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【短編小説】私と僕と夏休み、それから。(第11話/全12話)
緑は酔っぱらうと、時折、離れ離れになった娘の話をする。
そして頻りに謝る。ごめん、ごめんと。シオンはこんなにも緑に思われてるキコのことが心のどこかで羨ましかった。
だまって去ってしまったからまた会いたい、というのはシオンも自覚している本音ではある。しかし無意識に、「緑のために」どんな子に成長しているか確認したい、という気持ちがあったのかもしれない。
同じクラスになったのはもちろん偶然だが、計画通り同じ高校に入学し、狙って同じ委員会にも所属できた。席も隣だ。
これで、自然に接近できる。
小柄でさっぱりとしたショートヘア、大人しい系の女子グループ、当たり障りない地味さ。話してみると、見た目通り気弱そうで、緑に似た雰囲気があった。アイは誰に似たのだろうかと思った。
シオンは家に帰る前に、駅のトイレの鏡で顔を確認した。まだ、泣いた後だとありありとわかる。
「帰りたくねえなあ…」
洗面台に両手をつき、思わずそうこぼした。
かと言って、帰らないわけにもいかない。いやいや家路についた。
家はマンションの3階で玄関を開けると、ちょうど緑も仕事から帰ってきたところだった。
「お帰りシオン君」
シオンはさっとうつむき、自分の部屋に向かいながら返事をした。
「…ただいま」
「アイは友達とご飯みたいだから、今日は二人で夕飯だよ。できたら呼ぶね」
この顔で誰かと食卓を囲みたくはないけれど、さきほどキコに言われたことを思い出し、覚悟を決めた。
夕飯は冷やし中華と冷奴という、夏らしい家庭料理だった。テレビは夜のニュースが流れている。今日も関東は恐ろしく暑かったらしい。
もくもくと食べるシオンと、職場であったことを話してこの場を盛り上げようとする緑。目の赤みは引いているが、むくみはまだあるし、シオンの雰囲気から「何かあっただろうな」ということは予測できる。しかし、緑はそういうことには触れない。
(優しいっていうか…遠慮してんだよな。俺がこんな奴だから)
楽しい場にしようと話す緑は、黙ってるシオンに対して一方的に話しかけていた頃のキコにそっくりだった。
思い返してみると、シオンと少しでも良い関係を築こうと、努力してくれていたのだ。あの時のキコ、そして今まさに緑が、シオンとの交流を試みてくれている。
撥ねつけて、自ら居場所を放棄していたのだ。
緑の話題は職場からニュースに移っていた。箸でテレビ画面を指す。
「秘書がやっただって。そういうのはさあぜ」
「娘さん、キコさんに会ったよ」
緑は視線をテレビからゆっくりとシオンに移す。
「黙ってたけど、実は同じクラスなんだ」
「…そう」
「元気そうだよ。喋ったこともあるけど、見た目も中身も姉さんそっくりに育ってたよ」
「ええ?あんなに口悪いの?」
「姉さんの千分の一くらいだけど。特に態度が悪い」
「あらやだ、弟の面倒をよく見る真面目でいい子って聞いてたんだけど」
「ああ、それはそうだと思うよ。保育園のお迎えに行くこともあるんだって」
「へー、偉いなあ」
「得意科目は数学、苦手な科目は社会のリケジョ、着物に興味があって茶道部に入ったんだってさ」
「え、結構しゃべってるじゃない?!他には?」
それから、シオンはキコについて知っている現在の情報をあらかた、緑に話した。神社でのこと、子供の頃のことは伏せた。緑は目を潤ませながら話を聞いていた。
シオンは喋りながらも食べていたが、緑はじっと話に聞き入り、冷やし中華は半分以上残ったままだった。
「あれ、早く食べなよ」
「ねえ、キコに私のことは話したの?シオン君のお母さんになってること」
緑は、シオンがキコにすでに会っていることは、なんとなく、分かっていた。ただ、母親の話はするだろうか。自分のことをあまり話さないシオンの性格からして、それはないかもしれないけど、もしかしたら。
シオンはそう聞かれてどうしようかしばらく悩んだが、ここまで話したら黙っているわけにもいかなかった。
「話した」
話した。ということは…。
心臓が自爆するほど激しく動いているが、緑は聞いてみたくなった。
「…なんか…その、私のこと、とか、アイのこと、とか…何か言ってた?」
特にとか、別に、と答えることもできたし、昨日までのシオンなら、そうしていただろう。
「会ってみたいって」
緑の気持ちを考えてみたら、この言葉を伝えるのが一番いいと思った。
無事、緑の心臓も涙腺も自爆した。
今日は親子そろって、大号泣する日となった。
誠司は居間で録画していた大相撲を観ながら、第3のビールを飲んでいた。ダイニングテーブルにはさきいかとカニカマ、第3のビール空き缶が1つ。妻は息子を寝かしつけにいっている。
すると背後から、
「お父さん、ちょっといいかな話があるんだけど」
と、娘のキコが話しかけてきた。
「ああ、いいよ、何?」
キコは誠司の斜め前の椅子に座った。しばらくうつむいて、もじもじしていた。言いたいことはなかなか言い出さない、というのはいつものことなので、誠司はキコが話始めるまで相撲に集中した。応援している力士が負けた。
「っなんだよおい、気が緩みすぎだ!」
テレビに向かって悪態をつき、350ml缶に残っている三分の一ほどの中身を一気に飲み干す。テーブルの上にはこれで2本の空き缶が生まれた。
冷蔵庫から3本目を取り出し、席にもどろうとしたとき、キコが口を開いた。
「あのねっ、お母さんとお姉ちゃんに会ってもいいかな!?」
友達と遊園地行きたいからお小遣いちょうだい、くらいの話題だと思っていた誠司は、缶をぼとんと落としてしまった。しかも右足の親指にあたってしまった。
「いたあああああ!」
「わあ、大丈夫!?」
「あああ、別に大したことない、大したことない。えええと、なんでだ、なんで今更会いたいなんて言ったんだ??」
「その、実は……実は……」
本当は、子供のころから会いたいのを我慢してたの。
きっとそんな答えだろうと誠司は思いながら、落とした缶を拾った。が、全く予想もしない答えが返ってきた。
「お母さんの再婚相手の連れ子さんと友達になったのっ!」
会いたいよりも予想外の事実を知り、誠司はまた缶を落としてしまった。また親指に激突する。痛みが引く前に痛みが上乗せされ、さらに意外過ぎる娘の回答で、すべてがぐちゃぐちゃだ。声にならない悲鳴と悪魔の形相で、キコはおろおろしてしまう。
緑の再婚相手に男の子の連れ子がいるとは聞いていたが、まさか娘と知り合いになるとは思っても見なかった。
「だ、大丈夫?血は出てないよね?し、シップかな?」
「だ、大丈夫、ほんと大丈夫…で、友達って…?」
「うん、同じ学校で」
「え、同じ学校なん?」
「同じクラスで同じ美化委員なの、再婚相手さんの子供」
「ああ…たくさん、同じなんだな…」
「あ、確かに。すんごい偶然。シオン君っていうんだけど、その子から今のお母さんたちのこと聞いて、会ってみたいって思ったの…いいかな?」
別れた直後にも、「会いたいなら会ってもいい」と伝えていた。「会わなくていい」というので、それからは尋ねなかったが、今になってそんなことになっているとは。
「も、もしかして彼氏か?!結婚したらお母さんがお義母さんになっちゃ」
「やだ違うよ、やめて!それはありえない!何考えてるの!?」
「あ、ああそうなんだ、そうか、すまん」
ふと、キコがはっきりと「何かしたい」という意思を口にしたのは、初めてじゃないかと思った。
常に親の言うことを聞き、親が怒るようなことはしない「良い子」で、手がかからなかった。再婚相手とも仲良くしている。
良い娘だと見てきたが、そうではなかったのかもしれない。本音を言えない状況を、大人が、自分たちが作り出していたのではないだろうか。
誠司は、娘の初めての素直なお願いに応えてやりたくなった。
「ああ、会いな。会うといいよ」
「ありがとうお父さん」
ソーダ水のような、すっきりとしたほほえみだった。
「お父さんも、お姉ちゃんと会いなよ」
その言葉を耳にした瞬間に、誠司の目から勢いよく涙がこぼれだした。
幼い息子がようやく眠り、自分も疲れたので寝ようと思った妻の耳に、泣いているような声が聞こえた。下からのようだった。
テレビ?もしかしたら、親子喧嘩をして娘が泣いているのか?と思い、用心しながらも速足で階段を降り、1階の居間へ向かう。
居間に入ると、滝のような涙と鼻水を流し、盛大にひっくひっくと泣く夫と、ちょっとだけ泣いたけどお父さんが泣きすぎて泣けなくなった娘がいた。