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【画像11枚】「法然と極楽浄土」(東京国立博物館)
法然は平安末期から鎌倉初期にかけて活動した浄土宗の開祖。ざっくり言えば「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え続けることで、極楽浄土に往生できると法然は説きました。密教などと比べると簡略化された印象もありますが(弟子の中にも、都合良く拡大解釈する向きもあったようです)、その背景には末法の世の中、そしてより多くの人々を救いたいと考えた法然の考え方があります。
ちなみに法然は地方武家の子で、夜襲により父を亡くしているのですが、それでも父は「敵を恨むな」と告げたとのこと。親子二代にわたる慈悲深さが窺えます。詳しいことは平成館入って右にある解説VTRの上映がありますので、こちらを先に視聴してから展示室に入っても良いかも。
芸術面で言うと、権威主義的なものを好まない法然自身は造寺造仏には消極的だったようです。しかし制作自体を禁止していたわけではなく、法然以降からは芸術的と言える文化が形成されていくこととなります。
ただ、個人的には重文〈法然上人絵伝〉の、肩肘を貼らない、あえて言うなら俗っぽい描かれ方に浄土宗の原点らしさを感じていました。特に江戸期以降の格調高い表現もそれはそれでなのですが、「らしさ」で考えるとやはりこっちかなと。
その他、対角線構図の勢いの良さが印象的な「早来迎」も注目。絵画史全体を踏まえてもここまでのスピード感を求めた絵画ってあまり無いのかなと。その他、黒の部分に毛髪を用いた「南無阿弥陀仏」刺繍、徳川家康によって大量に書かれた「南無阿弥陀仏」など、個人的に興味深いものもありました。
記名の作家ですと後半に登場した明誉古礀《贈円光大師号絵詞》の味が個人的にも好み。一方で狩野一信の〈五百羅漢〉はわかりやすく奇想といった趣です。
仏教の一つである浄土宗に向き合えたという意味で、貴重な機会でした。最初に書いたような前提部分はどうしても必要だと思いますが、それさえ知っておけば楽しめる部類でもあるかと。
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法然寺は、髙松初代藩主松平頼重(1822〜95、徳川光圀の兄)が、法然上人配流の地にあった寺を移して、寛文8年(1668)から3年かけて造営した。十王堂、来迎堂などにも群像があるが、圧巻はこの仏涅槃偶像である。
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