軽部 猛

軽部猛(カルベタケシ)はペンネーム。 インターネットの海に漂う、とりとめもなく書かれて…

軽部 猛

軽部猛(カルベタケシ)はペンネーム。 インターネットの海に漂う、とりとめもなく書かれている、けれども濃い長文が好きだからnoteを始めました。 誰が読むのか、あるいは、誰にも読まれないかもしれない。どこかの誰かに漂着すればいいな、と思いつつ。

マガジン

  • 料理レシピ

    料理研究についてまとめたマガジン

  • 九星気学

    九星気学に関してのまとめです。

  • 知の連鎖ー文化・歴史・芸術のはなし

    知識と知識が結合して連鎖反応を起こすマガジンを目指しています。 分野としては主に文化、歴史、芸術を中心に。 著者の仕事は、文化領域の実制作をしています。

最近の記事

クリエイティブとは道をつくることである

クリエイティブとは道を創ることだ。 道が開かれれば、そこに人が集まり、その道を活かして各々勝手に露店を出したりして、商売を始める。その内、商店街ができ、神輿の通り道にもなったりして賑やかになる。賑やかになれば益々人が集まってきて活気づく。そうなれば、とても良い道だったのだろう。 しかし、どうだ、例えば、道を創った当の僕本人が、その道を自分の作品だからと云って我が物顔で占拠封鎖してしまえば、人が通ることはできず、その道はたちまちにして死んでしまうだろう。そうなってしまえば、

    • 死について

      昨年、30歳を迎えた。そしてここのところ、僕は毎日、死を意識するようになった。 理由は、時々、心臓が痛むのだ。明らかな頭痛もある。父は血管が弱く、心筋梗塞や脳梗塞にかかったことがあるので、遺伝を気にせずには居られない。 一方、一日に仕事のできる時間が徐々に減ってきたことも感じている。集中力が保たないことと、前述の心臓の痛みと身体の怠さが原因である。 年を経るとは、どういうことか身をもって実感するのだった。 例えるなら、べっとりと背中に死が張り付いている。そんな感覚を、こ

      • 「象は鼻が長い」について

        昨日、Youtubeでこのような動画を発見し興味深かった。 要するに、「象は鼻が長い」という文はどれが主語かということで大正から日本語研究者の間で長い間、論争が続いていたという。 これについて、考えがまとまったため、文章にまとめて残しておこうと思う。 「象は鼻が長い」論争の略歴まず、この論争は橋本文法と呼ばれる二重主語説で一応の決着はなんとなく着いているらしい。 [橋本文法](二重主語説) 全体の構造 主語:象は、述語節:鼻が長い 述語節の構造 主語:鼻が、述語:長い

        • 安部芳明先生と、九星気学と、曼荼羅と、カントと。

          物心がつく頃から「安部先生」という言葉を両親からよく聞いた。その時は何のことやらわからなかったが、どうやら九星気学という中国の占星術の先生らしい。元々は作曲家だったようだ。 九星気学という占星術はあらゆる事象の分類を九つに分ける占星術だ。一白水星や二黒土星などの分類がある。特に人を分類する場合は、年で決まる星を本命星、月で決まる星を裏星、そして本命星と裏星の関係で決定される傾斜星という3つの星をベースにする。これによって人間間の相性や、年や方角との関係性を占うものである。

        クリエイティブとは道をつくることである

        マガジン

        • 料理レシピ
          0本
        • 九星気学
          0本
        • 知の連鎖ー文化・歴史・芸術のはなし
          4本

        記事

          教養と知性、感性について

          教養とは論理と理性の範囲に入るものではなく、感性によって感得した知的経験のことを指すものではないだろうか。教養が知性を育む。知性ある者は感性も鋭いと言える。従って、知性と感性とは不可分だろう。 昨日、文化芸術事業を営んでいる友人に招かれ、文化事業に関わる数人と焼肉をご馳走になった。その際に、教養と知性とは何か?という議論に至り、自分なりに理解が深まったので備忘録的に記したいと思う。 理性と論理、感性と知性についてまず、私の認識論の立場は、エマニュエル・カントに従っている。

          教養と知性、感性について

          マリエの枕営業強要問題で糾弾される出川哲朗のとばっちり

          マリエが島田紳助から枕営業を強要された問題で、「やっちゃいなよ」と言ってしまったという出川哲朗がとばっちりを受けて、仕事がなくなってしまったらしい。 出川の事務所は事実関係を否定している。 これについて思うところあるため、寄稿したい。 まず始めに、私の主張は100%マリエが悪い。というものだ。それを前提に綴っていく。 2017年、ハリウッド女優の枕営業問題が波紋を呼び、興った#MeToo運動は記憶に新しい。この運動にも疑問を感じていた。 そもそも枕営業自体、魚心あれ

          マリエの枕営業強要問題で糾弾される出川哲朗のとばっちり

          平安の世から継承された着物の技術が日本の高度経済成長へ 〜日本独自の奥の神聖視〜

          先日、知人の事業家と談話中、興味深いことに気づいたことがあったので、備忘録として記す。 日本の高度経済成長を支えた基幹技術であるカメラのレンズの開発と着物の技術は同じだと言うのだ。 それは、日本の価値観の一つ「奥」に神性を見出すというところにある。 「奥」こそ神聖不可侵の領域神聖な領域、つまり聖域(Sanctuary)がどこにあるかということを考察することで、その文化の価値観を捉える手助けになる。 聖域はそのまま、建築に表れやすい。 文化は比較することで浮き彫りになる

          平安の世から継承された着物の技術が日本の高度経済成長へ 〜日本独自の奥の神聖視〜

          日本語には一音づつ意味がある?一音一義説について

          日本語の一音一音には意味がある。という説を一音一義説という。音義説とも言う。 例えば、「あ」という音には、"明るい"などという意味があり、"木"を意味する「き」と組み合わせると、"明るい木"、即ち、"紅葉"、即ち「あき(秋)」という意味になる。と。 また、「あ」とは、"明るい"に連想し、"物事の始まり"をも意味するなど、その一音が象徴する意味を連想ゲームのようにして考えることができる。 藤原姓には特別な意味が込められている私が、この説を知ったのは父の家の書棚にあった神道

          日本語には一音づつ意味がある?一音一義説について

          なるほど、と腑に落ちる哲学。ソシュールについて

          高校生の頃、哲学の研究にハマっていた。 特に興味があったのは西田幾多郎という哲学者で禅仏教の哲学論理化で有名だった。 いくつも哲学書を読むなかで最もなるほど〜!と腑に落ちたのはソシュールだった。 その当時の私にとっては、まさに天動説から地動説になったようなコペルニクス的転回だった。 彼は言語哲学の研究者で近代言語学の父と呼ばれている。 彼の学説は言語学以外の分野でも応用・類推できるので紹介したい。 言葉ってなんだ?キリスト教社会では言葉はとても重要なものとして位置づけ

          なるほど、と腑に落ちる哲学。ソシュールについて

          「ジャズ」という言葉はとってもずるい

          先日、友人の映像作家と千駄ヶ谷のとあるもつ鍋屋で雑談をしていた。 そのもつ鍋屋はEMONという。とにかくしょうゆ出汁のもつ鍋がとっても美味しいので、よく食べに行く。オススメの店の一つだ。 そこで言葉遊びについての話になった。 大抵、その友人ともつ鍋屋で言葉遊びの話になる。仕事の話はほぼしない。 そのとき、「ジャズ」という言葉で締めくくれば、何でも深いことを言っていると錯覚させることができる。という話になった。 だから、「ジャズ」という言葉はズルい。というわけだ。 ジ

          「ジャズ」という言葉はとってもずるい

          文章に説得力や彩りを。副詞の魅力

          文章を書くときに説得力や色彩感が足りないな、、と思う時に副詞はとても有効な語だ。 ※副詞とは、形容詞や動詞を修飾する言葉のこと。 例えば、「美しい星がありました」と言う文章があるとしたら、「キラリと美しい星がありました」とするだけで、文章の印象力がだいぶ強くなるし、詩的なイメージを感じさせる。 この記事では、そんな魅力的な副詞の世界について語りたいと思う。 副詞はhowを表す副詞はhowを表す。大抵の文章はそのまま書くと素っ気ない感じになってしまう。 なぜなら、大抵

          文章に説得力や彩りを。副詞の魅力

          若者ことばは言語の成立過程じゃないか?

          ※私は言語研究者ではありませんので、記載内容の真偽、信憑性について保証できません。できるだけ正しいと思われる内容を記載していますが、何か間違いがあればご指摘ください。 若者の日本語の乱れは昔から叫ばれている。 古くは平安時代、清少納言も当時の言葉の乱れに遺憾の意を示していたという。 ※現在でいうラ抜き言葉のような乱れが当時あったため、それに対して否定的だったようだ。 いわゆる、ググる、ドヤるなどの若者ことば大阪教育大学が発行している若者ことばに関する資料を発見した。

          若者ことばは言語の成立過程じゃないか?