ほど反芻して考えやすい。
解決には至らずとも数秒だけでもその浮かんでいる考えを止めて注意をそらせば距離をおくことができる。
距離をおくと俯瞰的に、客観的に物事を考えることができる。

友達にアドバイスするときのような距離感だ。自分のこととなるとどうもうまく処理できない。
他人事だと冷静かつ的確に答えを導き出せることが多くある。

自分自身の感情を受け流しそのままにしておく。
考え方を変えて問題解決しようとせず、ストレスの扱い方や距離感(関わり方)を変えるのだ。

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