憲法9条の光をあまねく世界に
地球上の全ての国家の憲法に、日本国憲法9条と同内容の条文(戦争の放棄、戦力不保持、交戦権の否認)を記すよう要求しませんか?
世論や国家間の分断、グローバル経済の退歩、ウクライナ侵攻、台湾有事の危機、現在世界は第三次世界大戦勃発の危険に近づいているのではないかと思います。私にはその発生の確率がどれほどかはわかりません。
ただ、危機のそもそもの原因は国家が相互不信により戦力を保持、増強していくことにあり、それが続く限りこの危機は繰り返される可能性があると私は思います。
だから、憲法9条を世界に広めませんか?日本は9条を守れていません。それは一国で守れるものではない、それはすべての国家で同時に実践されなければ守れるものではないものだと私は思います。安全保障が安全保障を呼ぶ軍拡競争のちょうどその反対の鏡面のように、平和運動も相互的にしか実践できない。それは歴史的には、戦争のあとに来るものであっただろうと思います。
国家が戦争なしに自発的にそれを行うのは難しいと思います。というのも、国家は武力を持ち自国の利益と安全を保障する立場にある、つまり他国から不信の対象となる場所にいるから。
しかし、一般市民は異なる立場にいます。市民は直接的に国家に武力として相対しないからです。だから、国境を超え市民が同時に声を上げ、それを各国家に通せれば、国家は対外、対内的に軍拡の動機を失います。市民は国家よりもはるかに平和運動を行いやすい場所にいます。私たちが積極的に行動を起こせたなら、軍縮を行うのに戦争を待つ必要はありません。
具体的には次の2点を行います。
国連と署名を行った者の所属する国家に、戦争の放棄、戦力不保持、交戦権の否認の3項を要求する署名を提出し続ける。
1が実現した国家での署名は、その国家が国連総会に参加するすべての国家に対し1の実現に向け提言を行うことを要求する。
もちろん私は私の生きている間にすべての国家の武装解除ができるとは思いません。私は私が正気であることすら疑っている。しかし、例え生きている間には無理だとしても、それを目指すべきだと思います。その時まで人類が生きているのか知れませんが、100年後でも、200年後でも何千年後でも。それ以外に人の目指すべきところはなく、それこそが究極の目標なのだとすら思います。
なぜなら、第三次世界大戦ひいては核戦争の回避、環境問題の解決、それは分断された世界においても、現在と未来の全ての生物共通の利益であり、かつ現代に課せられた義務であり、現状最も普遍的な理念となりうるから。その目標は世界平和であり、それはひいては、自他の自由の相互承認、自他の理性の相互承認であり、義務と自由への希求が合致するところ。
環境問題の解決、第三次世界大戦の回避、この一つでも私たちが達成できず、未来の生存環境を毀損すれば、私たちは歴史上の罪人となる。逆に戦争だけでも根絶していく運動を始め、もしも世界の軍縮を進めたならば、現在と未来の人々が安全に暮らすことのできる世界に近づく。
仮に日本で改憲が起きたとしても、何ら目的は変わりません。実現するまで署名は集め続け、提出し続ける。
それが達成されたのならば、どんな争いのそれよりも尊いものとして、一つの歴史が残ると私は思います。
憲法9条の光をあまねく世界に広める、そんな世界史に残る運動を始めませんか。
そしてあるいは、この署名そのものをして一つの歴史にしましょう。たとえ生きている間に実らずとも、何百年、何千年、何万年の先まで、私たちが今ともに生きて平和を祈った歴史を、何も語ることのない固有の名で綴った、私たちの名前だけの歴史を、私たちの名がそこに導き、還る歴史を紡ぐために。
Run Into the 9 Japan https://chng.it/Qczfhg9jG8
国連提出バージョン : Run into the 9 United Nations