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近世百物語・第五十一夜「祖母のお客様」

 何度か百物語にも書きましたが、幼い頃、私は祖母の家に預けられていました。母が病弱であったこともあり、私が祖母の家を気にいっていたこともあり、幼児期の記憶のほとんどは祖母の家での出来事です。祖母は不思議な人でした。もちろん、私に播磨陰陽道を伝えてくれた人です。しかし、それ以外にも、色々と不思議なことをしていました。
 何度か鳥や動物たちと話しているのを見たことがあります。単に話しかけていたのではありません。相手も返事をして、祖母の使いをしていたのです。
 当時、祖母の家は森の中にありました。近くに他の建物はありません。かなり離れたところにサイロがあって、それ以外は深い森が続いていました。家の近くには池がありました。この池は、昼間に様々な鳥が遊んでいました。
 祖母の家に泊まっている時、時々、深夜に訪問者がありました。深夜に限ってのお客様です。特に満月近くの明るい夜には、毎日、お客様がやって来ました。
 祖母は、
「ゆんべもお客様がまた来た」
 と、朝になって言っていました。何をしに来るのかは知りません。
 私は何度か寝たふりをして、お客様の影をチラリと見たことがあります。影を見たのは、お客様が、いつも縁側の障子の向こうに立っていたからです。満月の光が差して、障子に影が写ります。
 お客様は、満月の晴れた夜に多かったのです。それも、みんな、縁側の少し開いた雨戸の隙間から入って来るのです。
 ある時は、障子の向こうにブンブンと虫の羽音のような音がして気がつくと、
「カメ様はご在宅かや?」
 と、こもった声が聞こえました。
 その時は、その言葉が東北弁のような気がしていました。今にして思えば、ただの古語だったのかも知れません。
 祖母は名前を〈亀〉と言ったので、夜のお客様から〈カメ様〉と呼ばれているようでした。私は色々な人から〈カメ様のお孫様〉と呼ばれていました。
 当時は、
「そう呼ばれていることを誰にも言ってはいけない。お前が、もし、それを言えば、その人は、その姿のまま心が別な何かに入れ替わるかも知れないから……」
 と、祖母から注意されていました。
 そして、
「しばらく、どこかへ行っている人も、中身が入れ替わっていることがあるもんじゃ」
 とも言われていました。
 その頃、それはとても怖ろしい物事であるような気がして、親がどこかへ言ったまましばらく帰って来ない時は、
「もしかすると、別な何かと心が入れ替わってしまったのかも……」
 と思って怖れていました。
 大人になってから、人格が入れ替わった人を何度か見ました。突然、まったく別人になってしまうのです。

 さて、ブンブンと羽音のような音を立てるお客様の影は大きな虫のようでした。影の中に、手足が何本か見えたのです。時々、横を向くと、あごに長いひげのようなものが生えていました。それは、虫とか動物のようなものではなく、人間の老人の顎にあるような長い髭でした。顔は人だったのです。もちろん体は人ではありません。大きなコオロギに老人の顔がついた姿でした。
 また、ある時は、ただひたすら大きいだけの黒い人影で、顔の真ん中に、ひとつだけ目が輝いていました。目のまわりは明るかったのですが、鼻や口は見えません。大きな目があるだけでした。
 お客様がどこから来るものなのかは分かりません。いつも、不思議な形をしたものが多かったような気がします。
 朝になって、そのことを祖母に聞くと、お客様が来たことは教えてくれますが、後のことは、
「お前は知らない方が良い。それにいずれ分かる時が来るから……」
 と言われ、教えてもらえませんでした。
 ある朝、縁側にたくさんの獣の毛が落ちていることがありました。
 それを、祖母が片付けていました。
 その時、
「お客様が、また、来たの?」
 と言うと、
「あぁ、ゆんべは、たいへんじゃったぞ」
 と言って、笑っていました。
 いつだったか、縁側に御幣ごへいの切れ端が落ちているのを見ました。
 その時も、祖母は、
「ゆんべのお客様が、腰に巻いていた縄に、これがついていたんじゃ」
 と言っていました。
 その頃は、まだ私の知識も浅く、それらの情報から、どんなものが来たのかを判断することは出来ませんでした。
 一度、障子の隙間からお客様の姿をハッキリと見たことがあります。その時に祖母の家に来たのは、市松人形のような姿の女の子でした。それは、何度か見た、曾祖母の家にあった人形ではありません。しかし、人形そのものでした。
 着物姿の人形は、やはり、
「カメ様はご在宅かや?」
 と、こもった声で言いました。
 祖母が返事をして縁側へ行くと、人形が口を動かさずに、
「カメ様のお孫様が見ておいでになるが……」
 と言いました。
 私は、
「しまった」
 と思い、目を強く閉じました。
 その瞬間、意識がなくなり朝が来ました。目が覚めたので、おそるおそる祖母に、
「ゆんべのお客様は?」
 と聞きました。
 すると、
「お前の目にさらされたので、失礼があってはならぬこともあり、そうそうにお引き取り願った。良いか、お客様が来たことに気づいたからと言って、けして目を合わせてはならぬぞ」
 と言って叱られました。
 次の夜、祖母に、
「ゆんべのお客様が、また来るで、お前は目を開けるな」
 と、言われました。
 そして、また夜中に、
「カメ様はご在宅かや?」
 と、小さな声が聞こえました。
 私は目を強くつぶり、耳を両手で押さえ、そのまま寝入ってしまいました。
 祖母にどんな用事があって来るにしろ、
——それは、とても怖ろしいものだ。
 と思ったのです。今でもそれらの理由や正体は分かりませんが……。

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