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近世百物語・第六十二夜「仏法嫌い」
私は自他共に認める仏法嫌いです。播磨陰陽師は神道系の陰陽師ですので、先祖代々、仏法そのものを嫌います。と言うのは、先祖が仏法に滅ぼされた物部一族の末裔にあたるからかも知れません。
伝承にも、
——われらは、仏法僧を、嫌う者なり。
と伝わっています。しかし、陰陽道には仏法系の陰陽師たちもいます。彼らは〈法師陰陽師〉と呼ばれ区別されています。特に播磨の国では、国内に住む法師陰陽師たちを忌み嫌っていました。それは、われわれの祖先が法師系の陰陽師との戦いの歴史を持つからです。しかし、どの場合も、われわれが勝っているので、どうと言うこともありませんが……。
そんな私が幼い頃、仏壇にボールをぶつけてしまったことがあります。その日の夜、夢の中で化け仏の悪夢にうなされました。かなり怒っている仏像のようなものが、私の夢に現れて、ここにはとても書けないような言葉で私を罵ったのです。
それから、不思議と仏事や寺には縁がなくなりました。寺に泊まった時も不思議なことが起きて騒ぎになることが多いのです。
ある時は、寺に白い犬が来たりしました。弘法大師を迎えに来たものとして、犬は縁起の良いものとされますが、怒って吠えていたのには閉口しました。
また、ある時は、大きな蜘蛛や、蛇や百足が出て寺自体が騒ぎになったこともあります。百足は雌雄一対で出ることが多く、一匹、見つけたら、必ずもう一匹いるのです。ですので、捕まえた後、もう一匹が出て来てさらに騒ぎが大きくなりました。
そしてまたある時は、ちょうど私が泊まっている日に新仏が出て通夜となり、家に返されたことがあります。しかも、その寺の関係者が亡くなって大騒ぎになったのです。
少し前、仏教系の新興宗教の教祖が幹部に指示して信者を集めるために放火を繰り返した事件がありました。これと同じような感じで、私が泊まっている寺が火事になったこともしばしばありました。仏法に関係した人と会うと未来に碌なことがないのも事実でした。それは単に私が仏法嫌いだからなのか、それとも特別な意味があるのかについては知りません。ただ、碌な思い出がなかったのです。しかも、仏壇にあげた物をうっかり食べると、体調まで悪くなるのです。わが家では、仏壇にあげたお菓子とは別に、同じお菓子を買ってきてくれます。
私は、幼い頃から寺でも時々修行していました。そのこともあり、すでに十代の時、すっかり寺嫌いになっていました。
朝早く起こされてお経を読まされるのは退屈です。しかもお経は日本語ではないので意味も分かりません。それに墓場には正体の分からない怪しげな霊たちがウロウロしています。なぜ、成仏させている筈の寺に亡霊が出るのか意味もわかりません。
東京のある寺の地下のセミナールームに行った時、壁から出てきて歩き回る怪しげな霊を何体も目にしました。当然、成仏などしていないのです。墓場をウロつく連中も、枚挙に暇もありません。
昼間の神社に亡霊が出る話など、一度も聞いたことはありません。せいぜい暗がりに妖怪が出るくらいです。
夜の神社は神の力を失っているので、時々、亡霊が出ることもあります。以前、夜中の神社の境内で掃除をする女の亡霊を見たことがあります。人の通わない深夜の神社で、長い髪の毛を振り乱した女の霊が竹箒を持って掃除をしていたのです。車のヘッドライトがたまたま当たったので、一緒にいた人たちにもハッキリ見えたようですが、最初、暗闇の中に動く霊は、私の目にしか見えていませんでした。見ていた友人の中には、
「箒だけが動いていた」
と怖れていた人もいました。
そう言えば、ゲーム会社に自転車で通っていた頃、夜中にしか帰らなかったので、近道の墓場の中を通って帰ることが多くありました。その時も、自転車の荷台に誰だか分からない半透明の女が勝手に乗って来ることが多かったです。
霊とは言え勝手に来るものは嫌いです。
——こちらは礼節を持って、霊的なものたちに対応しているのだから、むこうも礼儀を持って欲しい。
と、常々思っているのです。ですから、挨拶もせず荷台に勝手に乗って来るなど考えられもしません。
夜中でも、
「さっさと墓場に帰るべし」
と叫んで祓ってしまうだけのことです。
経文は唱えても時間が掛かるので、私は短時間で効力を持つ〈祝詞〉の方が好きです。それは今の世も平安時代も同じようで、しばしば、
——陰陽師と僧侶が祓いと言う霊的な対決をした。
と言った伝説があります。経文と祝詞の効力比べです。これは歴史的には周知の事実ですが、効力は陰陽師の方が上でした。効力がどうこう言う以前に、長さが違います。祝詞は十分以内に終わるものが多いですが、お経は終わるまで何十分とかかります。
効力比べで、だんだんに立場が悪くなってた僧侶たちが、立場を保つため、
——天狗と言う幻想を造り出して、自分たちの霊力の高さを吹聴した。
と言う記録まであります。
仏法で言うところの〈天狗〉と、われわれが知るところの〈天狗〉は、基本的に別な存在です。
仏法の天狗は、修行が足りない僧侶が落ちてなる種類の悪霊の一種です。この世界を〈天狗界〉と呼びます。
一方、われわれ陰陽師が知るところの天狗には様々な種類があります。空から来る、あるいは、空に住む種類の意味の分からないものは、すべて〈天狗〉と呼んでいたのかも知れません。ですから、最近、流行りの〈天使〉なんかも、かつては、天狗の一種と考えられていました。
また、神隠しをするのも、この空から来る天狗たちです。私も何度か神隠しに会いましたが、だとしたら〈天狗隠し〉と呼ぶべきだとも思います。しかし、人を隠すのは、いつでも〈神〉と呼ばれるのです。ただ、便宜上、天狗と呼んでいるだけです。そして、本来の陰陽道や神道で呼ばれる〈天狗〉は、神仙界と呼ばれる神聖な霊界の住人です。彼らは人の願いごとを神に伝える役割をしています。人が山奥の神社で願い事をすると、その願い事を神に届けてくれるとされています。そして、叶う願い事の時は、神から許可を得て、天狗たちが密かに叶えてくれると言う訳です。なお、天狗についての詳しいことは『怪しい世界の住人〈天狗〉』にありますので、そちらを参考に……。
ちなみに、最近は寺の人々と付き合うことも多く、大切な友人が僧侶だったりしています。仏教嫌いも年齢と共に改善されるようです。
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