「あなたがいたから、私は天才になれた」
私が高校一年生の時にリリースされた曲
一つ上のメンヘラの先輩がURLだけを貼ってきて
「早く枯れなさい」と送ったことを覚えています
色彩、とはずっと色そのものかと思っていたんですが、意味を調べるとどうやら色を感じる能力、を指すようで
さて24歳になって毎回失恋について滔々と書くのもなんだかな、未練がましいと思いつつ、結局いつも通りの通りの通り
「その人と見た景色は二人だけのもので、その色彩をもう私も誰も持っていない」
という考えで一つ。お酒も飲まない夜ですから
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上を見るようにしています
そんなに上昇志向の塊なわけではなく、人生を楽しむコツの話
彼女は別れ話中に「あなたは世界の面白いところを見つける天才だから」と言ってくれました。それに対する一つのアンサー。大さじで測れない感謝と、数滴の呪いを添えて
わかりやすいのは空。夜空、青空、月、星、雨
流れが早い雲はなんだか近くにいる気がして、どうにかすると手が届きそうな気もする、飛行機雲が何本もあって流れ星みたいだ、雨が降ってるにしては明るすぎる、なんて考えて
都会でもなかなか使い道があります
雑居ビルの5階ぐらいにあるスナックは収支大丈夫なのかな、常連さんはどうやって常連さんになったんだろう。泌尿器科の看板にしては前向きだな、スイーツ屋さんの幟旗にしてはフォントがいかついな、とかとか
大学の帰り道だって
すごい高い木に栗みたいなのがあるけどあの高さからはちょっと危険性変わってくるぞ、研究室の明かりがついているところビンゴみたいだな、図書館の窓際の座っている人は人混みを見てムスカごっこしてるのかな、ぐらい
上を向くことで輪郭もシュッとしますし
下ばかりを見たくなるこの頃だから、無理矢理にでも上を向きます、口角を上げて、イヤホンをつけて、香水をつけて、リングをはめて、そうして日々を、日を、超えている最中です
さて、本題はどこにいったかな
誰かとした経験、見た景色、全てその瞬間に初めて色づいたものである、そう信じています、信じたいから、信じています
一人で歩いて見上げた夜空と、昔々というほど遠くない記憶で居酒屋から出て手を繋いで見上げた夜空は、きっと違う。どちらがいいとか、そんなことはわからないけれど、二人で見た夜空は二人だけのものだったと、そう願っている
大学に入ればなぜかみんな恋と愛の違いなんてものを考え始めて
インフルエンサーは紙を贅沢に使って短文を書く
恋も愛も定義なんてなくていい気はします
誰かに向けて持った感情。時折それを恋と思いたくなる。なにより笑って欲しくなる、私は喜怒哀楽を人前で出すことがとても苦手だから、好きな人の感情の発露を通して世界にいれる、こんなめんどい感情を伝えるのは恥ずかしいから、好き、という便利な略語で誤魔化しています
そしてどんな形でも二人に別れが訪れたなら、もう二人の色彩に会うことはできない。復縁することがあっても、友達に戻っても、裏切られて、裏切って、後悔が滲んでも。もう会えない。それは寂しさと同時に、救いでもある。形はなくても二人でいたから芽生えた色がこの世にあったと、それにもたれて一時、生きることができる。
確かに私は世界の面白いところを見つけるところがちょっとうまいかもしれないけれど、それは相手がいて成立すること。ねえ聞いて。世界にはこんなに面白いところがあるんだよって、声を大にして伝えたくなり思わず携帯のカメラを開いてしまうような、またそんなと呆れながら、笑いながら話を聞いてくれる人がいたから。私のセンサーは常時onだったのです。あなたがいてくれたから、私は天才になれたのです、気づいてるかな。気づいてなかったなら、知って欲しいな。これもまた二人に芽生えた色彩の一つなのかな
今朝、吐いた息が白くなりました
それがなんだかむず痒いくらい嬉しくて、少し笑ってしまいました
冬ですね。