なりそこない家族
結局、今日も闇落ちしてしまった。娘のお弁当は昨夜作ったので、朝早く起きる必要がなく、寝るのが遅くなってしまった。でも、ゴミ出しには間に合ったので、良しとしよう。
健全なものを見ていると、気分が上がるかと思い、岩合さんのネコ番組を見ていたのだけど、これが良くなかった。トリガーは子猫だった。
いまだに詳しいことを書くのがしんどくなるが、兄と私は仲が良くない。兄は私を憎んでいるようだった。
母は妹を偏愛していた。私は母の実の子ではないのかも。そうである方がラクになるぐらい、私は本当にみそっかすだった。母は私には興味がなかったのだ。両親とも兄妹とも生まれつきウマが合わなかった。
前に中学の頃に両親が居酒屋を始めたことがきっかけで、家庭が崩壊したことを書いたけど、本当はもっと幼い頃から私は親に絶望していた。
母は他人の前で、決まって私の恥ずかしい失敗談を話した。ヤクルトレディをしていたが、いつか仕事場に連れて行かれた時も、他のヤクルトの人たちの前で、私の失敗を嗤っていた。私は所在なく小さくなるしかなかった。
すると、ある女性が「この子、耳が聞こえないの?」と言った。私は驚いて首を振った。「聞こえるのに、お母さんにあんなこと言われたら、恥ずかしいよね?」と言われた。母はバツが悪かったのか、私に外で待つように言った。
しばらく待っていると、その女性がガラガラと引き戸を引いて出てきた。「お母さん、待ってるの?」と声をかけてくれた。うんと頷くと、彼女は言った。
お母さんのこと、嫌いでしょう?
驚いて、私は首を振った。自分がひどく惨めな気分になった。泣きたくなるのを我慢していた。
父は父で、問題のある人だった。父は施設で育ったと聞いたことがある。私は祖父と一度しか会ったことがない。祖父の横には、祖母ではない老女が座っていた。父は二人を毛嫌いしているようだった。
悲しい家族の歴史だ
私は父にも母にも甘えられずに育った。いつかふざけて昼寝している父に飛び付いたら、ふざけんなよ、このガキがと言われた。父は愛し方を知らないのだと思った。
居酒屋をしていて、遅く帰ってくる両親。平日、顔を合わすことはない。こんな生活をしていることを、誰かにしゃべってはいけない。一緒に暮らせなくなるから。私たちはそう言われていた。
私は施設に預けられる方がマシなのではないかと思った。助けてくれる大人はいなかった。でも、成長してから親が言うのを聞いたことがある。
中学の兄の担任が、親にもっと子供に目をかけてあげて下さいと何度も言いに来たことがあるそうだ。父も母も、不満げに思い返していたけど、私は胸が熱くなった。少しでも気にかけてくれた大人がいたなんて。
親が改心して、態度を改めるようなことはしなかったけれど。それを昔の私に耳打ちすると、少しは救われたように感じた。
とりとめもなく、思い出したことを書いてしまった。午後はちゃんと仕事をしなきゃ。今日はこれでおしまい。
【本日の溜息:悲しい家族の記憶】
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