マイペースと社会のペース
マイペースな人間というものは、大抵社会のペースと折り合いがつかない。皆が産声を上げて呼吸を学んでいる時に、マイペースな人間はまだ眠りについている。肺の中の羊水を看護婦に掻き出してもらってはじめて猫の発情期のような鳴き声を渋々とあげる。皆がかけっこを楽しむ中、ジャングルジムの一番上でガラスの破片を透かして遊んでいる。皆が机に座って勉強をしている時に、彼らは絵を描いているか、机に突っ伏して寝ている。綺麗に魚の骨を取って食べる。走って間に合うか歩いて遅刻するかの選択では、後者を選ぶ。走る衝動に駆られたら、近くの公園まで夜中でもウェアを着て走る。
好きなことを、好きな時間にして、豊かに生活することを彼らは常に望む。転じて非常にこだわりが強く、はたから見れば孤独に見える。そしてに何よりも干渉を嫌い、強要する人間やシステムを苦手とする。
日本では、このシステムを「社会のレール」というが、マイペースな人間はこのレールに適合する車輪を持ち合わせていない。途中まで人の手を借りながらそのレールをなんとか歩んだとしても、数十年もすれば表面のゴムは擦り切れ、ホイールが歪むか、レールそのものをダメにしてしまう。人生は選択の連続ともいうが、ターンアウトスイッチだけでは、彼らの選択としては十分ではない。
「耳をすませば」の主人公月島雫の姉を覚えているだろうか。雫が将来やりたいことが決まっているのかを彼女に問うと、彼女はそれを決めるために大学に行っていると答えた。恐らくこの時点でお姉さんはしっかりと人生の振り方を決断していない。お姉さんはお姉さんなりのタイヤでレールに乗っている。最終的に彼女は家を出て就職をするのだが、話を戻そう。
断言してもいいが、私を含めて今までこのくだらない文にいくつかの共感や同意を求めたものは、大学4年間ごときの短い時間で人生など決められるはずもない。ましてやほぼ在籍する年齢、期間が決まっている学術機関で、学問の探求・研究以外に私たちがなにか出来る時間があるはずもない。せいぜい、がたくたのような作品を倉庫か自分の頭のうちに突っ込むくらいである。
諸君、あきらめろ。人生は残念ながら長いので、私たちが悩み、苦しみ、楽しむ時間は十分にある。
社会は雫のお姉さんのような天才にまかせて、日のあたたかいうちに昼寝をしよう。私たちは夜型だ。
P.S. デジタルのイラスト難し~!
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