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近世百物語・第八十三夜「アイヌ・モシリ」
子供の頃、アイヌ・モシリに迷い込んだことがありました。アイヌ・モシリと言うのは、アイヌの人たちの村のことです。普通は観光地化していて、熊の木彫りやニポポ人形などのお土産屋さんの店が並んでいるものですが、私が迷い込んだのはそれではありません。
最初に、そこに迷い込んだのは中学生くらいの頃だったと思います。その日は霧の深い日で、私は山で遭難しかけていました。まだ初夏でしたが割と暖かく、一晩野宿したからと言ってすぐに凍死するほどではないようでした。ですので道に迷っても、それほど怖ろしくはありませんでした。
都会とは違い、北海道の山奥で道に迷うことは死を意味します。死ななかったとしても、それ相当の覚悟をしなければ無事に帰りつけるかどうかは分かりません。その時も帰れなかった時のことを考えて、それなりの覚悟をし道を進んで行きました。
ふと、気がつくと、私は知らない村の入り口に立っていました。かなり霧が深かったので、村の全体は見渡すことが出来ません。村の雰囲気には見覚えすらなかったのです。
——ここは、どこだろう?
と思いながら人影を探しました。
そこで見かけた人はアイヌの人たちでした。アイヌの人と言っても、今の人たちとは違い、昔のままの民族衣装を着ていました。
それで、
——どこかの観光地にでも出てしまったのかな?
と思いました。しかし、お土産屋さんらしい建物が見当たりません。それどころか電柱すら見えません。
すべての建物が、古い昔のままの建物でした。
——ここはどこなんだ?
と思い、誰かに聞こうとすると、アイヌの人しかいませんでした。
私は、とっさに物影に隠れ、あたりの様子を伺いました。すると、男も女もすべてアイヌの人たちで、しかも円になって踊りはじめました。アイヌの人たちの儀式に踊りがあります。それは、皆で円になって踊りながら祈るのです。私は何度かそれを観光地化した集落で見ました。それと決定的に違っていたのは、見物人がひとりもいないことです。
近くにいる人も、すべてアイヌの人でしたので、和人は、私ひとりのようでした。
アイヌの人たちは日本人を〈シャモ〉と呼びます。これは日本人が聞いた発音で伝わったものらしく、本当はアイヌ語で〈隣人〉を意味する〈シサム〉が訛ったもののようです。
以前、実家の裏のアイヌの人の聖地で出会ったシャーマンは、私のことを〈シャモの子〉と呼んでいました。このお話は近世百物語・第七夜にあります。
また、祖母の知り合いのアイヌの人からは、「あの、おばぁ様のお孫様」
と呼ばれていました。このお話は近世百物語・第五十ニ夜にあります。
ですので、私は、
——彼らは私のことを何と呼ぶのだろう?
と、興味を持って見ていました。すると、少し騒がしくなりました。
何を言っているのかは分かりませんが、時々、
「シャモ……」
とか聞こえます。どうやら見つかったような気がしました。
すると、少しぎこちない日本語で、
「シャモの臭いがする。そこに潜むのは誰だ」
と声が聞こえました。
私は、驚いて、
「すみません。道に迷って来てしまいました」
と言って出て行きました。
ここで逃げたり頑張って戦ったりすると、返ってややこしい状況に陥ります。日本語を使う若い男の人が言いました。
「シャモの子か聞いておるぞ」
「えっ、何を?」
「シャモの町に、奇妙な術を使う怪しげな連中がいる。それを受け継ぐ者がいる」
「怪しげですか?」
「あぁ、お前の後ろに怪しげな霊どもがついておるぞ」
少し驚いて振り向きました。別に何も見えませんでした。その時、ただそこのアイヌの人たちに笑われただけです。
そして、
「お前をシャモの子と呼ぶ祈師はすでに亡きが、その弟子がいるぞ」
「えっ、こないだ吹雪の時、挑んで来た女の人?」
「今は修行場に入り、会わせる訳に行かぬが、雪崩で助かって良かったな」
と笑いました。このお話は近世百物語・第七十五夜にあります。
それから、しばらく色々なお話しを聞きました。そして、遅くなったので道を聞いて帰ろうとすると、
「道は、おのずと開くであろう」
と意味の分からないことを言われました。
しかたがないので、
——道に迷ったら、また、ここに返って来るか。
と思いながら村を後にしました。しばらく道を歩いていると、突然、霧が晴れました。すると良く知っている道に出たのです。振り返ると村は見えませんでした。ただ広いだけの大地なのに村らしい影すら見えません。少し不思議に思いながら、人家のある場所に到着しました。そこからバスに乗って無事に家に帰りました。
家に着くと、さらに不思議なことが待っていました。最初に出発した時間とバスに乗って帰った時間がほぼ同時刻のようだったのです。迷わずに歩いても二時間くらいの距離だと思います。それが、かなり迷って、しかもアイヌの人の村にまで行ったのに、ほとんど時間が経っていません。
祖母が私を見て、
「町まで歩いて来ると聞いていたが、ずいぶん早く帰って来たのぉ」
と言いました。ですので、今、行ったアイヌの人の村のことを説明しました。
すると、
「それはアイヌ・モシリと呼ばれる場所じゃ。そこは昔のままのアイヌ人の村で、シャーマンたちが住んでおるらしい。わしも行ったことがあるが不思議な場所じゃった」
と言いました。
その村へ二度目に迷い込んだのは、私が高校生くらいの時でした。その時も、やはり霧が深く吹雪でした。そして私は遭難しかけていました。真冬のことでしたので、
——今回は凍死するかも知れない。
と覚悟して歩いていた時、やはり突然、村に出ました。そして、以前に出会った人々に再会しました。ですが、若い女のシャーマンの弟子はまだ修行に行ったままのようです。
話を聞くと、私が以前に迷い込んだ時から数ヶ月しか経っていないと言っていました。
「この修行、一冬は修行場に行っている」
と言っていました。
結局、その女の人には二度と出会うことはありませんでした。そしてその村にも二度と行くことは出来ませんでした。
不思議なアイヌの人の村で様々な技法を教えられ、それも私の中に蓄えられた知識のひとつとなりました。
あれから、もう何十年も経っていますが、あの村は、まだ、どこかにあるかも知れません。村にとっては、私の訪問は数年前の出来事かも知れませんが……。
* * *