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近世百物語・第七十夜「硫黄島の思い出?」

 それは、もう、二十年くらい前の夏のことです。フィルムを現像に出したら奇妙な写真がプリントされて入っていました。それは砲塔のような感じの武器の写真と、どこか南の島の風景のものでした。使っているカメラの中に入っているフィルムの写真です。現像から返って来た写真の中に、行ったこともない場所の写真があるのです。奇妙なことに、現像された写真には記憶にない場所の写真が含まれていました。
 映っていたのはすべて同じ場所のようでした。見たところ心霊写真のような不思議さはありませんでした。ただ、観光でもしてきたかのような写真が、現像から返ってきたのです。
——どこなのだろう?
 ネガフィルムを見ると、その中にもプリントされた写真と同じ景色が写っていました。
 カメラを誰かに貸したことはありません。もちろん、自分で持っていたカメラのフィルムを現像に出したものです。
 事実だとすると、私は自分の知らない間か、さもなくば記憶が消えていたのか、南の島へ行ったことになります。しかも奇妙なことに写真はフィルムの中で連続していません。
 何枚か南の島の風景が写っていて、その後、家の近所の写真になり、そしてまた何枚か南の島になっていたのです。
 南の島は観光地のような感じではありませんでした。どちらかと言うと砂漠に近いような荒涼こうりょうとした景色です。しかし砂漠ではありません。ところどころに海岸が見えました。
 写真を受け取った日の夜、奇妙な夢を見ました。戦争中の日本兵が現れ何かを伝えようとしていました。夢はそれで終わりました。悪夢だったのか記憶がぼんやりしていて細部を思い出すことは出来ません。しかし、受け取った写真で見たのと同じ景色の中に日本兵がいたのを覚えていました。
 それから何日かした頃、夜中に突然、部屋の中に半透明の日本兵が姿を現しました。亡霊です。しかも戦争中の亡霊なので、
——戦死者の一種か?
 と思いました。
 それにしても私には無関係です。戦死した身内は、遠い親戚にならいるかも知れません。しかし目の前の亡霊は誰なのか知りませんし、見覚えすらありません。
 亡霊とはいつでもそう言うものですが、無関係な人の前に姿を現すことが多いのです。
 亡霊の顔を何度か見ている内に、悪夢の細部がよみがえってきました。夢の景色は、あの写真と同じ景色。つまり硫黄島の風景だったのです。
 硫黄島は太平洋戦争中、最大の激戦がありました。この島のことは映画『硫黄島からの手紙』の中で戦いが描かれています。日米に多くの戦死者を出しました。その中で特に日本兵は悲惨な死に方をしたそうです。
 事実かどうかは分かりませんが、
——硫黄島の戦いでは、途中で食料がなくなって仲間の死体を食べて餓えをしのいだ。
 と言う噂まであります。
 それくらい、悲惨で激しい戦闘のあった場所ですが、私は一度も行った覚えはありません。当然、硫黄島へ行った記憶も写真を撮って帰ったような記憶すらなく、第一、その写真が撮られた日時には普通に会社に出勤して働いていました。
 当日、カバンの中にはフィルムが装填されたカメラが入っていました。私のカバンには、いつでもカメラが入っています。最近はデジカメですが、気にいったカメラをひとつ持ち歩く癖があります。カメラは大切にしているので、他の人に貸したりすることはありません。特に撮影途中のカメラを人に貸すなどありえないのです。デジカメで言うと、バックアップしていない画像データが入ったままのカメラを他の人に貸すようなものです。
 誰にも貸してないにもかかわらず、その夏の硫黄島の風景が、私のカメラのフィルムからプリントされて返ってきたのです。

 その日から何日か、毎晩のように夢に亡霊が出てきました。
 亡霊は戦争中の二等兵でした。硫黄島で戦った経験と記憶を持っています。ただ、毎晩、私の部屋に出て来るだけなので、何か聞こうにもどうしようもありません。ですが、時々、夢の中で彼の思い出が再現されるのです。思い出の中では硫黄島の激戦が再現されていました。彼が見たことや経験したことが、ずっと再現し続けられています。その中で、彼が硫黄島の生き残りであること、戦後、しばらく戦友たちの亡霊に悩まされていたことなどを知りました。
 彼は戦後のわが国の復興を体験して、
「こんな国にするために、あの島で命をかけて戦った訳ではない」
 と嘆いていました。
 その夢の記憶は、まるで私自身の体験のようにとてもリアルなものでした。現実ではないことを理解していますが、自分の思い出のような気さえします。深い後悔の念や悲しみが、私自身の記憶のように心の中に残っています。
 その年の盆が終わると亡霊も現れなくなりました。やがて悪夢も終わりました。それから毎年、八月が来るとそのことを思い出します。彼が生きて戦って戦後を何年か嘆きながら生きていたことを……。
 やがて、次の年の節分の大祓いの時期にその写真は祓って焼却しました。わざわいが起こりそうな物体は、すべて次の年の節分に祓ってしまうと言うおきてに従いますので……。

 奇妙な写真と言えば、何度か写した覚えのない写真が現像から戻ってきたことがあります。ネガフィルムを見ても中になかったので、どこかで紛れ込んだものだと思います。そんな写真の多くは、いわゆる心霊写真でした。
——なぜ、こんな写真が?
 と首を傾げたくなるようなものばかりです。
 その中で特に印象的だったのは盆提灯ちょうちんの写真です。どこなのか場所は分かりません。暗闇の中にほのかな明かりが灯っていました。よく見ると、後ろが透けた着物の女が写っています。二重写しでなければ、明らかな心霊写真です。しかし、ネガフィルムのどこにもその写真はありませんでした。

 不思議なことに、いつもカメラを持っていて、写真を撮っているにもかかわらず、一度も心霊写真を撮影したことはありません。もちろん、見ることはありますが、目の前に亡霊がいたとしても、カメラを向けるのを忘れるのです。重要なシーンでは、いつでも撮影を忘れます。さして重要でもない時は、カメラを取り出して、何枚も撮影しています。
 これは、たとえるならば、美しい鳥が目の前を飛んでいることに似ています。あっと言う間の出来事です。だから、カメラを取り出している内に、鳥は飛んで行ってしまうのです。だから、ただの一度も心霊写真を自分で撮影したことはありません。

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