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「善知鳥神社」後編~お能と謡曲のお話Vol.3

善知鳥神社からのお能・謡曲の物語「善知鳥」
前回の旅のお話につづく後編、物語のご紹介です。

前編の音声も含めたnote記事はこちら

善知鳥神社は青森にありますが、
この物語のはじまりは立山です。

あの山が美しい立山黒部アルペンルートが有名な富山県立山、越中立山ですが、ここは硫黄が噴煙を上げている地獄谷と呼ばれている場所があるので、
罪がある人はみんなこの立山地獄に堕ちるといわれていたそうです。

そこを旅しているお坊さんがいました。

耳でながら聞きもできます音声での配信はこちらからどうぞ

猟師と僧の出会いは地獄谷

「これは諸国一見の僧にて候 われいまだみちのく外の浜を見ず候ほどに、
この度思い立ち 外の浜一見と志して候」

このお坊さん曰く「わたしは諸国一見、あちこち見て回っている修行僧です。ここからさらに越後を通って、陸奥の外ヶ浜(津軽)へと向かおうとしていす。」と、はじまります。

修行僧はこの立山の地獄谷をみて、
「知らず知らずのうちに冒している罪の深さも身に染みて慙愧の心 解き過ぎて、山下(さんげ)にこそは下りけれ 山下にこそは下りけれ」
罪への想いが止まらないと言いながら立山を降りていきます。

そこにひとりのおじいさんが現れ、言葉をかけてきます。
「もうしもうし御坊様、みちのくに下るなら言伝をお願いしたいのです。」

お坊さんは、なぜ自分が陸奥に下ると知っているのだろうかといぶかしく思うのですが男は構わず続けます。

男は「外の浜の猟師で、去年の秋に亡くなった者がいるのですが、その妻子の家をお訪ねて、その家にある簑笠を手向けるよう伝えてください」と言うのです。これはこのように、最初は他人事のように話しているようですが、すぐ後に、自分のことと知れます。

つまり男こそが去年の秋に亡くなった猟師であり、幽霊なのです。
ただお坊さんは、「そうは言っても、そんなこと頼まれたからって
急に尋ねても奥さんたちも信じないかもしれないでしょう」と、
言います。ちょっと断ろうとしている感じもします。

すると男は「それもそうだ」と、更に「げに確かなる印なくてはかいがないだろう」と、「わたしがいまわのきわまできていたこの着物、麻衣の袖を解いて証拠にしましょう」と、自分がきている着物の左袖をばりっと引きちぎったのでした。そして「これをもっていってください」と言います。

僧は旅装を整え、萌える春のなか、雲や煙の立つ立山を後にして陸奥に下りますが、「亡者」と、ここではもうはっきりそう書かれていますが、
「亡者はその姿を泣く泣く見送りて、
行き方知らずなりにけり、行き方知らずなりにけり」
と、泣きながら消えて行ったのでした。

陸奥に着いた僧が尋ねた先には

さてそれから旅を続けて「外の浜」に着いた僧は、去年の秋に亡くなった猟師の家はどこかと、村人に尋ね、教えてもらった家を訪ねます。
するとそこには妻と子がよりそっていました。

奥さんは「げにや もとよりも定めなき世のならいぞと、想いながらも夢の世の、あだに契し恩愛の、別れの跡の忘れ形見、それさへ深き悲しみの、母がおもいをいかにせん。」と憂いています。
「無情の世のならいとは知っているけど、この儚い夢のような世で、はかない契りを結び愛情を交わした人と死に別れて、忘れ形見の子を見るにつけて一層深い悲しみがつのる、この母の想いをどうしたらいいだろう」

そこに僧は声をかけます。こんな言伝を頼まれたよ、そして証拠としてこの片袖がありますよと、預かった袖を奥さんに見せます。

すると、驚いた妻は、奥の部屋から、亡くなった猟師の着ていた衣を取り出してきます。奥さんは、亡者となった夫のことを思って泣けてきますといいながら「あら懐かしの形見や」と確認します。そして妻がもち出してきた衣に袖はなく、僧が携えてきた袖がぴったりと合うのでした。

「そしてやがてそのまま弔いの、みのりを重ね数々の中に亡者の望むなる。蓑笠をこそたむけれ、蓑笠をこそ手向けれ」
と、そのまま仏事に移り、亡者が望んだように簑笠が手向けられます

そして僧は「南無幽霊出離生死頓証菩提」=「幽霊よ、生死の境の迷いから離れ、早く成仏しなさい悟りを得よ」と祈ります。

青森湾 浅虫温泉からの湯の島

するとそこに、猟師の亡霊が現れます。その姿はやせこけて髪は肩から背を多い、腰には鳥の羽根をつづった腰蓑、杖にすがっています。

そして「みちのくの外の浜なる呼ぶ子鳥、鳴くなる声はうとうやすかた」
古い歌を声にして出てきます。

それから亡霊は、鳥獣を殺した罪を悔い、妻子への思いを語ります。
「陸奥の外の浜なる呼ぶ子鳥鳴くなる声はうとうやすかた」
=陸奥の外の浜にいる鳥は、親が「うとう」子が「やすかた」と鳴き、
呼び合うという歌がある。

「三悪道(地獄道・餓鬼道・畜生道)を避けられるように、この私のために卒都婆を立て供養してくれるのだから、悲惨な地獄にいてもきっと救われる」と思いたい男ですが、それでいて「しかし、わが身は重い罪科を負う。心は安らぐことがあるのか、昔は縁深く一緒に暮らした妻子も、今は隔てられ、安らぎもない。なぜあんなにたくさんの鳥獣を殺してしまったのか、
わが子をいとおしいと思うのは、鳥も同じだろうに
」そういいながら、男は自分の子どもの髪を掻き撫でて、懐かしもうとします。

しかしその時「煩悩の障りをなす雲に隔てられたのか、悲しいことよ、今まで見えた子は、はかなくも、いずこへ隠れてしまったのか。」と、
子どもの姿はにわかにみえなくなってしまったのです。

男の歎き

男は「涙は滝となって袖を濡らす。簑笠が隔ててしまっているのか、家のなかを見たくても、私は外の浜の浜千鳥のように声を上げて泣くほかはない」と言い、この世は儚いとなげきさらに、「往時渺茫(おうじびょうぼう)として すべて夢に似たり、旧友零落して半ば泉に帰す」=(かつてのことを思い出せば、夢のよう、旧友の半数はあの世へ旅立った)とうたったのは白楽天だが本当にこの世ははかない」と続けます。

「とても渡世を営まば 士農工商の家にも生まれず または琴碁書画(しんぎしょが)をたしなむ身ともならず ただ明けても暮れても殺生を営み 遅々たる春の日も所作足らねともならず 秋の夜長し 夜長しけれども 
漁火白うして眠る事なし 九夏の天も暑を忘れ 玄冬のあしたも寒からず」

猟師の亡霊が言うには「この世を渡るのなら、士農工商の家に生まれればよいのに、そうもならず、琴や碁、書画といった風流なわざを嗜む身にもならず、ひたすら明けても暮れても殺生を生業とし、暮れるのが遅い春の日も、仕事に追われて時が過ぎ、秋の長い夜には、夜が長いのをいいことに漁火の白い火を灯して猟をして眠ろうともしない。暑い夏の日々も暑さを忘れて
真冬の朝も寒くは感じないほど、そうやって猟をして暮らしてきた」

「生まれは選べないけから、そこの子にもなれず、かといって、どこか途中でお琴や囲碁などの才能があって磨くことをしたら、違う取り立てられ方もできたのでしょうか」という彼の言葉に、まだ後の江戸時代ですが、暦をつくった天地明察という映画にもなった渋川春海さんも囲碁で仕事をしていたことを思い出しました。

でも彼はそういうことにもならなかったと言い、独白は更につづきます。

「鹿を追う猟師は山を見ず」と言うが、そのように、わが身の苦しさも悲しさも忘れ、深く考えようとせずに、人の心も忘れて鳥を追う狩に熱中した。
高縄を張って鳥を捕らえ、引く潮の向こうの松山の風が激しく吹き、袖に波がかかっても、干潟があるからと、海を越えた向こうの里まで行って猟をした。後の世の報いも考えないで、殺生のみをしていたことが悔やまれる

聞いていて、ちょっと切ない気持ちになるセリフです。生まれたところ、環境に従っただけだったとも捉えることができます。

ただこの後、ちょっと様相が変わってくる気がします。
「そもそも、鳥を捕る方法はいろいろあるけれどこの善知鳥の取り方は工夫がいらなかったのだ」と語り始めます。

中に無残やなこの鳥の おろかなるかな つくばねの
木々の梢にも羽根を敷き なみの浮巣をもかけよかし
へいさに子を産みて落雁の はかなや親は隠すと すれど
「うとう」とよばれて こは「やすかた」と答えけり
さてぞとられ やすかた

なかでもこの鳥の捕り方は残酷である。
木々の梢に羽を敷いたり、波の上に浮き巣を作ったりすればよいものを、愚かにも、平らな砂のところに子を産んでしまう。はかないことに、親は隠そうとするのだが、(親の鳴き声の)「うとう」と呼ぶと、子は「やすかた」と答える、だからこそ捕られやすいのだ、とうたいます。

妄執にとりつかれる男は果たして…

こう話している間に男は善知鳥を捕っていた時のように動き回ります。
男はその時に戻っているように、幻覚の中で鳥を捕まえていきます。

そしてそれはどんどんエスカレートして、供養にと手向けられた笠をつかったり、杖をつかったりして、ひな鳥をとっている気になります。

ここで個人的には、この仕事しかなかったはじまりだった男でしたが、彼は自ら次第に殺生そのものにハマっていったのではないか、この辺りが怖い所なのではないかと感じました。

するとその時「子を捕られた親鳥」が空にいて、血の涙をふらせはじめます。男はそれに濡れまいと、簑や笠を傾けて、あちこち隠れ場を探しますが
隠れ笠、隠れ簑ではないのだから、隠れられないと混乱していきます。

娑婆にては うとうやすかたとみえしも、うとうやすかたとみえしも、
冥途にしては化鳥(けちょう)となり 罪人を追つ立てくろがねの
嘴を鳴らして羽をたたき あかがねの爪を研ぎた立ては 
まなこをつかんで 肉むらを 叫ばむとすれども
猛火のけぶりに むせむで声を上げ得ぬは 鴛鳥を殺しし科やらむ、
逃げんとすれど立ち得ぬは 羽抜け鳥の報いか
うとうは かへって鷹となり 我は雉とぞ成りたりける

この世では、うとうやすかたと見えたのも、うとうやすかたと見えた鳥も、冥途では化け物の鳥となって、罪人を追い立て、鉄の嘴くちばしを鳴らし、羽を叩き、銅の爪を研ぎ立てては、罪人の眼をつかみ、肉を裂く。
叫ぼうとしても猛火の煙にむせんで、声を上げることもできない。
これは、オシドリを殺した科だろうか。
逃げようとしても立つこともできないのは、羽の抜けた鳥を殺した報いか。
うとうは翻って強い鷹となり、自分は雉になってしまった。

そして、「逃れ難い交野の狩場の吹雪に舞う空でも追われ恐ろしく地を走るが、地では犬、空では鷹に責められて辛い、やすらぐこともない。
この身の苦しみを、どうか助けてください、御僧よ」と言うかと思えば、
その姿は消え失せてしまった。‥‥おしまい

どう生きればよかったのか

ぷつんと終わりました。男はどうなったのかな、と気になりるエンディングです。お能などでは女が狂ったり鬼になったりする演目もよくありますが
この善知鳥も四番目物、執心男物といわれている物悲しいお話です。
ただこの最後の場面はお能の舞台はそうとうなエネルギーで、引き込まれることだろと思います。

彼の人生を考え得てみると、例えば、動物を殺して食べるということは
私達も日常的にしていることで、男と同じく犯している罪科といえばそうです。同じ身です。

ただ男の妄執は、はやり殺生を楽しみのように感じてきた所なのかなと思います。或は、必要以上に取るというの点は、大きな罪なのかもしれないと思います。

今必要な、目先で儲かるからといって自然が枯れはてるほど何かを採取するとか、自分だけ楽しかったりいい思いをするためなら、それ以外を考えない。つまり次世代を思ったり、命をいただいているということを
考えたり感じたりすることをしてこなかった、そう言うことなのだろうか、なとど思いをはせました。

更に、大昔のことで、さらにそれが青森という厳しい自然の地域に伝わるお話というのも、スタート地点がそこであるとして、そこからどう生きていけばよかったのか、など、いろいろ考えさせられると感じる物語でした。

皆様も機会があったら是非、お能「善知鳥」みてみてください。

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