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近世百物語・第九十五夜「手形足形」

 何度か、ガラスに付いた凍った手形を見たことがあります。ある夏の暑い夜のことです。飲み物を飲みほして、しばらくそのままにしていたコップが、テーブルの上でピキッと音を立てました。気付いてコップを見ると、向こう側から誰かが触ったような手の跡がありました。それは子供の手のような、とても小さなサイズでしたが、ガラスの表面に凍りついていました。

 これもまた、別な真夏のある時の出来事です。あまりの寝苦しさに、夜中に目覚めてカーテンを開けました。クーラーのスリープ・タイマーが終わって気温が上がっていたのです。窓を開けようとして鍵に手をかけると、その瞬間、視線の中に手形のようなものが見えました。
——えっ?
 と思って良く見ると、やはり複数の手の跡でした。しかも、窓ガラスの外についています。その跡は手の形で凍っていました。その時、住んでいたマンションは今でも京都にありますが、私の部屋は8階なのです。窓の外は道路に面していて、何もない空間だけが広がっています。まぁ、このようなことは、私にとっては珍しくもなかったので、すぐに祓詞はらえことばを使って祓いました。

 また、ある時は、天井に人の手形を見たことがあります。これは怪しげな廃虚の中で見たのですが、やはり子供くらいのサイズでした。普通、天井にある手形は黒いシミのようなものです。多くは建築された時、作業している人が素手で天井を触ってしまい、しばらくして残った脂肪分に黒カビが生えたものです。もちろん、霊的な現象ではありません。
 よく勘違いして、
「怖ろしいので、ちょっと見て欲しい」
 と、言われる現象のひとつです。しかし、この廃虚の天井で見た手形は別でした。血の手形なのです。しかも、まだ新しい血のようで、かなり高い天井に片方だけ付いていました。もちろん、即座にその場を離れ、廃虚の外で祓ったのは言うまでもありません。このたぐいに遭遇した場合は、即座にその場から離れ、外で祓うのが最も良い対処方法です。多くの人はそのまま気にせずに建物の奥へ行ってしまい、怖ろしい体験をすることになります。
 人によっては、怖ろしいものに遭遇して逃げ帰りますが、そのものを憑依させてしまいます。それから数日、高熱を出したり、奇妙な体験をしたりして、とても厄介やっかいなことになります。家にまで来てしまうと、祓うことが困難になります。すぐにその場で祓うのが得策です。

 また、見たことを誰かに話しても、同じ現象が起きることもあります。話した内容が霊現象を呼び込み、引き起こすのです。
 最近も、何度か、目撃談を聞きましたが、どの場合もその場で祓うのがベストです。祓うには、強く柏手かしわでを二回打って対処します。最初の一回目で霊を呼び込み、二度目で脅して祓うのです。だから二度目は、一度目よりも強く叩く必要があります。この時、唱えごとを口にすると良いです。
 唱え言は、
——祓い給え、清め給え。
 です。もう少し本格的なものを唱えたい場合は〈祓詞〉を覚えて唱えてください。
 祓い用の霊器れいきを持っている場合は、それを使うの方が良い結果をもたらします。自分に何かありそうで怖い時は〈招福しょうふくの鈴〉のような物を手に持って鳴らすと便利です。〈招福の鈴〉は完全な球体の鈴で神事などに使う物です。

 またある時は足形を見ました。これは子供の頃に祖母の家で見たのがはじめでした。それはやはり血の足跡で、まさしく血のしたたるような新鮮な感じでした。
 祖母は足形を見て、
「まったく、あいつらときたら、人の家を汚しおって、いったい、何だと思っておるんじゃ」
 と怒っていました。
 足跡は廊下を横切り、雨戸を上り、天井付近で消えていました。やはり子供のようなサイズでした。天井についた足跡から、しばらく血がれていました。その時のポタッポタッと言う血の落ちる音が、今でも耳に残っています。その時も、やはり祖母は口で祓詞を唱えながら、雑巾ぞうきんで血の跡を拭いていました。祓詞を祖母が、まるで歌うように唱えていたのが印象的でした。

 また、ある時は凍った足跡……とか書こうと思いましたが、さすがに凍った足跡だけは見たことがありません。しかし、顔の半分を押し付けたような凍った跡は見たことがあります。それも、やはり真夏の夜のことでした。これが真冬のことだったら、
——凍った跡は不思議ではない。
 と思います。真冬には自分の手形が凍りついたものしか見たことがありません。北海道の真冬は寒さがきびしく、言葉では表せないほど過酷なものです。冬の屋外で金属や窓ガラスを素手で触ろうものなら、手がくっつくのを覚悟しなければなりません。子供の頃、何度か素手で金属の錠前を握ってしまい、手が離れなくなったこともあります。

 さて、顔半分の凍った跡は、少し笑った女の顔のようでした。
「どうせ、人をおどかして楽しむような悪趣味な亡霊だろう」
 と言って、そのまま祓いましたが、その時は拍手かしわでのみだったので、次の日の夜中に、また同じことが起こりました。しかし、今度は怒っているような、何か恨みがましい表情をしていました。
——しつこいのは嫌われる原因なのですが……。
 とか思いながら祓おうとすると、手の跡が追加されました。しかし、どうして凍った手形が出る時は、ピキッと音を立てるのでしょう? ただの錯覚かも知れませんが、あの音は耳ざわりに感じます。多くのラップ音も耳ざわりです。カタカタとかコツコツと言った音です。壁を指で引っ掻くような、擦るような、嫌な感じがします。

 顔半分の凍った跡は、ご想像通り見事に祓ってしまいました。ただ、それからしばらくして、近くの家に出たようで、ある日の夜中に悲鳴が聞こえ、耳をすまして聞いていると、
「顔が、顔が……」
 と震える男の人の声が聞こえました。
 これは私には無関係なので、
「その人が自分で何とかするだろう」
 と思って眠りましたが、何日かしてその家の住人がいなくなったらしい噂を耳にしました。

 また、ある時、血の足跡を壁で見つけました。その時は祖母が怒っていた時の気持ちが分かりました。
「また、こんなに汚して、シミになったらどうするんだい」
 と、叫びたい気分でした。しかし、とりあえず祓ったらシミが消えたので、掃除をする必要がなくなって助かりました。だって私は壁についた血のシミの効果的な掃除方法については詳しくないのですから……。

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