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「あなたが知らないだけで、わたしはずっとわたしだったよ」

変面ってあるじゃないですか
中国のやつです


これです

ぱらぱら漫画みたいにどんどんお面が変わっていく
そんな中国の伝統芸能
私にとって人間関係はこんなイメージ

さすがにもう少し説明したものか、これは

ペルソナ、という言葉もありますな

心理学においてのペルソナとは、自分の外的側面、すなわち「周りの人に見せる自分」を表します。 そして私たちはさまざまな「顔」を演じながら、周囲の環境に適応しようとしているのです

要するに
「人によって態度を変えるのが当たり前やろがい」
と思うことが多々ある

そりゃ親に対する態度と
先生や先輩に対する態度は違うし
バーでアルバイトをしていても
常連さんと一見さんでは多少対応は変えるし

なんなら同じ人に対する態度も変化していく
元恋人と仲良しに戻ることのできる人を私は本当にどうにかしてんじゃないかと思っています。無理でしょ物理的に。ここでいう物理学とは一体なんなんだ


その中で言われることがありますね
「〇〇ってそんなところあったんだ」

この言葉はなんだか嬉しかったりする
変面でもペルソナにもあるように
私は「仮面」という言葉を人間関係に強く感じる

時々で一番あった仮面を無意識のうちに選択して
その人に新しい仮面を見せるということは
関係性が進展したのかもしれない
今までとは違う場所で巡り会えたのかもしれない
それがマイナスに転じたとしても、それでも。

見せることのできる仮面が多ければそれだけ私の魅力を知っていただける機会が増えるわけですから、ナルシストとしてはそりゃ嬉しい

もちろん相手のことを思って見せない仮面も多くあれば、仮面をかぶること自体が相手へのリスペクトであり、配慮でもある

もう少し踏み込むと、仮面のないありのままの姿を見せることが決して信頼ではないとも思っている

幼い時はコミュニケーションは足し算のような気がして。新しい友達を作る、新しいことを知る。してはいけないことを知る。どんどん吸収して、言葉にしても行動にしても態度にしても、「発する」こと自体が楽しくて仕方がなかった。

でも高校生あたりから引き算に近くなる
傷つけないようにこれをしないこれは言わない
仮面をいそいそとこしらえて、選ぶようになる

仮面を得るという行為
仮面を選ぶという行為
時には仮面をつけないという行為
どれにも人間の根底的な優しさな気がします

私ばりっばりの性悪説派なんですがね!!!

生まれた日からわたしでいたんだ 
知らなかっただろ

さよーならまたいつか

米津玄師さんの楽曲のこの一節を聞いてぼんやり思い浮かんだものです
なんか米津玄師さんが続きましたがこの下書き書いたの8ヶ月ぐらい前なのでセレンディピティです



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