鈍感の権化おじさん
結局のところ、鈍感でいる方がこの世を生き抜くには得策かもしれない、ということに気づいた。「鈍感」という言葉には、私が知らないだけでプラスの意味もあるのではないかと思って調べたところ、
とのことだった。うーん、あんまり良い意味はなさそう。「人間界で生き抜くために必要な精神的技術のひとつ」とか、載っていてもいいと思うのだけど。
職場に、「鈍感の権化」みたいなおじさんがいる。私から見た彼の得意分野は、
空気を読まないこと
嫌われることを恐れないこと
自分のことだけを考えること
である。
忙しそうにしている人に平気で全く関係ない質問をしたり、逆に自分が忙しい時は目の前の電話が鳴っていても取らなかったりと、自分ペースを貫き通すおじさん。当然、そのしわ寄せを受けている社員は、あからさまに皮肉とわかるような言葉をかけたり少しキツめに注意したりするけれど、当の本人は何を言われても「そっか、はっはっは」と笑ってノーダメージ。嫌味を言われようとも、また同じ行動を取る。そのブレなすぎる姿勢を見て、あんなに周りの見えない大人にはなりたくないなと思いつつ、どこかで少し羨ましいなと思っている。
他人に何を言われたとか、どう思われているとか、そういうことを気にせず、自分はこれでいいと信じて、そのスタイルを貫き通している点が、なんだかとても羨ましいのだ。
私は、なるべく人から注意をされたり悪口を言われたりしたくないので、常に周りの状況や他人の様子を気にする。というか、気にしすぎている。同僚に、「さっき、係長が何か目配せしてませんでした?」みたいなことを伝えると、「え、そうでした?ぜんぜんわかんなかった」みたいな反応をされることが少なくない。必要以上に情報収集し、ない行間を読むようなことをしてしまう。それが吉と出ることも、あることはある。この流れはこれを頼まれそうだなと思ったら、先回りして処理しておくとか、人手を必要としていそうな所にヘルプに回るとか。
でも私が収集してしまう情報の7割くらいは、私に関係ないことだ。それなのに常にアンテナを張っているから必要以上に疲れるし、自分の仕事は溜まるし、なんだかげんなりしてしまうのだ。そういう時に、「鈍感の権化おじさん」のほうを見ると、思うのだ。あぁこの人は私が無意識に収集してしまう情報のひとつだって耳に入っていなくて、自分の目の前の仕事だけに全集中しているんだろうな、と。
私は、自分を必要以上に疲弊させないために、鈍感権化おじさんの一部を見習おうと思うのだ。
まずは空気を読まないこと(=情報収集をしないこと)。情報収集を0にすることは、私の性格的に、高性能の耳栓でもしない限り不可能だ。だけど、私に関係のない7割の情報については、取り込まなくていい、というスタンスにしようと思う。耳に入ってきても、反応しない。情報を処理しない。だって、関係ないから!自分に関係のある3割だけに対してアンテナを立てていれば良い。そうすれば、今よりちょっと自分の仕事に集中力を注ぐことができるし、「今の上司のジョークには私が反応するべきだったのでは?」などという小さなことを気にすることも減るはずだ。
次に嫌われることを恐れないこと。私が小さいことまで気にしてしまうのは、「誰からも嫌われたくない」という保身の気持ちが強いからだと思っている。でも、実際は人は相当な理由があるか、生理的に受け付けない場合でない限り人を嫌わないものだし、そもそも私を嫌いかどうか決めるのは他人で、私がどうこうして変えられることではない。少なくとも、そう思っていた方が生きやすい。そう考えれば、誰にどう思われようと、私にはどうすることもできないと割り切れる。
そして、自分ことだけを考えること。自分の人生なのだ。自分のことだけを考えていればいい。鈍感権化おじさんは、自分のことだけを考えた結果、周りのことはあまり考えなくてもいいし、助けてもらうけど助けなくてもいい、という結論にいたったのではないだろうか。だから周りを見ようとしない。私は、自分のことだけを考えたとしても、人との繋がりは大切にしたいという考えが出てくる。結局1人では生きていけないし、これまでも色んな人に沢山助けられてきた。今だって誰かを助けるよりも、助けられてばかりだ。空気を読みすぎなくても、嫌われることを恐れなくても、困った時はお互い様の精神は忘れずに持っていたいと思う。
職場ではちょっぴり嫌煙されている「鈍感権化おじさん」からも、学べるところはあるのだと私は思う。そして、鈍感であることは、時に自分を守るの武器にもなるのだと思う。よく言えば「奥ゆかしく」、悪く言えば「わかりづらい」日本人と一緒に働いていく上では、その武器が救いになることもあると思うのだった。