卵について 小話
モデルになってから、心身ともに節制を心がける毎日であるが、私は元来食に並々ならぬこだわりと執念を持っている。どこどこのビストロには美味しい生ハムが、とかそこそこの寿司屋が新鮮、とかそういった『高尚な』類のこだわりではなく、もっと庶民的で意地汚く、豊かな食への興味である。
アルバイトの帰りに地元の商店街を通り過ぎる。夕方といっても10月の東京は既に日は暮れて、店にともる電球色の街燈が青紫色の空気をちりちりと燃やしている。
今日の夜の献立は朝起きたときから決めていた、たまねぎのたっぷり入ったコンソメスープ。玉ねぎをあめ色になるまでじっくりと炒めて、塩と胡椒をひとつまみ。ゆっくりと水を鍋にそそいで、コンソメの素をひとさじ。さて、家にあったのは顆粒だったかキューブだったか。恐らくキューブだろう。私はキューブの方を好んで使うからだ。キューブのコンソメをよく切れる小型のナイフでざりざりとこそぎ、鍋に溶かすのがよい。もちろんそのまま、とぽんっと入れて、頃合いになってから一気にかき混ぜて琥珀色に変わる様子を観察するのも大変面白い。たまねぎに埋もれたしょっぱい異国の調味料がとけだしていく、夕焼けが鍋の底でくすぶっている。コンソメスープは、秋の味覚である。
ここで問題になってくるのは、完成された輝く黄金スープに、他の具材を入れるか否かである。邪道かと言われるかもしれぬ、しかしたまにはここに千切りのにんじんやらキャベツやらを入れたくなる時もある。千切りであれば、スープの繊細さを損なわないし、野菜がおいしく重なり合う感じがする。
卵を入れてはどうか?
悪魔の囁き。卵は非常に議論を呼ぶ食材である。溶き卵にして勢いよく鍋に落とし、ふわふわのかきたまにするのが今回の料理においてのマナーではある。だがそれは果たして私の考えていた料理なのか?卵を使うなら出し巻き卵として使ったほうが卵も喜びそうだ。4等分にして、半分を明日の朝に取っておくこともできる。スープに一度入れてしまったら、温めなおすときに、卵が縮れてスープの均衡が崩れてしまう。かきたまのコンソメスープは小学校時代にしけった教室の匂いの中で食べていた、懐かしい味を呑みこみたい時だけでよい。
ぼうっと段ボールに積み上げられた柿を見つめる。本日の特売、78円。
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