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近世百物語・第六十七夜「学校の怪」

 中学一年生の時だけいつも一緒に遊んでいた友達の、顔も名前もまったく思い出せません。と言うのは、本当にその人が実在の人だったのかどうかも分からないからです。友達とはいつも遊んでいましたが、不思議と授業中にどこにいたのか記憶はありません。そして、その友達が誰なのかも分かりません。
 学校が終ってから、どこかへ遊びに行くとか、または、一緒に帰ると言ったこともありませんでした。ただ休み時間にだけ、いつも同じ場所で待っていてくれたのです。そこは学校の中では、
——幽霊が出る場所。
 と言われていました。他の人は誰ひとり来ませんでした。
 ある時、友達に向かってシャーペンのようなものを投げたことがありました。ふざけて投げたのですが運が悪いことに首に刺さってしまいました。
 しかし、その友達は何気ない顔をして、
「大丈夫、これくらいじゃ平気だよ」
 と言って笑いました。シャーペンは深く刺さっていたのに血も出ていません。友達は刺さったシャーペンを自分で抜きました。
 その時、私は、怖る怖る尋ねました。
「人、なの?」
 すると友達は、
「バレたら、もう、お別れだな……」
 と言いました。その日以来、友達とは一度も会っていません。

 学校と言えば、これは良くある話ですが、小学生の時に学校に〈あかずの間〉と呼ばれるトイレがありました。それも、ふたつもあったのです。
 ひとつは二階の教室の中にあり、何でも、
「天皇陛下が来られた時に、お泊まりになった」
 と言うことで、その時に作られてからほとんど使われることなく閉鎖されたそうです。この〈あかずの間〉に幽霊話はありませんでした。
 一階のトイレの一番奥にも〈あかずの間〉と呼ばれる個室がありました。ここは、生徒は誰も近付かない場所のひとつでした。個室どころか、その隣にも誰ひとり入りません。
 ある時、そこで、
——幽霊の声を聞いた。
 と、噂がたちました。
 当時、『恐怖新聞』のような怪奇コミックが流行はやっていたこともあり、尾ヒレが付いて色々な噂となってゆきました。
 あの頃は、たとえば、
——音楽室のピアノで『エリーゼのために』を弾くとお化けが来る。
 とか、
——二階の水場でポタリポタリと水が落ちて、そこに何か出る。
 と言った怪奇ネタが流行っていました。
 あまりに子供たちが騒ぐので、普段から怪談を馬鹿にしていた先生が、
「そんな迷信は間違っている」
 と言ったとか言わないとかで〈あかずの間〉に入ると言い出しました。
 いざ、その日が来ると、別にどうと言うこともなく終わりました。普通にドアを開けて入ってしまったのです。
 あまりに、あっけなかったので、
「なんだ、本当に迷信だったのか」
 と安心したものです。しかし、数日して先生の様子がおかしくなりました。明るい性格の先生だったのですが、その日を境に暗い性格に変わったのです。そして、ある日、学校に来なくなりました。
 なんでも、
「身内に不幸があって、しばらく田舎に帰っている」
 と言うことでした。先生は間もなく行方不明になりました。その頃、急にトイレの工事があり〈あかずの間〉は封鎖されてしまいました。やがて学校そのものが建て替えになったので、今はもうありません。
 当時、私は学校の近くに住んでいました。夏休みになると、時々、トイレの方向から人魂が飛んで来るのを見ていたので、そこが嫌いでした。人魂は生臭いので好きではありません。
 学校の理科室とか保健室やトイレには、どうしてこんなに怪談話が多いのでしょう?
 学校の怪談と言えば花子さんです。花子さんは人を襲いますが、現実の亡霊はそんなことはしません。もしも、人を襲う亡霊の類がいたら見たいものです。
 昔からどの学校にも怪談はつきものです。学校を墓場の跡地に建てる場合が多かったのが理由なのかも知れません。江戸時代が終わって明治に入ってから、学校を建てるための広い場所が必要となりました。明治の頃に自由に使える広い土地と言えば、墓場しかなかったのです。元々墓場なので湿度が高い土地でした。そこに建物を建てた訳ですが、建物の中でもひときわ湿度の多い場所に霊的な波動は集まります。そして、霊的なエネルギーを供給する子供たちを集めて押し込めたのですから、霊現象が起こらない筈はありません。

 霊的なものを子供たちは感じて反応します。大人になってしまった先生はそのような感性を持ち合わせていなかったようです。これは大人であることには問題はなく、ただ個人の感性の問題だと思います。
 墓場のような悪い場所を好んで集まる癖を持つ人は、感性的にはとても鈍い人です。何か悪い波動があっても感じないのです。しかし、感じられないのならそれはそれで強いと思いますが、実際はそうではありません。霊的な物事に対する免疫がないのです。ですので、すぐに心がやられ、そして感情を制御することが出来なくなり、多くは自滅の道をたどります。
 これは、野狐やこに憑依された人にも多くみられます。とにかく、自分の感情を制御することが困難になるのです。野狐については『近世百物語』第六十四夜にも説明がありますのでそちらを参考に……。
 野狐が憑依した人は、常にネガティブな言葉を吐き、まわりの人に不快な思いをさせます。
 その多くは、
「自分が正しい」
 と言った幻想をいだき、違う意見を持った他人を言葉で攻撃しようとします。
 学校で、子供達がイジメ合って傷つくのは、これらの憑依現象のひとつなのかも知れません。
 しかし、子供の多くには憑依しません。それらは子供を媒体にして親に憑依し、子供やまわりの人々に不幸やわざわいをもたらす種類の霊的な現象です。すべてがそのような種類のものではありません。そのようなことが多いのです。
 さて、これらがどのように厄をつくり、あなたを不幸に陥れるのかと、そして、それらに対する対応の方は『不幸のすべて』に詳しく書いていますのでそちらをご参考に……。
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