母の庭
祖母の庭の話を書いたので、今度は母の庭の話。
おばあちゃんの庭はほっとする場所だった。
母の庭は綺麗なんだけど、複雑な気持ちになる場所。
母には癒しなんだと思う。
けど私には強すぎるんだよね、何かが。
庭のパワーみたいなものかな。
おんなじ場所なのにね。
私は高校在学中に家出して、自活してきました。
きっかけは母の「出ていけ」の一言。私にとっては一人で生きる大変さより、家族と暮らす大変さの方が勝っていたようです。卒業式も一人、数年はおばあちゃん以外とは連絡も取らずでした。
そして私の家出後、母は庭で薔薇を育てるようになった。
だんだんおばあちゃんの庭だったところは減ってゆき、おばあちゃんが亡くなって今は名残が残るのみ。90%母の庭だ。
母が薔薇を育てだした理由は、私を育て終わったから。
少なくとも母はそう思ってる。
いなくなった=終わった、だったみたい。
数年後、実家に行った時には庭は薔薇であふれていた。
母曰く「植物はいい、手をかけただけきちんと育つ」
私はきちんと育たなかったようだ。
そして数年前ちょっとした発見があった。
私はもう少し、母と仲良くなりたいと思って薔薇の苗を贈った。「奇跡」「神の祝福」「夢叶う」という花言葉をもつ青い薔薇。
でも、青い薔薇は…亡くなりました。
なんかすごく悲しかったのよね。
母は薔薇を育てるのは得意なのではないのか?
と謎にも思い…。
2年前に別の薔薇を贈る機会があり今度はどういう薔薇がいいのかを確認しました。もう死んでほしくないし。
そうしたら、何より大切なのは「丈夫な事」だった。
綺麗とか、好み、とかそういう問題ではなく「丈夫」が優先順位の先頭。ようするに青い薔薇は弱い、手間のかかる薔薇だったのだ。
私、ぜんぜんわかってなかった。
あぁなるほど。
人であっても植物であっても母の元で育つ事が難しいものは存在するのだと納得した。
相談した後、丈夫なやわらかい白色の薔薇を贈った。
華やかな薔薇の多い母の庭では地味かもと思ったけど、
丈夫だし頑張って生きてくれたらいいなと思っている。
まだ小さいけど、とりあえず生きてる。
そもそもあそこは、おばあちゃんの庭だ。
大丈夫。大丈夫。今度こそは。
母はオープンガーデンを年に一度行っていて、その時は私も手伝いに駆り出されるので、私の年中行事にもなっている。滞在時間も長くなったので、母の庭に私の好きな花も居てくれたら心強いなと思うようになった。
懲りないね、と自分でも思う。
ちなみに去年育ててとお願いした勿忘草は育った。
嬉しかった。
今年はくすみカラーのポピーの種を託した。
花言葉は「感謝」「思いやり」。
最近芽が出たと報告された。がんばってほしい。
娘って、なんだか結局、根に持っている事があっても…。
いくつになっても母と娘ってちょっと複雑。
これからもまだ気持ちに変化は生まれるだろう。
同じような人も多いのかな?と思っている。
むずかしいですよね。うんうん。
丁度いい距離感で、丁度いい感じで。
ずっとそういれたらいいのですが。
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