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近世百物語・第五十六夜「溺れた時のこと」

 雨を降らせることを〈雨乞い〉と言います。雨乞いは、必ず河魄かはくに願うと知ったのは、まだ中学生の頃でした。
 祖母の言葉に河魄の正体を知り、
——では、祈ってみよう。
 と思いたち、河魄の像を粘土で作って祈ることしばし、やがて、たいへんな雨が降り出しました。河魄とは、いわゆる河童の霊のことです。しかし、河童そのものではありません。河童に似ているので、キュウリを置いて祈ります。キュウリの断面は牛頭天王の紋に似ていることから、河魄も、牛頭天王と関係あるのかも知れません。
 河魄に祈ったことを知った祖母は、
「二度と河魄をいじるな。これは禁止じゃ」
 と、私を怒りました。
 祖母は河魄を怖れているようでした。それは私が幼い頃、川で溺れて死にかけたことに関係しているような気がします。
 私には幼い頃、川で溺れた記憶があります。最近までそのことを忘れていました。そして、ある夢を見て、その時の記憶が再現され、すべてを思い出したのです。
 その夢の中で、私は子供の頃に戻っていました。雲の上で遊んでいて、お風呂に入った後のようにずぶ濡れになっいたので、タオルで体を拭いていました。近くに老人がいて、遊んでくれていました。
「ここから下に落ちたら、さすがのおいらも危ないなぁ」
 と言うと、
「なぁに、馬鹿なこと、ほざいてるんじゃ」
 と笑っていました。
 夢の中で私は5~6歳の子供でした。下を見ると大きな川が見えました。その川は記憶に残っています。子供の頃に溺れて死にかけた川です。
 それで、
——ああ、あの時の記憶の中にいるのだな。
 と思いましたが、すぐに子供のような無邪気な心に戻りました。
 老人に遊んでもらっている時、ふと、
「じじぃ、ふだんはどんな仕事をしてるんだい?」
 と尋ねました。
 すると、
「そうさなぁ、勤め人みたいなもんじゃ」
 と答えてくれました。
 少し不思議に思い、
「勤め人って、どんな会社へ行くんだい?」
 と聞くと、その老人は下の川の近くを指差して、
「あそこに、小さなほこらが見えるじゃろう。誰かが、あそこに祈ったらご出勤じゃ。暗くなるまで日がな一日、おめぇのような川で溺れる子供を助けるんじゃ」
 と言いました。
「川で溺れた?」
 首を傾げると、
「良く下を見なよ、あそこに倒れて大人に囲まれいるのは、おめぇじゃろ」
「えっ」
 下を見ると、そこに子供姿の私が倒れていました。川で溺れて岸に上げられた所のようです。誰か大人が祠に向かって祈りはじめました。
 すると、
「最近は祈る者もめっきり少なくなったがのぉ。さて、出勤するとしようかぃ」
 と言って、私をきかかえました。
 そして、
「おめぇもそろそろ自分の体に帰んな。もう川で溺れるんじゃねぇぞ。でも、また、この川に流れて来たら、誰かに祈ってもらいな。助けてやっからよぉ」
 と笑い、私を抱きかかえたまま下へ降りてゆきました。雲から降りて、下の川へ行く途中、耳もとで老人が何かをつぶやきました。ふと、気がつくと、私はその夢の中で目を覚ましました。まわりにたくさんの大人がいて、
「良かった助かったぞ」
 と叫んでいました。
 何が起きたのか、混乱していて頭がぼーっとしていました。どうやら、川岸でずぶ濡れになって気を失っていたようです。
「一時は心臓が止まっていたから、もうダメかと思ったよ。良かったな」
 と大人に言われ、
——死んでいたのか?
 と、驚きました。
 祠の方に目をやると、祠の上にさっきの老人が半透明の状態で座っています。老人は、私の方に手を振りながら姿がぼんやりとして、やがて見えなくなりました。その時、耳もとで老人がつぶやいた言葉を思い出しました。
「おめぇも、大人になったら誰かのために祈んな」
「?」
「オレも、おめぇのじじぃにまつってもらうまでただの土左衛門じゃった。あの頃は、毎日が繰り返しで、川でずっと苦しんでおった。祀ってもらって救われたよ」
「そうなの」
「あぁ、だから、どんな子でもこの川で溺れる子を助けるんじゃ。今日は、おめぇを助けられて良かったよ。おめぇのじじぃに、宜しく伝えといてくれ」
 と……。
 この夢は、ここで目が覚めました。
 子供の頃に川で溺れて死にかけたことは、ずっとトラウマになっていました。溺れた直後から、その記憶を思い出すことが出来ませんでした。
——その時、何があったのか、まったく覚えていない。
 と思っていましたが、最近トラウマになっていることや、微かな記憶の断片が残っていることに気づきました。
 この夢は、その記憶を完全に蘇らせてくれました。この夢に見たとおりの不思議な出来事を、私は過去に体験していたのです。その時は、曽祖父に伝えようと思っても、記憶そのものがなかったので伝えてはいません。
 曽祖父は、この事件から数年して亡くなりました。彼は百歳を超えていたのですが、いくつなのか、本人も知らなかったようです。と言うのは、彼は、まだ、戸籍がきちんとしていない時代の、つまり、江戸時代の生まれだったからです。
 祖母から、
「徳川時代の最後の頃の生まれだ」
 と聞いていました。しかし、それが西暦の何年なのかを誰も知りませんでした。本人も和暦で言っていたので西暦では答えられません。その和暦にしても、戦争が終わって、大人たちが古い日本の文化に興味がなかった頃のことでしたので、誰も正確に覚えていません。曽祖父と言っていますが、実際は、祖母の祖父です。
 祖母が、曽祖父がまだ若かった頃のことを言っていました。
「あの川は溺れて死ぬ人が多かったので、じぃさんが死んだ人々を祀って、溺れる人が少なくなったことがある」
 思えば、あの時に言われた、
「おめぇも、大人になったら誰かのために祈んな」
 と言う言葉だけが、ずっと私の記憶の中にあったので、今の自分があるのかも知れません。そして、そのために祈り続けているのかも……。

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