2022年12月からぽちぽち始めた記録。。。 なんとなく続けている。 カバーを使わないで読んでいるものもあるのだけど、読書記録とは別でこちらはチラシ(その他包装紙なども含む)再利用の自分のおぼえとして一覧できるように、まとめておくことにした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 先日チェンバロフェスティバルにお付き合いいただいたNさんは、わたしが高校生のときの教会学校の先生。 みんなのお姉さんみたいな存在だった。 得体のしれない(と当時は思っていた)人と結婚したときには、 少しさびしかったけれども――それでも、子どもたちが始めたガールスカウトを通じて、つながりが続いた。 そのうち、結婚してわが家に子どもたちが出入りするようになり、 家族ぐるみでのお付き合いになっていった。 行きも帰りもいろいろ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 未来を描いて、きょうもあしたも地道に、大事に、 一歩一歩を進める。 すぐに結果は出なくても、「きょう」の一事が未来に続く。 そう、「きょう」は未来につながる、たいせつな一日目。 そんなあたりまえのことを、思い出させてくれた 秩父ウイスキー祭だった。 とくに最初のセミナーで感じたものは、すがすがしさ。 この日の空のように、まっすぐな広がりを感じて、 屋内なのに、とても明るい50分間だった。 味と香りの違いを語る27歳
おそれ――「怖れ」「恐れ」「畏れ」。 いまの自分にとって、どれがふさわしい漢字表記なのかわからないので、ひらがなにしておく。 ”おそれ”を感じがちな自分。 クリエティブなものに触れるときは、いつもそう。 なににか?――たぶん「影響を受けること」に。 それと、出現している作品の裏話を知りたい気持ちと、知りたくない気持ちとがないまぜになることに。 あらためてそんなことを感じたのは、先日放送されたNHKのインタビュー番組「ここから」。 ミニチュア写真家であり見立て作家の田中
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 飛行機に乗る前に、ふっと思い出した。 中学校のときの美術の時間、学期一番はじめの授業だった と思う。 B5だったかA4だったか、一枚の白紙が配られて、その中に タテとヨコ、紙いっぱいにそれぞれ好きなように線を引いてみて と言われた。 タテヨコそれぞれ6本ずつか、何本ずつだったか――。 線はまっすぐでなくてよい、自由に引いてみなさい、と。 そうして、いくつものマスが見えてきたところで、 次はいくつか
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2012年の手帳にメモしてあったのを、再発掘。 これはその頃、アイルランド音楽のバンドミュージシャンを取り上げた番組で聞き書きしておいたことばだ。 音楽と家業(牧畜だった記憶)、そのおじちゃんのことばがじんわり心に沁みてきたんだよね。 たぶん、その頃にも同じように投稿しただろう。 “nice mix” ――っていいな、と。 “思い上がってしまうと、それ以上進歩がない”――ほんとうに、それはそうだ、と。 いま、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一つの曲をいろんな演奏で聴く楽しみがある。 バッハはその面白さが際立つのかな、いろんな試みがされている気がする。いや、単にわたしがバッハ好きでそれに注目しがちなだけで、バッハに限らずそういう試みはされているんだろうけど……。 「バロック」といわれるジャンルは現在とのギャップが長くあるわけだから、どれもその時間の流れの間にいろいろなことがされているのだろうね。 聴き比べられる楽しみ。 同じ曲を違う人のCDで何
いま、せっせとFacebookノート投稿を掘り起こしている。 だれのためでなく、自分のため。 ちょっと探している投稿があるのも一つ。 Facebookではノートの投稿については、検索では引っかからなくなってしまったので、地道に掘り起こしている。 当日の思い出で振り返ることもできるけれど。 まぁ、それを掘り起こしてここで再掲して、今振り返ってどう思うとかつらつら書いて……なんて、まったくもって自分のため・自己満足の極みでしかないのだけれども、なんだかそれに躍起になっている。
とある日曜日に、聖書にあるタラントンのたとえ話※が想起された。 ※ある主人が3人の使用人にそれぞれ5タラントン、2タラントン、1タラントンを預けて留守にする。留守中、3人のうち5タラントンと2タラントンを預かった使用人は、それを運用して倍にする。でも1タラントンを預かったひとりは、失敗したときの叱責を恐れて、運用を試みず地中に埋める。 帰宅した主人は、結果を聞いて運用して預けたものを倍にした二人の使用人についてはより多くのものを管理させることにした。しかし、1タラントンを預