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教育の目的

子どもたちに幸福に生きてほしい!!


こんにちは! NPO法人はるの代表のりょうちゃんです。

僕たちは教育・福祉・心理など子どものサポートをする仕事をしています。
だいぶ前の話ですが機会があって何人かの心理学を学ぶ大学生に聞いてみました。
では、そのそもそもの目的はなんだろう?子どもたちにどーなって欲しいんだろう?

学生たちは答えてくれます。
「幸せになってほしいな」
「楽しく生きてほしい!」
「自由を手にすること」
「自分らしく、ありのままに育ってくれれば、、、」

こんな言葉が出てきました。
いいですね、「そうそう!」って思います。


そもそもの教育の目的

そもそも子育てや教育の目的ってなんでしょうか?
いろんな人に聞けば価値観や信念、立場に従って、「みんな違うもの」が出てくるでしょう。
でも一方で、それぞれを丁寧に深めれば、きっと「幸福」とか「自由」とか出てくるのではないかなーって思うのです。
深いところでは多くの人が共通した答え、もしくは似たような答えが出てくると思います。
上記の学生たちの答えも、バラバラなのではなく、共通点がある感じがします。

ただ、考え出すとキリがないので、いったん、「幸福(ウェルビーイング)になる力を手に入れる」ことが「教育の目的」ってことにします。
もっといろいろ考えるべきかもしれないけど、シンプルだし、それを否定する人もそう多くない気がするからです。「とにかく幸せになってくれればいい!」ってことです。


でも…現実はモヤモヤだらけ…なんだけど!!

子供たちに幸福に生きてほしい!本当にそう思います。
そこで目の前の自分の息子をハタと眺め見ると、、、(僕は、小6の男子を育てております)アニメかYOU TUBE、そしてスイッチで友達とオンラインでワイワイ。
部屋も汚いし、ゴミも捨ててない!家族のイベントにも参加しないことが増えたし、なんか行きあたりばったりだ!一日中、ダラダラしてる、、、!!
確かに彼は今、楽しそうだ!あれはあれで幸せなのか?! 将来は大丈夫か? 父はモヤモヤ…。勉強させないと!手伝いさせないと!片付けさせないと!時間管理させないと!父、モヤモヤ!イライラ!そろそろ我慢できんぞ!

父 「勉強したんか!?」息子「わかってる!やるって!!!」父 「お…おう…。やるんだぞーー」

息子に冷たくあしらわれた父は、ひとしきりモヤモヤした後に立ち止まり、「ま、いっか」って思うのです。
日々、学校頑張っているしな、友達もいるしな、勉強もしていない訳でもない。
「親があれこれ縛って親の顔色見るようになるくらいなら、自分らしくいられる方がいいな」
と。「俺の子育て、甘いのか??」とも思いつつ。


子どもたちに自分らしくいてほしい

たくさんの子どもたちが育つプロセスを見てきました。
僕の仕事のいいところは小学生から高校生まで、あるいはその先まで関わり続けれることです。
実は、これは学校の先生にも親にもあまりない特権です。先生は短期間のプロセスだし(担任の期間は1年から3年くらい?)、親はたくさんのプロセスを見られない(子供を何百人も育てられない)。
で、その特権的なところからみて、心の底から思うことは…「自分らしく生きることの大切さ」…なのです。
これを身につけて自分なりに実感し、これをベースに生きることが、どれだけ大事かってことです。
本当にどれだけ言っても言い足りない、平凡だけど、とんでもなく大事で、かつ大人が、この社会が見落としがちな視点です。この「自分らしく」っていうところには、自分を理解すること、自分にOKを出すこと、自分を大切にすること、自分で決めること、などいろいろ含まれます。大事なのは、親の願いに従うことでも、教育のレールに適応することでもないんだな!


幸福でいるための条件とは??

いろんな心理学の仮説や研究が「自分らしくあること」の大切さを裏付けていると思っています。
幸福(ウェルビーイング)についての仮説の提案や研究を見ると、なんか似通っている(これについては、またどこかで書きますね)。
それらを僕なりの言葉にしなおすと、幸福でいる人は「自分らしく生きる」かつ「他者とともに生きている」ということ。
だから子供たちの幸福を目的としたときに、子供たちに身につけてほしい力は、「自分らしく生きる力」と「他者と共に生きる力」この二つになるのではないか??これが僕の仮説です。本気で大事!って思っています。

勉強は大切です。知的好奇心を満たすことは「自分らしく生きる力」につながります。自信につながれば、自分にOKを出す力になります。それがお仕事につながって誰かに喜ばれれば「他者と共に生きる力」につながります。
でも、学ぶことが自分を押し殺すことにだってなり得る、他者にマウントをとる武器になることだってある。

お手伝いも大切です。自分らしく他者に役立つことを実感することはとても大事なことです。人は承認欲求があるから、適切に他者に貢献することは大事なのことなのです。
でも無理やりそれをやらせても、自分で考えないで自分を押し殺し、他者の顔色だけで動く人になるかもしれないのです。

勉強(学び)もお手伝い(活動)も大事です。だけどそれをやったその先にあるものは、一つにきまらない、とても個別的なものなのです。大人は常に「それが何に繋がっているか?」を考える必要があります。

教育実践の根っこにある問い


だから、僕は、子供たちと関わるとき、こういう問いを心の中に置いています。
その取り組み、子供の「自分らしく生きる力」と「他者と共に生きる力」に繋がっているのか?? 

僕たち(NPO法人はる)の実践において探究する価値のある問いです。


この文章はチームE✖︎W=のnoteの過去の僕の文章を加筆修正して載せたものです。最新の僕の記事はこちらへどうぞ。不登校や発達障害についても記載しています。


さらに僕のこの考え、教育哲学者の苫野一徳氏の考えを自分なりに消化して書いたものです。


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