『ザ・ボーイズ シーズン4』
ドラえもんの道具で何がほしい?って会話は日本人なら結構な割合の人がしたことあると思う。その中でも「もしもボックス」は名前から浮かぶ効果のわかりやすさと、機能のすごさから選ぶ人が多いんじゃないかな。いわば歴史改変、あるいは異世界の創造を(正確にはシミュレート)するための道具なわけで、自分もあんなことやこんなこといいなな世界を見るために使ってみたい。というわけで『ザ・ボーイズ』です。楽しみにしていたドラマの最新シーズン。アマプラで毎週1話ずつ配信してましたが、あっという間に終わってしまいました。
本作はDCやマーベルに登場するヒーローものを土台としながらも、そういった超人能力を持った者たちが実際にいて、思想や性格が邪悪に染まっていたとしたらどうなっちゃうの?というタチの悪いジョークみたいな話を、ひたすらバイオレンスに、グロテスクに、下品に、露悪的に描いたドラマシリーズです。その点で先行する『ウォッチメン』とも「型」は近いのですが、あちらが真面目で重厚な語り口を使いヒーロージャンルの在り方を問い直し、現実社会の問題を浮かび上がらせていたのに対して、『ザ・ボーイズ』はひたすら茶化し、驚かし、見ていて痛みを覚えるような作品となっています。シーズン4でもそういった要素は健在で、授乳シーン、ロボトミー、プロポーズから始まる一連のグロテスクなやり取りなどなど、1話ごとに何かしらショッキングな場面が用意されており、最低で最高。とはいえそのようにアイロニカルな描き方をすることで現実社会の問題を直写しようとする狙いもあり、根底的なところでは『ウォッチメン』も『ザ・ボーイズ』も視座は近いと思います。
にしても相変わらずはちゃめちゃ。見ていて気分が悪くなる、あるいは興奮するであろう場面が毎話盛り込まれており、逆に「ザ・ボーイズ見てんな~」という安心感を覚えるほど。
超人であるホームランダーは回を重ねる程に幼児性が目立ち、いつ目の前の人物をビームで焼き殺すのか見ていてハラハラしますし、憎きホームランダーをぶちのめすため奮闘するブッチャーはコンパウンドVによって得た超人能力の副作用でまともな状態では無くなりつつある。セブン側にしてもザ・ボーイズ側にしても、登場する主役級の人物の多くがどこかに欠陥や外部的な問題を抱えていて、もはやバッドエンドまっしぐらといった感じです。やれやれ、なんて下品でグロテスクなんでしょう。
そして今シーズンは2024年のアメリカ大統領選とも重なっており、製作者もそのことをバリバリ意識しています。なんせ初っぱなから大統領選の話題で持ちきりですし、最終話の落とし所まで大統領選が絡んでくる。とにかくヒーローものという素材を使って、「いかにアメリカをイジり倒すか」ということに腐心しているようで、製作サイドの意地みたいなものを感じました。
トランプもまた複数の事件で裁判を抱えており、有罪判決も受けていますが、支持者からの支持を背景に公的な活動を続けているわけで、ここら辺のことはシーズン3でホームランダーが公然と人殺しをしたにもかかわらず彼を支持する人が後を絶たなかった展開と重なります。
しかし周到なのはそのバランス感覚であり、おぞましい展開・場面を多数用意していながら、それらを小馬鹿にするブラックジョークの感覚を忘れてはいません。そうすることでアメリカとヒーローものというジャンルどちらに対してもひとつ高い視座から疑問符を投げかける狙いがあり、不謹慎なネタだからこそ伝わってくるものがありました。
ヒューイの父親がそうであったように、今作では「父と子」という点と、「老いること(あるいは老害化すること)」も重点的に描かれています。
ホームランダーはシリーズ1開始当初の時点ではもう少し賢い、というか邪悪ではあるけれど立ち回りが上手なキャラだった気がします。けれど話が進むほどに「幼さ」や「多重人格」という面が強調されはじめ、それは様々な出来事のすえに、そして時間の経過とともに、彼の衝動性が強まっていることを意味しているのでしょう。
対してブッチャーはヒーローの力を得た代償としてコンパウンド癌が発症。自身の中にある凶悪性が制御しきれないレベルで育っていき、最終話においてそれが爆発してしまいます。双方ともやっかい極まりない存在として敵だけでなく仲間内からも認識されているのが哀しいやら可笑しいやら。もう誰も巻き込まず二人だけで好きに殴り合ってくれたらいいのに。
そして彼らの衝動性は脚本にも表れていて、やられたらやり返す!倍返しじゃ!という展開の数々はいつどこでとんでもない出来事が起きるのかわからないハラハラ感があるのと同時に、やや取っ散らかった印象も。スピンオフ作品である『ジェン・ブイ』で起きた出来事も踏まえて話が進行しているためこれまでよりも参入障壁が高くなった感は否めません。というか『ジェン・ブイ』はこれからシーズン2をやる予定になってるけど、本編と辻褄合わせをしたり、『ザ・ボーイズ』を見ていなくても話がわかるように作るのは大変だろうなあ、と余計なことまで考えてしまいました。
忘れてはならないのは、この作品がただ刺激的で下品な場面を見せることで視聴者の気を引こうとしているわけではなく、暴力に対して暴力で答えることが何の解決にもならず、さらなる悲劇的で混乱した状況を生み出すだけだということを伝えようとしている点です。『ザ・ボーイズ』の根本はそこだと私は思っています。最終話でヒューイがみんなの前で語ったこと、「憎しみではなく、赦しをあたえることこそが勇敢なこと」なのだというメッセージは地味ながらも本シーズンの核となる部分でしょう。トランプ暗殺未遂とリンクする場面や、大統領選の模様がリンクしていくことはこの作品の先見性やセンセーショナルな要素ではありますが、それ以上に重要なメッセージがここにはあります。
シーズン5でおしまいということは既に決定しているようなので、その前段階として「谷底」に落とされるような終わり方をしますが、よりファイナルシーズンの期待が高まりました。ソルジャーボーイとかセージとか能力者全滅の可能性とかいろんな要素がバラまかれた状態ですし(つうかアシュリーどうなった。コンパウンドV打ち込んで頭がボコボコに変形するところまでは見たけど)。
あと、さらに映画も作られるとか作られないとかそんな噂も耳にしますが、どうなるんでしょう。個人的にはホームランダーとブッチャーがガチンコで対決するところはちゃんと見せてほしい。出来たら泥臭く、かっこ悪く、何の憧れも感動も抱きようがない醜いバトルをしてほしい。翻って、本当の英雄はもっと別の場所にいるのだというメッセージを伝えてくれたらなと、そんなことを願っています。