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「大神神社」前編・旅記録~お能・謡曲のお話Vol.2
4月はじめに第一回竹生島にお参りした時にアクセスとお能・謡曲「竹生島」のお話を配信しました。そこからいろんな場所の縁起が元になったお話と共にセットで、今まで尋ねたところを整理していきたいなと思いたちましたこの企画、尋ねた場所とお能の物語。
第2回目の今回は日本で一番古い神社と言われているのでここにしました。「大神神社」とお能「三輪」
よかったらおつきあいください。
Standfmでの配信がベースになりますが、まずは、以前お参りした時の旅記録がでてきましたので、こちらを読みましたので、今回はこれを記載しますそしてここにも、ちゃんと謡曲「三輪」のことは書いていました。
その後すっかり失念していましたが。
今から14年ほど前の記録です。
音声はこちらから。noteには音声では省略して部分も記載しました。
2010年11月12日の旅記録より
新幹線のぞみ博多発 6:30→8:58 新大阪着 新今宮まで移動。
09:37発 大和路線・和歌山線快速(高田行)→10:20 高田着
10:24発 万葉まほろば線普通(奈良行)→10:40 三輪着
博多から乗車後、山口あたりではとても良い天気だったが、大阪につくと雨。しかし奈良、高田に近づくにつれて日が差し始め、三輪についた時には快晴。山に登らせてもらえるのだと思うと、感謝で一杯だった。
一の鳥居に行くつもりが、つい小道に逸れて参道の途中にでてしまう。
駅から左手に曲がった小道には「占い」と書いた看板と石を売っているお店が。Nさんが三輪のゆたにお世話になったと言っていたことを思い出す。
※(Nさんというのは、とても昔から夢解きを中心にご依頼いただいている方で、その場所を見られてうれしかった、と書いています。また三輪は、Nさんにつないでいただいたご縁のようでもあると感じてもいます。)
そこで、一の鳥居まで戻り、再スタート。途中に随分釣り目ののら猫に会う。まるで狐のよう。写真は映りなれているらしい。
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参道には、ぽつぽつと人が歩いている。そんな中、既におまいりを終えて帰ってきているような人とすれ違う。それぞれではあるが、三人ほど、拝み屋さんか、同業だと思われるおば様方いた。すぐわかるのが面白い。
参道は森になっているので、少し伊勢を思わせる。
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大神神社
参道の先の低い階段を上ると拝殿につく。シンプルに横にひろがっている。
ただそちらよりは、左隣の巳の神杉(みのかみすぎ)が気になったし、心地よかった。こちらは三輪の大物主大神の化身の白蛇が棲むことから名付けられたご神木。「蛇の好物の卵が参拝者によってお供えされている」と書いてある。
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名称 大和国一之宮 三輪明神 大神神社
御祭神 大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
配神 大己貴神(おおなむちのかみ) 少彦名神(すくなひこなのかみ)
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記念の御朱印を戴こうと思うが、丁度、神社版の御朱印帳が終わったところだったので、大神神社の御朱印帳を求める。落ち着いたデザイン。
その後、いつものことだが神社というよりは、自然崇拝である山に触れにきたのものだから、拝殿の周りはそこそこに、急ぎ、狭井神社 へ。
山之辺の道を行く。
途中、摂社磐座神社・御祭神 少彦名神 を拝む。
森の中に、古い出雲と同じ系統の古い小さな社があるのは好きだった。
狭井神社(さいじんじゃ)
狭井神社につき、拝山料をお渡しして受付をしてもらう。
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名称 狭井坐大神荒魂神社(さいにます おおかみあらたま)
主祭神 大神荒魂神(おおみわのあらみたま)
配祠神 大物主神(おおものぬしのおおかみ)
姫蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)
勢夜多々良姫命(せやたたらひめのみこと)
事代主神(ことしろぬしのかみ)
解説によると、大神神社は大物主大神の「和魂(にぎみたま)」を、
狭井神社には「荒魂(あらみたま)」をお祀りしている。
「荒魂」とは活動的なはたらきをする神霊で、災い時には神威をくださるとか。崇神天皇の世に蔓延した伝染病を鎮めるために行ったことに由来する「鎮花祭」は無病息災を祈る祭りとして、狭井神社で今に続いている。
「狭井」とは神聖な井戸・泉のことで、拝殿の左手にある「薬井戸」よりこんこんと湧き出る霊泉は「くすり水」といわれているとのこと。
コインロッカーに荷物を預け、その霊泉からお水をいただきステンレスボトルに入れて、渡された入山許可のたすきをかけて登山開始。
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お山は476m、高さはそれほどではないが、だんだん勾配が急になる。
割と下の方に滝行場があり、一度やってみたいものだと思う。
たすきの先にはそれぞれ鈴がついていて、歩くたびによい音がする。
往復とも、なんだか私のだけ、音が大きくなっているような気がしたのは
単に歩き方のせいかもしれないが、それほど嬉しかったのかもしれない。
修験道の山ではないので、なだらかではあるが、登りにはやはり50分くらいかかった。寒いかと随分厚着をしたが、汗だくになってしまう。
そういえば、受付をしてくれた神職の男性は「ハイキング気分で上らないように」と、随分きつい言い方をしていた。とはいえ、距離や高さとしてはとても遠足気分の気持ちの良い小山である。
確かに、私の前にかかとがついたブーツを履いている若い女性や、どうみても山を登る格好ではないなと思うようなスカートの女性などもいて、いろいろ強めに言いたくなるのだろうとは思うし、勿論、神域であることを忘れずにと言う意味だろう。けれど、難しい顔をするよりは、にこやかに登るのは悪いことではないと思う。神聖であるからこそ笑顔がとまらないし、足取りも軽やかになるのだから、気分的には、実のところ、普通のハイキングよりはるかに楽しい。
そして、たどり着いた高宮(こうのみや)神社。
そこは確かに古くから守られた澄みきった場所だった。
八角形の囲いの中に小さなお宮。
素敵な空気だと思って手を合わせると、トンボが目の前に飛んできた。
私の鼻先で空中停止。しばし目が合い、見詰め合うことになる。こんにちはと御挨拶。その後、トンボは前のお賽銭箱の屋根の上にとまり、今度は一緒に登った夫をしばし同じように見ているようだった。とても嬉しい出会いだった。
更にその奥には黒光りする岩がみえた。こちらが本当のご神体なのかもしれないと勝手に思った。光の当たり方ではきらきら輝くだろうから、昔の人には遠くから見ても神秘だったことだろう。
帰り道は、下から上がってくる年配の人たちから、幾度も「あとどれくらいですか?」と聞かれる。あとこれくらいかなと答えることが、いつものセッションの仕事と同じだと感じがして「あとこれくらいで超えますよ」と答えながらその行き交う中で、また教えられている気がした。
下山後、御朱印をお願いした。巫女さんが書いてくれた。10代にしか見えない綺麗な女性。髪を真っ直ぐに止めるためにピンを一杯使っている、ある意味今風な女の子だったけれど、登る前から、かわいらしくて好感を持っていたので、却って嬉しかった。一筆一筆、注意深く丁寧に書いてくれた字はまっすぐで心地よい。
ベンチでカロリーメイトを食べてちょっと休憩。それから階段を下りて、
市杵嶋姫神社におまいり、いつもお世話になっております。
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その後、三社目の檜原神社(ひばらじんじゃ)へと向かう。
ここからは少し距離があり、30分くらいかかったかもしれない。
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ひきつづき山辺の道を行く。狭井神社を出てすぐの所で、先の少彦名神社と同じくらいの規模の社。貴船神社だった。ここもとても気持ちがよい。
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そこからまたしばし歩くと玄賓庵(げんぴんあん)というお寺があった。
真言宗醍醐派だそうだ。
後から知ったが、世阿弥の作と伝える謡曲「三輪」の舞台として知られる。かつては山岳仏教の寺として三輪山の檜原谷にあったが、明治初年の神仏分離により現在地に移されたとのこと。帰ってから謡曲を確認してみよう。
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檜原神社
そのまま歩いて行くと、正面ではなく右脇から入る形になったが、桧原神社(元伊勢)に到着。ご祭神は天照大御神。
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神殿があるわけではなく、鳥居と囲みがあるだけなのだが、下に敷き詰められた石は綺麗に慣らしてあり、個人的な印象としては先の二社より、透明で暖かく、気持ちよい空間がそこにあった。勿論、山頂の磐座は別だが。
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お参りを終え、3つめの御朱印をお願いするが、場だけでなく、神職さんも素敵な方だった。物腰も柔らかく、強さもあるような大きな包容力、「よく来たね」という暖かさで迎えてくれたよう感じた。
ひと通りお参りをおえ、そこから同じ道を辿るのも何だということで、畑の間を通り抜け、遠くにシルエットに見える一の鳥居と、地図を頼りに駅に向かう。途中から、あっという間に線路に出た。
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三輪駅前でコロッケ
駅に着くと、丁度15:06の電車が発車する所だった。次の電車は41分。
少し時間がある。食事をとりたい頃だったが、あたりに適当な店はない。
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でも駅前には肉屋さんがあった。コロッケとアメリカンドックが揚げたて。
旅先ではお肉屋さんが挙げているコロッケはちょくちょく買って食べてしまうので、ここでもこれがあったのは幸い。駅の待合室で食べる。
夕焼けが始まって、無人駅はいい風情。
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三輪発 15:41→16:09 奈良着 奈良発 16:18 関西本線快速 大阪へ戻る
大神神社縁起
『古事記』によれば、大国主神と共に国造りを行っていた少彦名神が常世の国へ去り、大国主神がこれからどうやってこの国を造って行けば良いのかと思い悩んでいた時に、海の向こうから光輝いてやってくる神様が表れ、大和国の三輪山に自分を祭るよう希望した。
大国主神が「どなたですか?」と聞くと「我は汝の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)なり」と答えたという。
と言う説と
大神神社の由緒では、大国主神が自らの和魂を大物主神として祀った。
大物主大神(おおものぬしのおおかみ)は大国主神(おおくにぬしのかみ)の別の御魂として顕現され、三輪山に鎮まられたと、ある。
三輪と呼ばれるようになった由縁
スエツミミ命の娘のイクタマヨリビメの前に突然立派な男が現われ、二人は結婚をした。しかしイクタマヨリビメはそれからすぐに身篭ってしまった。不審に思った両親が問いつめると、イクタマヨリビメは名前も知らない立派な男が夜毎にやって来ることを告白した。
父母はその男の正体を知りたいと思い、「麻の糸を針に通して、男の着物の裾に刺しなさい」と教えた。娘はその通りにした。翌朝、針につけた糸は戸の鍵穴から抜け出ており、糸をたどると三輪山の社まで続いていた。糸巻きには糸が三回りだけ残っていたので、「三輪」と呼ぶようになったという。
ということで…
以上が14年前の旅記録と補足情報でした。
最後の三輪とよばれるようになった由縁は、お能のお話にもこれに近いものがでてきます。が、ちょっと内容が違うのです。
次回はそのお能・謡曲の物語と、実際の立地などを含めて記します。
また良かったらお越しください。
音声配信も含めた後編はこちらから是非