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【小説】神社の娘(第34話 葵、タケノコを掘らずにゴリラを倒し、そして聞き出す)

 役場の裏の竹林を会場に、毎年春になると「タケノコ大発掘会」が開催されることは既出の通り。今年もその時期が到来し、本日、美味しいタケノコを食べたい職員たちが、よいしょよいしょと大奮闘している。

 しかし、今年の環境部野生動物対策課の面々にそんな暇はない。昨年までなら午前中から全員が参加できるほど余裕があったというのに、今年の午前の部は課長しか参加できなかった。

 課長は、参加していた。

◇◇◇◇◇

 職員たちがタケノコを掘っている頃、葵と樹は高い木の上から妖物を見降ろしていた。体長5mほどありそうな二匹のゴリラが、のしのしと辺りを歩き回っている。

「ゴリラは初めてだな」

「日本にいるう?野生のゴリラ」

 顔はほとんどのっぺらぼうに近く、パチンコ玉ほどのつぶらな瞳がちょん、とくっついているだけだ。

「ボディビルダー垂涎の上腕二頭筋に胸筋…僕もほしい、じゃなくて、ちょっと殴られただけで骨がくだけちゃいそ!気をつけよ!」

 葵はこれ以上筋肉をつける必要がない樹の上半身を、目の端でちらと見る。

「筋力はありそうだが、俺たちには気付いてないみたいだ」

「気配を感じるのが苦手タイプかしら。おニブちゃんね。こーつごうっ!」

 最近、葵はほとんどの仕事で樹とペアを組まされている。唐揚げが「ああ、これヤバいかも」という妖物にはだいたい、この二人を当てているのだ。「向日葵と組みたい」という進言は反映されず、今日も今日とて、朝から葵は兄の方、樹と駆除に出ている。

 とは言え、葵は昔から樹の事は好きだし、仲も良いので文句はない。これが彼を目の敵にするクズの蓮だったら辛い毎日であったろう。一応、課長も蓮の性格と相性は理解し、葵となるべく組ませないようにしている。

 樹は支援系の能力者の中でもトップクラスの実力を持つ。彼の駆除道具は2mほどの鋼の棒。これで殴り隙を作る事もするが、メインの使い方はもちろん有術だ。彼の有術を纏った棒を妖物の体に押し付けると、しばらく「静止」する。その間に、葵ら日本刀軍団が駆除するというのがお決まりの流れである。

 彼と同じ能力者たちは金属の重量感ある棒を扱うためか、総じて体格に恵まれているが、彼は特別大きな体を持って生まれ、訓練を通してさらに巨大な筋肉を得た。妹も女性にしては背が高いけれど、道具は必要ないし軽い身のこなしを要求される能力のせいか、体はほっそりしている。

 妖物たちは活動範囲が決まっており、基本的にはそう広くない。このゴリラたちもそうだ。加えて、ゴリラたちは規則的な歩行を繰り返していた。

「よし、次にすれ違ったら」

「アオちゃんが左のゴリを斬って、僕が右を静止させる」

「何秒くらい止められそう?」

「うーん、鈍いけど腕力すごそーだから…15秒くらいかな。ってことで、一瞬で倒して超速で僕んとこ来てねっ」

 そう言うと、葵と樹は同時に飛び降りた。

 ゴリラは日本刀があと1mと迫ったところでやっと人間の存在に気づく。立ち上がったと同時に葵の刃が首に入った。葵はゴリラの首と胴体を切り離し、足を地に着けたと同時に全速力で走り始め、樹が静止させているゴリラに向かう。

 樹は中途半端に立ち上がったゴリラの腹に棒を入れ、「9、10、11、12、13…」カウントしていた。

 静止限界まであと数秒というところで葵がゴリラの背後に肉薄した。日本刀が、ゴリラの頭から尻まで、縦に真っ二つにした。

「わー、あおちん間に合ったー!」

 どろどろ溶けていくゴリラを前に、樹は棒を天に振り上げて喜んだ。

「あぶな!」

「あらごめんちゃい」

 村1番の長身で迫力ある身体が、向日葵そっくりの笑顔を浮かべて葵の隣に並ぶ。

「あー、終わったねぇ!午後からタケノコ掘れるかなあ。奥さんにもお母さんにもさ、今年も持ってきてほしいって言われてるの。お化けちゃんたち、もう今日はでないといいのになぁ~」

 樹は長い棒を持ちながらスキップする。後ろに人がいないからいいものの、いたら事件になっているだろう。

 お昼ご飯の歌(作詞作曲 樹)を歌い始めた彼を横目に、葵はお昼ご飯ではないことを考えていた。

 葵は今日、樹に「あの事」について探りを入れてみようと決めていた。

 向日葵の飲酒理由だ。

 日曜は結局、向日葵に逃げられてしまった。電話もメッセージも無視されることは分かっているのでしていない。

 今日の出社時に葵が向日葵に挨拶すると、睨まれ、少し近づいただけでさっと避けられた。このままだと、またしばらく無視されてしまう。葵はどうしても回避したかった。

 話したい事が話せて、聞きたいことが聞けて、そしてお互いの事情も全部知っている。向日葵に甘えているのは自覚しているけれど、葵が心を許せる相手は彼女しかいない。情けない部分ばかりの彼もひっくるめて、すべて受け入れてきてくれた。桜も葵の家庭や個人的な事情等、深いところまで知っている一人ではある。けれど、彼女は守る人であり、妹のような存在だ。

 前回の無視、お姫様抱っこ事件は葵が原因だった。今回も葵から逃げているということは、自分がらみかもしれない。謝れるなら謝りたいし、それに、もし誰にも言えないような悩みがあるなら、解決できるかは分からなくとも、葵は彼女に寄り添ってあげたかった。甘えている分、できることはなんでもしたい。下戸が酒に手を出すなんて、よっぽど精神が不安定に陥ったのではないかと推測していた。

 樹が知るはずはないだろうとは思いつつも、彼は妻のよう子とともに二宮本家にて親と同居、向日葵は同じ敷地内の離れに住んでいる。一応、同じ敷地内にはいるので、何かしら変化があれば感じているだろうと睨んだ。

「なあ樹ちゃん」

「はあい?」

「こないだ、ひま」

「あああああそうそう!アオちゃん!」

 葵が質問しようとすると、その100倍の声量で樹がかぶせてきた。葵の声は消滅してしまった。

「〈舎弟のきっぺい〉って知ってる?!」

「はあ?舎弟のきっぺい?」

 〈舎弟のきっぺい〉とは、おそらく八神橘平のことだ。予想外の話題に間の抜けた声が思わずでてしまった。

「そおおおお!聞こう聞こうと思ってたけど忙しくて遥か空の彼方だったの。あのね、ひまちゃん、この間、飲めないのにお酒飲んじゃって~!!」

 ちょうど葵が知りたい話題を樹から振ってくれた。これ幸いと、聞き出す態勢に入る。

「げ、マジでー?何かあったのかなー、向日葵が酒なんて」

 棒読みが過ぎるけれど、興奮する樹はまったく気にせず会話を続ける。

「僕もそれが気になって!ひまちゃん、ちょっと前、久しぶりに僕の部屋に来てくれてさ」

 夜の11時頃の事だった。夫婦はそろってベッドフレームにもたれかかり、何も考えずに見られるバラエティ番組を流しながらホットミルクを飲んでいた。

 すると、突然、向日葵が樹夫妻の部屋の扉をノックもせず開けた。うつむき加減で表情は詳しくはわからないが、北欧系デザインの鮮やかで大きな花柄の買い物バッグを手にぶら下げていた。

『わ、向日葵ちゃん。なに?』

 予告のない訪問にびっくりしたよう子が話しかけた。見られて困るような事は何もしていないとはいえ、ノックぐらいはしてほしい気持ちをにじませる。

『やだ~ひまちゃんから部屋に来るなんて一億年ぶり~!?一緒にテレビ見よ!』樹は手招きする。

 向日葵は千鳥足で、無言で樹の目の前に立った。

 真っ赤な顔と首、充血した白目、するどい目つき。夫妻は一目で、妹の異常さに気付いた。

『ど、どうしたの?もしかして具合悪いの?病院行こうか』

 樹は立ち上がり、妹の顔をしっかりと見ようと顔を覗き込む。よう子も一緒に立ち上がった。

 向日葵は彼の行動を無視し、買い物バックから500mlのビール缶を取り出した。

『んん?僕にくれるのかな?』

 向日葵はプルトップを開け、樹の胸に缶をぐいっと押し付けた。

『飲め』

『ね、寝る前だからお酒は遠慮しよかな〜』

 開けたビールをローテーブルに置き、向日葵はバッグからもう1本取り出し、ぷしゅりと開けた。

『よう子ちゃんの?』

『わだしの分』

『はああああ?!もしかして、真っ赤なのって』

『あははー!!飲んだー!!』

 向日葵はするどい顔から一転して、大きな口をあけて笑った。

『激よわなのに、だめじゃない!』

『うるぜー!!私は今日、飲むんだー!』

 そう叫んだ向日葵は、テーブルに置いたビールを手にし、樹の口に無理矢理押し付けて飲ませ、同時に自分も飲むという荒業を繰り出した。

『わわわー!?向日葵ちゃん、何してるの!?樹君、樹君!!』 

 女性としては一般的な体格のよう子だが、大きい人の多い二宮家では一番小さい人である。義両親も背が高いのだ。大きくて怪力な義理の妹を止めることはできなかった。

 

 絶妙に似ている向日葵のモノマネを交えて、樹は当時を語る。喋るたびに大げさなジェスチャーがつき、鋼の棒があっちこっちに振り回されるが、葵は避けつつ話を聞いた。

「火事場のバカ力っていうのかな。リミッターの外れたあの子には、僕でも対抗できなかった……」

 向日葵は一気に飲み干し、後ろから倒れ込みそうになったが、よう子がなんとか支えてくれたという。樹はすぐよう子に代わり、妹をお姫様抱っこで離れまで運んだ。樹自身も無理に飲まされ気持ちが悪く、変なげっぷが絶えず出るような状態で、よう子が後から二人の様子を見届けていた。

「でさ、頭ぐらぐら、体ふにゃふにゃなのにジャージのポッケから電話出して。お友達にでもかけるのかなーって思ったらさ、画面に〈舎弟のきっぺい〉って出てたの」

 樹の腕の中、向日葵はふらふらする指先で電話帳を手繰る。

『あっだ~きっぺ~』

 向日葵は名前をタッチする。樹が画面を覗くと〈舎弟のきっぺい〉と表示されている。

『きっぺい?それだーれ?』

 ぎゃはーと向日葵は笑い叫び 『弟!!超かわいい!!兄貴より兄弟仲がいいのお!!』

 離れに着くまで向日葵は笑い続け、電話はしなかった。樹が妹を布団に降ろすと、枕元には強めのレモンチューハイ350ml缶が2本転がっていた。

『うわ、これ飲んでから来たわけ?』

『そだよーれもーん!おやすみばいばい。きっぺーと仲良し電話するから帰れ筋肉』

 内容は気になったが、盗聴は趣味が悪いと樹はそこからすぐに去った。お酒に頼るほどなので「僕には聞いてほしくないだろうし」そう推量したという。

 離れを出ると、中から金切り声と『きーちゃん』と名を呼ぶ声が聞こえた。

 

 酒を飲んだ理由はいまだ不明だが、酔っぱらって橘平に電話したことだけは判明した。少年が理由を知っているかもしれないと葵は考える。

「ジェラよね~僕より兄弟って何?ねえマジ誰?ほんとに誰?」

 酔って電話するのが高校生と聞いたら、樹はどう反応するだろう。葵はあまりいい反応ではないと想像した。

「ええと…」

「きっぺいって彼氏かな?」

「は?」

「それか、酔わなきゃ電話できない相手かしら。オモイビト?カタオモイ?ほらあの子、浮いた話も、そういう素振りも気配も昔っから全然ないじゃない。好きな人くらい出来たことあるんだろうけど、彼氏はできたことないのよね。それに僕には本音言わないし……」

 樹は困り果てたように、眉を寄せる。

「ねえ、昔から一緒に桜ちゃんのお守りしてるアオちゃんなら、何か知ってるんじゃない?教えてくれないかしら。そういうことなら応援してあげたいし」

 葵は〈舎弟のきっぺい〉がそういう相手ではないことをよく知っている。けれど、〈舎弟のきっぺい〉を知っていると答えるのは正解なのだろうか迷った。

「…そういうヤツがいるとは聞いたことないけど」

「むむーん、そっかあ…」

「そもそも、相手が男かどうかもわからないじゃないか。もしかしたら、わけあって女性を舎弟って登録しているんじゃ」

 言いかけて、葵は向日葵に「秘密の女性がいる」ように話していることに気付いた。訂正しようと口を開く。

「違う、樹ちゃ」

「ああああそういうことか!!だからあの子ったら、お見合い全部断ってるのねええ!!そういや『きーちゃん』って呼んでるの聞こえたああ!!」

 案の定、樹がそのように解釈してしまった。村中にまで聞こえそうな迫力ある声量で、葵は思わず両耳をふさぐ。

 お見合いを拒むのは単純に、桜の高校卒業までは時期じゃないからだし、他の大きな理由もある。その事情は絶対に話せないけれど。

「どうしましょう、兄としては応援したいけど、次期家長としては応援しづらいような…いやでも、跡取りじゃないから別に問題はないわけだし…」

 先ほどとは正反対に、蚊の泣くような頼りなげな声量で樹は戸惑う。

「あ、いや、樹ちゃん、ちが」

 樹のがっちりした手が、葵の両手をがっしりと包む。

「僕の代わりに、向日葵のこと、応援してくれる?」

 邪気の無い瞳が葵を圧倒してくる。

「ああ、はい、応援します…」

「ありがとう!!」

 やっばり笑顔がそっくりの兄妹だった。

 容赦なく抱きしめられた葵は、骨が軋むのを感じた。

◇◇◇◇◇

 午後も妖物の出現はあったが、課長曰く「普通のヤツ」ということで、葵と樹の出番はなかった。樹は課長とタケノコ堀に出かけ、課には入力作業に没頭する向日葵と報告書の作成やその他作業をこなす葵だけになった。

 葵はおもむろに席を立ち、向日葵とパソコンの間に無言で真四角の付箋を割り込ませた。

 突然現れた黄緑の付箋に向日葵はびくっとしたが、そこにはカクカクした上手くも下手でもない字で【きっぺい君の電話番号教えて】と記されていた。

 また葵からの明々後日からの話題だ。

 酒の事を聞かれたくなく、朝から彼を無視していた向日葵だったが思わず、「え、知らなかったの?」話しかけてしまった。

「知らなかった。教えてほしい」

「じゃあメッセージで送るから」

 これをきっかけに、向日葵の無視はあっけなく終了してしまった。

 向日葵も無視をしたいわけではない。終わりはいつにすればいいのか、ずっと迷ってはいたのである。

◇◇◇◇◇

 橘平がベッドの上で桜に〈うーん、女子が男子たちと野宿は……良くないと思うよ〉などとメッセージのやり取りしている最中、突然、覚えのない電話番号からの着信が鳴り響いた。やはり知らない番号はびっくりしてしまい、無視してしまった。

〈知らない番号から電話来た誰だ、知らない番号びっくりする〉

〈出てみたらいいのに〉

〈うー、じゃあ次かかってきたら〉

 と打ったそばから、同じ番号より着信があった。橘平は恐る恐る出る。

「はい、どなたでしょうか」

『橘平君?』

 聞き覚えのある、しんと静まり返った暗い森を思わせる低い声だった。

『葵だけど。番号は向日葵から聞いた』

「え?!あ、葵さ、えっと、何か急用でも!?」

 わざわざ向日葵から番号を聞くほどである。

 何か重要な用事があるのではと、橘平はスマホを両手で持ち、耳に押し付けた。

『この間、酔っぱらった向日葵から電話来た?』

 橘平は目が点になった。それも、その時の悩みは解決しているはずだ。

「い、いまさら」

『何?』

「いいえ、何でも、ちょっと虫が」

 どの程度話していいのか迷うけれど、飲酒後に橘平に電話したことまでは、すでにバレているようだ。

「ありました。結構前の話ですよ?」

『理由知ってるか?』

 電話相手のせいである。電話があったことは隠さなかったが、その理由について話してはならないと橘平は思った。

『向日葵って酒にめちゃくちゃ弱くて、飲まないって決めたはずなんだけど。そんなヤツが飲むって何かひどく辛いことでもあったのかと…』

 その言葉の後、葵は無言になった。

 橘平は向日葵を心配しての電話だと察し、口元が緩んだ。恋の応援は困難かと思われたが、意外とそうでもないようである。

「アレ、葵さんのせいですからね!俺酔っぱらいに絡まれていい迷惑っすよ。でも解決したんで。もっと優しくしてあげてくださいね~。おやすみなさい!」

 橘平は勢いよくかつ嬉しそうにそう言うと、さっと通話を切り、電話番号を〈三宮あおい〉で登録した。

 

「なんだ俺のせいって!そこを言えよ!舎弟!」

 一方的にぶつ切りされた葵は、電話の画面に向かって軽く舌打ちした。ソファに思い切り体を預け、天井を仰ぐ。

 もやもやした感覚は残るも、「向日葵の無視は終了したからいいか」それ以上のことは望むまいと、心の中で区切りをつけた。

「……向日葵をイジメているつもりはないけどなあ」

 また見当違いなことを考えつつ、体を起こして寝室へ向かった。

〈電話、葵さんだった!〉

〈えーそうなんだ。番号知らなかったの?〉

〈うん〉

〈何かあった?〉

〈別に。向日葵さんが心配なだけの電話〉

〈ふーん。心配ねえ〉


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