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立ち上がれ

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これでもクリエイティブでありたいと思っている。
今もまだ。
笑われちゃうとしても。

でも。
こういうことばにときどき、ぴしっと平手打ちされる気分。
いい意味でね。

新しいものを作ることで、マーケットができあがる。マーケットに合わせるのではなくて、マーケットを生みだすことが大切であって……だから今日も、今までやったことのないことを試してみるしかない。
 独創的なものは、それほど『遠く離れた尊いもの』ではないように思います。一般的なもののすぐそばにあるはずです。それまでにあるモノと、どこかで接点を見つけながら、少しずつ独創性を出していく。一般性と独創性のきわどい接点を見極めたものが、ぼくの見つけたいものなのです。独創性とありふれたものとの境界線にある商品こそが、求められ、受け入れられるのですから。

斉須政雄『調理場という戦場』より

(2016年9月30日・Facebook投稿)
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あらためて自分の目線を上げる。
胸の奥にかかえている自分のちいさな願望を意識してはいたけれど、伏し目がちだったかな。

ときどきこうして、付箋だらけの斉須氏の本を引っ張りだして再読しては、立ち上がれ!と思うのである。
今もまた。

実を結ばなかったアイデアは山ほどありますが、その死屍累々のアイデアのひとつひとつの点が、あとになって必ず線になってつながるんですよ。それがほんとうに不思議だし、うれしくもあります。
 だからこそ、毎日試していないといけないなぁと思っています。

斉須政雄『調理場という戦場』より

数打ちゃ当たる、ということではないだろうけれど、毎日毎日浮かぶちいさな試みを繰り返した先に、出来上がるなにかもあるのだ、と感じる。

ひとつの信念、不断の繰り返し、継続する試行錯誤、失敗――日々のエクササイズ、トレーニング?というのか、そういう経験と過程があって生まれ得るものがある、と。

ここから調理場の中でいかにリーダーシップをもって料理を作り上げていくのか、という観点で話が続き、自分の職場と照らし合わせながら考えさせられていく。

 たまにアイデアだけは持っているという人がいるけれど、どれほどアイデアが優れていても、まわりとうまくやっていけなかったり、調理場での分業の中で一芸しかなかったりしたまま、押し流されてしまう場合もありますよね。

斉須政雄『調理場という戦場』より

調理場も事務所も大切にしていくべきことは共通していて、つくづく世の中は相似形である、ということを実感する一冊である。同時に、チームリーダーとしていかに考え行動すべきかの姿勢を学び、「創り出す・生み出す」ための柱を感じる。
ひとりではないことの意味。

わたしがクリエイティブでありたいと願うことは、調理場のようなチームがあってのことではない。
あくまで個人的な作業である。
それでも、この斉須氏のことばに心動かされるのは、現実的な糧を得るための仕事場での立ち位置と経験、それがあってこそ生み出されるなにかがあるはず、という思いがあるからだろうと思う。

「仕事が充実すれば、私事が充実する。」

以前上司に言われたことで、おそらくこれは、今わたしがとらえているような意味で言われたのではない。
けれども、わたし自身は、異業種の世界から得たヒントが自分の本職で生かされ、その経験が自分の創造性と想像性を刺激して、自分なりのあらたなアイディアが生まれることにつながる――と信じている。
同じようなことを繰り返し書くことになっても、続けていく。

顔を上げて、目を上げて、立ち上がれ。




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