見出し画像

【mom】no. 2: 母が初めててんかんの発作を起こした日

こんにちは!

前回

昨年くも膜下出血になり、失語症を発症した

母について

書きました。


今回は

母が救急搬送されてから約10か月後の
今年の2月の頭に

母が初めて
てんかんの(軽い)発作を起こした日の

記録を

メモを整えつつ、残したいと思います。

※母の許可を得て書いています。
※(一応)くも膜下出血や失語症、てんかんに関する内容が含まれます。

2024/2/2 (金)

午後、お父さんからLINEがあった。 


お母さんが手術することになった。

水頭症の治療で入れている
シャントが曲がっていて、

脳の中に液体が溜まってしまったらしい。

最近よく寝てて、頭痛もしてたらしい。


今朝はいつもより遅く起きてきて

(病気になってやめたはずの)仕事に行くつもりで
着替えをして

階段降りてきた時、ふらついてて
何を言ってるかよくわからなかったらしい。


私は今日ちょうど、友達とランチしてて
お母さんの話しをしてた。

まだお母さんを多分、
受け入れきれてないこと。

お母さんに対して怒りなのか
ネガティブな感情ももってしまっていること。

でもこの前、社内の研修で先輩に言われて、

私はお母さんを知らずとロールモデルにしてて

やっぱりお母さんのこと、
憧れてるし、好きなんだなって思ったこと。

そんな話をしてた。


そんな矢先の
お父さんからのLINE。


自分は知らずのうちに

お母さんが戦っているものを
軽んじていたのかもしれないって思って

自分を責めてしまう自分がいた。


お母さんが闘ってるのに、

私は病気によって変わってしまった
お母さんに対して

いやだ、きらいだ

みたいな感情をもってしまっていて、

そんな自分が嫌になった。


きっと甘えなんだろうな。

いくつになっても、
関係性が変わったように見えても、

やっぱりお母さんはお母さんなんだ。


切なかった。


やっぱり思ってしまう。

どうしてお母さんじゃなきゃいけなかったんだろうって。

おわりに

さて、今回は

母がはじめて
てんかんの発作を起こした日のメモを

残してみました。

メモには

シャントが原因で、
母が手術することになったと書いていますが、

次回の記事でも書くように

数日後に
実際にはこれはてんかんの発作だったことがわかり

手術はしなくて済みました。



高次脳機能障害(失語症も含む)や
てんかんと闘う母と

1人の娘として
どう向き合って、どう受け止めていくかは

当時も、今も
考えることです。

私なりのプロセスを
ここに残していくので

引き続き
お付き合いいただけたら、嬉しいです。

それでは、また!
Karin


次回の記事はこちら:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?