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近世百物語・第六十五夜「ひとつ火」
小さな火が嫌いです。焚き火のような大きな火はそれほど嫌いではありません。しかし、小さな火が嫌いと言うか、いくつか、とても怖い思い出があるのです。だからローソクの炎のような小さな火を嫌う傾向があります。幼い頃はローソクの火がとても嫌いでした。
ある時、暗い道ばたでローソクだけを持って歩く種類の不思議なものに出会ったことがあります。着物を着た子供のような姿でした。顔は分かりません。何度か見かけていますが、一度も顔を見たことはありません。と言うか、顔の場所に目鼻があるのを見たことすらないのです。ノッペラボウのような顔のない種類の子供でした。しかし、ノッペラボウではありません。顔の輪郭はあっても、目鼻の部分がぼやけているのです。笑っているのか、怒っているのか、少しも分からないまま暗闇の中に立っていました。それを見る時は、きまってローソクの光で影が揺らいでいたのです。時々、夕方や夜の辻に、そのようなものが行き来しているような気がします。子供の頃は、家の近所の公園に不思議なものたちが集っていました。私の霊的な力が引き寄せたのかも知れません。しかし、当時の私には分かりませんでした。とにかく、ひとつ火を灯して来る連中には怖い姿のものが多くいました。
ある時は、顔が半分だけの人影を見ました。半分しかない顔は見るからに不気味でした。何かで切ったように顔半分がなかったのです。やはりそいつもローソクを手に持って歩いていました。揺らいだ景の中で傷口が見えました。やはり滑らかな皮膚が張っていて、切ったようには見えませんでした。
またある時は首のないものを見ました。肩のあたりがなめらかで、首も頭もないのです。手にローソクを持つ必要がない気もしましたが、やはり持っていました。
そう言えばローソクの炎のようなものがひとつだけ空中に浮かんでいるのも見たことがあります。やはり暗闇の中で、よくある丸い光ではなく、揺らぐ炎だけが空間に浮かんでいたのです。人魂ではありません。人魂にしては小さかったです。百目ローソクの炎だけと言う感じでした。しかし、ホタルではありません。だいたい北海道にはホタルはいません。揺らいでいるだけの小さな炎なのです。そして、炎を見た前後は知り合いが亡くなることが多かったのです。それを私は〈死神の火〉と呼んでいました。本来の死神は、人を殺すものではありません。人の死を知らせる存在です。あるいは死に逝く人の、死の恐怖を和らげる仕事をします。
ある時、祖母の目の前で、
「また、死神の火を見たから誰か人が死ぬ」
と、ひとりごとを言ったことがあります。
すると祖母は、それを聞きつけて、
「いつでも人は死ぬもんじゃ」
と言って笑っていました。
そして、
「炎を見たのか?」
「はい」
「あれを見て、知り合いが死んでも気にせぬことじゃ。わしらには、どうせ、どうすることも出来んのだから……」
ひとつ火は、昔は忌み嫌われる種類のものでした。『古事記』の中にも、
——よって、暗闇でひとつ火を忌む。
と言う記載があるくらいです。
黄泉の国に行ったイザナギのミコトが、ひとつ火を灯して妻の姿を見ると、その顔は、
——蛆、とろろきて……。
とあります。
顔が腐って蛆がたかり、それはそれは怖ろしい姿になっていたそうです。
江戸時代の霊術関連の文献にも、
——火は、穢れのものなり。
と書かれているものが多くあります。
そのことを知らない筈の幼い頃から、私はひとつ火を怖れる傾向がありました。それはやはり、奇妙なものたちがひとつ火を灯して歩いているのを見たからでした。
よくイメージとして描かれる〈死神のローソク〉は、何本もの寿命のローソクを死神が管理している光景です。死神のローソクについては『不幸のすべて』第五十五話にも書いていますが、人の寿命はローソクの長さによって決っていると言う考え方です。
——この死神のローソクの炎を継ぎ足すと、その人の寿命が長くなる。
とも言われています。
さて、私は焚き火などの大きな火の写真を撮るのが好きです。それは、火の中に霊的なものを呼び出して、たとえば炎が龍の形を取ったり、獅子の形を取ったりするのを見るのです。そして、それを撮影します。これはある種の心霊写真ですが、かなりたくさん写しています。
基本的には、炎を見ながら〈火霊調伏の祭文〉を使い、それらの形を呼び出します。方術の練習に適していますので、われわれ播磨陰陽師は子供の頃から訓練しています。
火霊調伏の祭文は、木火土金水の五行の霊を調伏する祭文のひとつです。
火の場合に使う祭文は、
——火のものは火へ、火が中ツものは、速やかに吾が意に従い給え。
と唱えて使います。
その時は、右手を地面に向けて広げ、見ている炎の中に好きな形をイメージしながら行うのです。火霊調伏の祭文は炎の形を変化させることが目的ではありません。火事の時に炎の結界を張って延焼を食い止めたり、小さな炎をコントロールして忌みごとを避けたりするのに使うものです。葬式のローソクの炎から来る忌みの穢れを祓うのにも使います。
忌火と言えば、死んだ人を荼毘にふす火を〈下火〉と呼びます。昔の葬列には必ず下火を持つ人がいました。
今の葬儀と昔の葬儀の違いは、白い着物を着ていたことです。今は黒い喪服ですが、昔は白装束が普通でした。女の人は刺繍のない白い花嫁衣装のようなものを着ていました。その上、〈かづき〉と呼ばれる白い布を頭に被っていました。棺桶を担ぐ人は、白い裃を着て、頭には紙烏帽子と呼ばれる三角の紙をつけていました。この裃は、忌み言葉で〈色裃〉と呼ばれています。最近は、紙烏帽子を死んだ人にだけ付けています。あれは烏帽子の代わりに付けるものですので、参列者も付けていました。
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