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近世百物語・第七十ニ夜「廃屋の思い出」

 子供の頃に住んでいた街には、まだ戦争中に使っていた施設がそのまま残されていました。中でも、一番、目立つのは陸軍の監視塔です。戦争中に爆撃機が来るのを監視するために建てられたものです。ただの巨大なコンクリートの塔で、内部は螺旋階段が続いています。一番上の部屋の大きな窓から外が見渡せるたけのものでした。
 私が、それに登って遊んでいた頃は、すでに廃屋はいおくになっていました。多くの他の監視塔は倒れていて、まるで巨大なイカの輪切りのようにも見えました。
 倒れると、途中でいくつもに割れて中の螺旋階段が壊れます。そして残った残骸はリング状にちらばってゆくのです。それがあちこちで倒れていました。
 街の中で最後まで倒れずに残っていた監視塔は私のお気に入りでした。時々、その塔の上まで登ると街の全体が見渡せたのです。
 内部の暗い螺旋階段はジメジメしていましたので、亡霊が出るのにピッタリの雰囲気でした。
 ある夏の暑い日も、そこに登って涼んでいました。すると遠くに雷が見え、一瞬であたりが暗くなりました。激しい雨が降ってきました。雨宿りするしかなかったので、しばらく外を眺めていました。
 時々、雷が光って、室内が明るくなりました。その瞬間だけ、あたりに人影が見えたのです。それは、皆、戦争中の軍服を着ていました。
——たぶん、兵隊さんの幽霊だな。
 と思いました。別に怖くはなかったので、少し彼等を眺めていました。
 雨が小降りになった頃、誰か大人が塔の上に子供がいるのを見たのか、
「危ないところで遊ぶな」
 と注意しようとやってきました。
 時々、私はここで、その大人の人に叱られました。その人の名は知りませんが、
——また、いつもの大人か。
 と思い、うんざりしていました。その人が部屋に入って来た時、やはり雷が鳴りました。
 一瞬、室内が明るくなって、兵隊さんの姿が彼に近付いてゆきました。それを見てしまったのか、彼は悲鳴をあげてころげるように階段を降りてゆきました。
 私はそれ以降も何度もそこに登っていますが、その日から一度もその人を見ていません。

 廃屋と言えば、大阪の南の方に事務所を持っていた頃のことです。系列のスタッフのひとりが、ある廃屋に住んでいました。その人が、突然、行方不明になったと言うので、しばらくしてその建物を見にゆきました。会社は仕事がきつく、勝手に辞めてゆく人が多くいたので、あまり気にしませんでした。
 ただ、
——こちらの若いスタッフに住む場所が出来た。
 くらいにしか思っていなかったのです。しかし中に入って驚きました。六畳くらいの大きさの和室のまわりにだけ、ベニヤ板が打ち付けられていたのです。しかも畳が湿っています。
 隣の和室の境のふすまのあたりもベニヤ板で塞がれていました。そして、ベニヤ板の一部に小さなドアをつけ、内部から鍵が掛けられるようになっていました。
——ここに住んでいたのは建築関係の人だったので、改造を自分でやったのだろう。
 と思いましたが、
——それにしても、どうしてこんな改造をしたのだろう?
 と疑問に思いました。しかし、ベニヤ板の壁に書かれた般若心経を見てすぐに納得しました。文字はマジックで書かれていました。
 最初、あまりうまく書けていなかったこともあり、漢字を書いているだけのように見えました。しかし、良く見ると、確かに般若心経です。それも最初はきちんと書いていますが、最後に行くに従って文字が乱れて行きます。最後の部分は、ほとんど殴り書きのような感じでした。
 それを見て、
——よっぽど、怖かったのだろうな。
 と思いながら和室の全体を観察しました。
 欄間らんまのひとつが内側にずれていました。それはまるで外から内へ押したような雰囲気でした。何かが外から入ったような感じです。欄間以外はしっかりと塞いでありました。欄間が、案外、外れやすいことに気付かなかったようでした。
——何が欄間を押して入ったのだろう?
 とても不思議な感じがしました。
 そこに住んでいた人が行方不明になった頃、
「誰もいないのに鍵が内側から掛かっていた」
 と言うような話も聞いていました。
 それらから判断して、
——何か得体の知れないものが欄間から手を伸ばして、中に隠れている人を連れて行ったのでは?
 とも思いました。
 その場所は戦争中に空襲があって、たくさんの人が焼け死んだところです。近くには慰霊碑も建っています。
 大阪の大空襲ではたくさんの人が亡くなり、たくさんの心霊現象が目撃されています。
 それらのことをかんがみて、
——こう言う消え方だけはしたくないな。
 と思いながらその場所を祓いました。
 その時は軽くしか祓いませんでした。と言うのは、何も感じなかったからです。しかし、そこに若いスタッフが住みはじめると、今にして思えば色々なゴタゴタがありました。その時は気づきませんでしたが、そのことが原因となったのでしょうか、結局、事務所を閉めてしまいました。
 六畳ほどの広さの部屋の畳が湿っていた……と書きましたが、そのような場所は霊的に危険なことが多いです。あの時は迂闊うかつにも踏んでしまいました。今にして思えば油断していました。
 心霊現象……特に亡霊には水分が不可欠です。亡霊がタクシーに乗ると、必ず座席が濡れていると言います。
 濡れた場所はなかなか乾きません。乾かないのではなく、穢れた一定量の水分が、つねに供給されているため、乾かないように見えるのです。
 この水は普通の水ではなく、陰の気を含んだ水です。飲んだりすると、当然、運気を失います。踏んだりしても足先から運気を失うため、足の怪我などが起きることもあります。陰の気を含んだ水ですので、焼け死んだ人の霊でも、亡霊になればこの水が伴います。
 ある意味、亡霊とは、
——陰の気の湿り気の中にある情報を、霊能力を持つ人の脳が再現する現象。
 と言えます。
 土地の持つ力と季節と、時間と、そして、そこに来た人の霊的な力の強さが互いに作用して起こる現象です。これらの要素が、陰の気の水を呼ぶのです。そして、この水が発生した位置に亡霊が現れるのです。だから亡霊がいたところが濡れるのです。

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