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近世百物語・第八十六夜「死語」

 私は古語が好きです。かなりの量の古文を読んでいます。しかしそれは勉強したいからではありません。どちらかと言うと、必要にせまられて読むようになったのです。もちろん、子供の頃から、祖母は『古事記』や『日本書紀』を読んでくれていました。実際は読んだと言うより暗唱あんしょうしたと言う方が正しいかも知れません。祖母はそれらの古文のほとんどを丸暗記していました。
 近世百物語・第五夜に曽祖父が古語で話していたことを書きました。霊的な体験やそれらの伝承は古語が基本です。
 便宜上、古語と呼んでいますが、それは、まだ、普通に使われている言葉ですので古語とは呼べません。死んだ人々が使っていたり、死んだ人々のことについて語る時に使うので、ある意味〈死語〉かも知れません。ここでは〈死語〉と呼ぶことにします。

 さて、〈死語〉を最初に聞いたのは物心が付いた直後でした。現代語を話す普通の人々より、死語を話すものが話しかけて来る方が、私には普通の出来事でした。
 近世百物語・四十四夜の中で、
——物心がついて最初の記憶は猫の記憶でした。それからの私は幼い頃から様々なものに子守りされていました。
 と書いていますが、猫がいなくなると不思議なものが近づいて来て、私に話しかけたのです。その言葉はやはり死語でしたし、しかも私の記憶が、まだ、ハッキリしていなかったので、何を言われたのか覚えていません。しかし、とても奇妙な外見であったことと、それがその時は、少しも奇妙だとは思っていなかったことを覚えています。
 今、考えると、頭に手足の生えたような大きな顔が幼い私に何かを話しているのですから、奇妙な出来事だったと思います。

 また、ある時は、死語で話す亡霊に出会いました。江戸時代の服装と髪型でしたので、その頃に生きていた女の亡霊だと思います。
 幼い頃は亡霊を、
——怖い存在だ。
 とは思っていませんでした。
——ただ、少し他とは違う雰囲気の人。
 くらいにしか思っていなかったのです。
 そしてそれらの人々は、いつも幼い私の心を読んでいるようなことを言っていました。
 だから、
——人は、心の中で思っていることが、まわりに聞こえている。
 と、六歳くらいまで本気で思っていました。
 幼稚園に行き出すと、同じ年齢の人やその親が、あまりに単純なことに驚きました。誰も私の心を読んだり出来ないのです。
 しかし、時々、亡霊とか化け物とかがやって来て、やはり私の心を読んでいました。
——心が読めるくらいなら分かる言葉で話して欲しい。
 と、何度か思いましたが、その内、それに慣れてしまいました。
 曽祖父が古語で言っていたことも理解出来ます。曽祖父と祖母が、互いに死語で話している時は、他の人には分からない会話のようでした。しかし、私には良く理解することが出来ました。

 また、ある時は、自称〈神〉と言うものがやって来ました。私はまだ霊的なものが神かどうかは区別することも出来ない年齢です。しかし、死語の雰囲気がおかしかったので、
「神さま、どうして、そんな言葉しか使えないのですか?」
 と尋ねました。
 すると、色々と言い訳して来ましたが、どうにも勝手が悪いようでした。
「では、神さま、一生懸命、祈りますので祝詞のりとを聞いてください」
 と言って祓詞はらえことばを唱えると、祓われてしまったのか、どこかへ消えてしまいました。その神さまが使う死語に、仏教的な表現や現代語が混じっていたのです。
 今にして思えば、
——これはありえないな。
 と思います。
 至高の神を自称するのですから、そんないい加減な言葉使いはしない方が良いと思いました。
 中学生になる頃は、手に入るほとんどの古文を読み終えていました。私は本の虫のように本好きだったので、ありとあらゆる霊術関連の神話で伝承を呼んでいました。それらの研究書も手に入る限りは読んでいました。そして祖母にあれこれ尋ね、霊的な体験をするたびに、相手に聞けることは聞いて覚えました。ですので、中学生の頃はかなり偏った知識を持っていました。
 国語や古文のテストは良い成績でしたが、他の教科は興味がありませんでした。

 また、ある時は、御神木を触ってそれを守護する種類の神だか霊体だかと出会いました。これはすべて夢の中で出会うのですが、私の夢はほとんどが死語で出来ています。
 昔、夢日記を書いて公開していましたが、そんな時は死語を少し意訳して書いている場合が多くなっていました。ですので、死語は普通に分かります。しかし、私が不思議に思うのは、古語も古文も理解出来ない霊能者がいることです。
 普通に霊的な体験があるのなら、当然、死語……古語で話しかけて来ると思います。
 また、祝詞は古語ですので、自分で作ろうと思うと、きちんと古語を理解しておく必要があります。ただ古い祝詞を唱えるだけだとしても、古語が分からなければ、意味の分からないものを使っていることになると思います。
 これで、どうして祓えたり、浄化したり出来ると言うのでしょう?
 使っている武器の性能も使い方も知らない人が、その武器を片手に戦うのと一緒です。多くの霊体験をしているなら、古語に親しむと思います。古語が分からないのは、たとえるならアメリカ人ばかりと一緒にいるのに英語が分からないのと同じことだと思うのです。
 相手が常に日本語を話してくれるとすれば英語を知る必要はありませんが、そんな都合の良いことってあるのでしょうか?
 古語で言ったことを意訳して話してくれているとしたら、内容を誤魔化しても気づかないのではとも思います。
 何人かの自称・尊い霊能者さんに出会いましたが、やはり、それらは自称の域を出ないようでした。と言うのは、確かに何らかの霊能力はあると思いますが、神とは言えないものを神としてあがめめていたからです。
 それらの人は、
「至高の神が、こんなことを言った」
 と言う〈お告げ〉を教えてくれましたが、その内容は、神としたらありえないような言葉使いでした。
「品行方正な筈の神が、そんな品のない言葉を使うかなぁ?」
 と首を傾げると、
「神を愚弄ぐろうするな」
 と怒り出しました。
 それらは低級で低俗な霊体が人に憑依して使う言葉です。そして、怒る人も低俗な霊が憑依しやすい性格のひとつです。
 偽物の神が人にお告げを言う時、必ず、
「われは、○○の神である」
 と言うような戯言たわごとを口にします。本物の神は正体を隠すため名乗りません。見分ける能力のない人は、簡単にだまされて、その霊体の良いようにされてゆくのです。
 これらが憑依すると、
「神ごとだから……」
 と言って、自分勝手なことをしたり、人を誤魔化すようになります。そして、本人は無意味に忙しいことになるのです。それは、他人からその人を孤立させ、エネルギーを吸い取ろうとする現象です。皆さんも低俗な霊体を信じませんように……。

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