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【連載小説 第25話】初対面の小学生女児から「お父さんと結婚して」と言われた35歳、無職。

●第25話 ヒョウに襲われて泣いちゃうお父さん



 と、別れたはずの二組だったが。

 まつりたちがマンションにつくと、エントランス前でまなみが仁王立ちしていた。小林は一歩引いて後ろに立っている。

「婚姻届け! 証人! サインしてない! くれ!」

 まなみとあんな別れをしたばかりの駿は、まだ彼女と同じ空間にいるのは気まずかった。まつりもそれは同じで、多少はましな空間を作るために、駿に「夕飯の買い物」を頼んだ。

 そういう訳で宇那木家の主人抜きで、まなみたちは502号室にあがり、今、ダイニングテーブルでまつりがサインを書いている。すでにまなみの蛮行を気にしていない真冬は隣でその様子を眺めながら、質問した。

「お父さんとお母さんも、いつかこれ書くの?」

 誰よりも素早く、まなみが厳しい視線で突っ込む。

「書ける日、来るのかね」

 まつりはボールペンの上をかちりと押し、ペン先をしまった。そしてトン、とテーブルに置き、目の前で片肘をついて座るまなみに問う。

「書く必要ってある?」

「あるだろ、結婚するなら」

「書いてて思ったけど、このぺら一枚で関係をどうこう決められるって癪だわ」と、婚姻届を両手に持って眺める。「そもそも出会って2ヶ月も経ってないのに、周りが急かしすぎなんだよ。見た目通りのんびり屋なんだから、見守ってあげて」

「だから心配なの! あいつ死ぬまで悩みっぱなしで、ねえちゃんのこと心から好きって言わないかも」

「側にいられればいい」

「よくねえよ」

 まつりは婚姻届をテーブルの上に戻した。

「倫太郎さん言いましたよね。親になるって血の繋がりじゃないかもって」

 小林は軽く頷いた。

「確かにそれはあります。だって私、真冬ちゃんの母親になりたい。子供の世話って大変だし、注意することも、イライラすることも……でも、さっきまなみに押さえつけられたの見て、わ、私が、ま、守らなきゃって」ず、っと鼻を啜った。目頭と鼻が熱くなってくる。

「なりたいじゃないよ、もうお母さんだよ」

 どんな自分も肯定してくれる真冬に、まつりは微笑みかける。

「まだダメダメよわよわ。修行中。それと同じで、駿くんとの関係だって、紙の上だけじゃないと思うんだ。これからゆっくり作り上げていくよ。死ぬまでに答えが出たら嬉しいな」

 まなみは姉のその微笑みを疑わしく探る。その言葉の裏を掘る。このみが頭から消えているとは思えないが、駿を慕う気持ちは強いようだった。

 駿への気持ちが上回っている、それだけでうまくいくのだろうか。結局、社会で家族を作っていくには社会に従いはっきりさせた方が有利な場面は多く、のんびりしていたら後悔することだってある。失敗したとは言え結婚済みのまなみには、姉が幼く見えた。

 なまっちょろい理想を掲げる姉には刺激が必要だなと、まなみは質問してみる。

「子供できたらどうすんの?」

「は、へ?」

「そうなったら、あのグズ太郎もシャキッとすんのかな。流石にねえちゃんも、のんびりしてらんないだろ」

「ちょっと、やめて子供の前で」

「きょうだいできるの?」

「できない」

「妹がいいかな、おとう」

「できません!」

「そこで考えることになるさ。ふゆ子の親になるのもそうだけど、ココロの繋がりだけでどこまでうまくいくかね。早くハンコ押してちょんまげ」

 まつりはさっと下を向き、印鑑をケースから取り出し、押印した。

 世間一般的にはまなみが正義だろう。それが普通の形だ。姉を心配するからこそ厳しい態度であることも、その気持ちが得難いほどのものだということも分かっている。

 しかし、法的な根拠があっても離婚はする。血縁関係があっても憎しみ合う。強力な箱があっても心という中身が伴っていなければ、空箱も同然だ。精神的なつながりがあればこそ、助け合い、乗り越えて生きていける。

 囲ってしまってから中身を育てる方法もあるだろう。でもまつりにとって、中身のない箱はいらないもの。作るつもりはない。

 まつりは駿のペースに合わせて生きていきたいと思い始めていた。これまで、自分軸で、自分が正義で生きてきた頑固でお節介な人間だったけど、駿と過ごすうちに、寄り添うことの幸せが見えてきた。真冬の母親になりたいのもそうだが、自分の命を二人に捧げたいと心から願うようになってきた。

 このみの真実を知った直後は動揺したけれど、これから彼の抱える気持ちを理解すればいいだけ。それに「真冬の母」を好きであったからこそ、真冬を実の娘として育てられたのかもしれない。素直な良い子に育っているところを見ると、それは必要な愛情なのだ。

 ティッシュで残ったインクをふき取り、印鑑をケースに収納した。

「ありがとうございます、まつりさん」

「こちらこそ、末永く妹をよろしくお願いします。お茶、いれ直しますね」

「もう帰るからいいよ。証人ありがと」

 と、まなみがぶっきらぼうに言い立ち上がると、リビングと廊下を繋ぐ扉が開いた。

「あ、た、ただいま戻りまし、た」

 駿が帰宅した。手には青い買い物袋をさげている。

「お帰り。二人、もう帰るって」

「ああ、えっと、今日はいろいろとお世話になりました。そ、その」ごくりと唾を飲み込み「た、頼りなくてすいません。でも、こ、これからもよろしくお願いいたします」と、深々とお辞儀した。

 まなみは手のひら側を上に向け、人差し指以外を握る。

「駿、顔かせ」

 人差し指を動かして駿を呼んだ。おっかなびっくり駿はそれに従い、遠からず近からず、微妙な間合いをとった。

「ねえちゃんがこの家にいたいっていうからさ、今日は帰ってやんよ」

 駿は何も答えず、固まった表情でまなみの手のあたりに視線を落とす。その手がふわりと動き、駿を優しく抱きしめた。まつりを思わせる温かさが伝わり、駿はもう怖くない方のまなみだと安心する。と同時に、初対面の女性に抱きしめられるている不思議な状況に違和感を抱く。

 まなみはゆっくりと体を離し、ハチミツのようなとろける笑顔で「ねえちゃん泣かしたら、じいちゃんと一緒に」、バレンタインチョコのような甘い声で「お前コロス」

 可愛らしい様子とは裏腹に、血なまぐさい感情が充満したひと言に駿の肝が冷えた。そしてまなみは男のような声で「覚悟しろ!」駿のシャツの胸元をぐいとひっぱり、しっかりと唇を合わせた。

 突然のことに駿は目を見開き、頭が真っ白になった。

 真冬は初めて至近距離で見るそれに興味津々である。

 ぷ、っと口を離すとまなみは笑い声をあげた。

「あはははは! グズグズしてっからだよ、ばーか! 悔しかったらねえちゃんとしな。あーグズ男は自分からはムリよねえー。ねえちゃん今夜さ、深めにやってやれよ。じゃ」と、大股で玄関に向かっていった。

 呆然としていたまつりは我に返り、「子供の前でなんてこと!」まなみを追いかけ背中をひっぱたいた。

 やかましい玄関とは対照的に、真冬はにこやかに小林へ話しかける。

「倫太郎おじさん、フレンド申請しとくね」

「ありがとう。すぐ承認するよ」

「新イベント始まったら、お母さんと三人で一緒にクエストやろうね」

「リアルのゲーム友達久しぶりだよ、楽しみだなあ」

 小林はぽかーんと口を開けた駿に「まなみさん、君がお姉さんを幸せにしてくれると期待してるんだよ」と後光を放ち語りかけ、真冬に「僕の家にも遊びに来てね。じゃあ、また」と言い、その場を後にした。

 真冬も玄関に向かい、一人リビングに残った駿。じわりじわりと意識が回復する。

 2人を見送ってリビングに戻ったまつりは、駿の顔にぎょっとした。立ったまま、ぼろぼろと涙を流しているのだ。

「ちょっと、どうしたの」

「うう、う……は、初めてを……ヒョウ柄に……ヒョウ柄お……」

「そんなことで泣いてるの?」

「そんなことって!」

 駿は半殺しどころか、まなみに精神を完全に殺された。頬はまだ我慢できたが、これは難しかった。まさか、初めて会った女性から初めて暴行を受け初めての口づけまで奪われるとは、夢にも思わなかった。そういえば、まつりに抱きしめられたこともなかった。さまざまな初めてを奪われ、辛く、悔しくなってきた。

「むしろ光栄に思ったらいいよ」蚊に刺されたくらいで、といった風にまつりは言う。「あの子、美人でもなんでもないのに異常にモテるのよ。私と違って、意外と高嶺の花子ちゃんよ」

 暴力的で怖い。けれど、ふとした瞬間がまつりのような愛情深さを思わせる。そのギャップが良いのだろうと駿は考察したが、異常にモテるというのは不思議でならない。しかも、人を半殺しにできる狂気も持ち合わせている。

 駿が垂れてきた鼻水を手の甲で拭こうとすると、まつりがティッシュボックスを差し出した。さりげない優しさが、駿の琴線に触れる。

 凶暴なヒョウの妹より、お節介な姉の方が優しくて可愛らしい。あれがモテるなんて理解不能。と思った駿だが、まつりが高嶺の花であったら、自分のような情けない人間と住んでくれなかっただろう、まつりはモテてなくて良かったんだ、安心した。という、彼女に対してなかなか失礼なことを考えた。

 まつりの持つボックスからシュッシュッとティッシュを2枚取り出し、ちーんとかんで、紙を丸めた。また鼻水が出そうになり、ティッシュを取ろうと手を上げた。

 目の前にまつりがいる。

 まなみの言うように、今、まつりと。駿はぎこちなくまつりに顔を近づける。

「あ、やだ!」ティッシュボックスを駿の顔に押し付け「まなみに操られてるみたいで嫌。まだ鼻水でてる、拭いて」ぷいっと、ダイニングテーブルにある湯のみを片付け始めた。

 駿の顔からボックスが落ちる。

 ハッキリ拒否されたのは辛い駿だが、そもそも、片思いに決着のついていない自分がまつりに接触できる資格はないと自覚する。落ちたティッシュボックスを拾い、ゆっくり箱からティッシュを引き抜いて、垂れゆく鼻水を抑えた。

●おまけ
「お母さんお母さん、倫太郎おじさん、クリファンユーザーなんだよ」
「え? ゲームしなそうな顔なのに意外~」
「お母さんと倫太郎おじさんと私の3人で遊ぼって約束した」
「あれ? 俺は?」
「お父さん、オフラインじゃん」
「あ、いや、オンラインも一応……」
「仕事でしかたなくでしょ。楽しみだねー、お母さん」


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