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近世百物語・第九十夜「シガラミ」

 人は、土地のシガラミに縛られて生きているような気がします。しかし、その土地の風習だとか風俗には無関係に、私には霊的なシガラミがついてまわります。
 私は人工的な土地へ行くのが好きです。それは開発された埋め立て地のような場所です。人工的な土地で安心するのは、霊的なシガラミそのものがないからかも知れません。
 大阪南港のコスモスクエア駅周辺に行った時、
——寺も墓場もなく、しかも、神社も祠さえない土地だ。
 と思いました。まったく霊圧れいあつを感じないのです。霊圧と言うのは霊体が存在している時の圧力のようなもののことです。
 何も感じない場所はフラットな感じがして、少しだけ心地良かったです。
 それは、
——ここが埋立地だからだな。
 と思いましたが、海が近いからかも知れません。と言うのは、霊的なシガラミが満載の筈の北九州の門司港でも同じ感じがするからです。ただし対岸の下関では、それほど強く安心感を得られないので、門司港とコスモスクエア駅周辺には、何かの共通点があるのかも知れません。
 ちなみに〈シガラミ〉は漢字で〈柵〉と書きます。
 辞書には、

——水流をき止めるためにくいを打ち並べて、これに竹や木を渡した物。転じて、さく。また、せき止める物。まといつく物の意。

 とあります。

 ある時、知らない土地の下を地下鉄で通ったことがありました。そこはただの通過駅に過ぎません。でも、通過するあいだ中、悲鳴のようなものが聞こえました。私は電車の中で少し眠りかけていました。悲鳴のような音を聞き目を覚ましました。他の乗客は気づいてもいないようでした。
 ふと、窓の外を見ると、トンネルの中なので暗闇の筈ですが、白い人影がたくさん見えていました。
——少し気のせいかも……。
 とも思いました。気のせいで白い影のようなものを見てしまうことも、しばしばあります。
 帰りにまたその駅を通過しました。すると、たくさんの悲鳴のような声が、やはり聞こえたのです。しかも、今度はハッキリと白い影を見ました。後でその場所について調べて見ると、やはり戦争中に色々とあった場所のようでした。こう言うのが土地のシガラミです。
 電車に乗っていて悲鳴のような声を聞くことは、時々、あります。後で調べ易いように、地名や窓の外の様子をメモしながらの旅をするのは忙しいものです。目についた神社や祠の位置についてもメモしています。後で調べるのですが、最近はネットで調べられるので便利になりました。

 そう言えば、ある年のお盆にひとりで電車に乗っていた時、奇妙な乗客が横に座りました。服装も古い感じで不思議でしたが、その夫婦の会話を小耳にはさんだ時、違和感があったのです。と言うのは、妙に丁寧ていねいで品が良く、しかも、ゆっくりと話していました。最近、このような品の良い会話を電車で聞くことは少なくなりました。だから、ちょっと聞き耳を立てて聞いていました。すると、会話の内容がさらに奇妙でした。それはまるで、戦時中の夫婦の会話のようでした。普通に軍隊のこととか、赤紙(召集令状)を受け取った友人の話とかしていました。しかも過去形ではなく、昨日とか今日の出来事のようにです。普通に話していました。他の乗客が少なく席もほとんど空いていましたが、わざわざ私の横に座ってそのような話をしているのですから、
——これは普通の人でないのかも知れない。
 と思いました。日影ひかげに入った時、窓ガラスに写ったその人たちを見ました。
 その瞬間、
——あぁ、そう言うことなのね。
 と思いました。と言うのは、窓ガラスには私の姿しか写っていなかったのです。
 それを見ていて、
——これも土地のシガラミの一種だな。
 と思いました。こう言う体験をして不思議に思うのは……もちろん、まわりは気づきませんが……本人たちも気づいていない点です。自分が亡霊だなんて誰も思っていないようです。もしかすると読者の皆さんの中にも、自分が亡霊であることに気づいていない人が、少しはいるかも知れません。そう思いたくなるほど、ごく自然に存在しているのです。だいたい亡霊が、自分を亡霊だと認識して、誰かに恨みを晴らそうとすることなどありません。生きていると思い込んでいて、恨みを晴らす時に自然に霊的な力を使ってしまうのです。
 恨みを晴らす種類の亡霊は〈悪霊〉と呼ばれます。ただの亡霊ではありません。悪霊の力が強く、恨みの念も強い場合〈怨霊〉と呼ばれる亡霊になります、
 生きている人の念の一種は〈生霊いきりょう〉と呼ばれています。これは、まだ生きている人が発した念に土地に巣食う様々な悪い霊たちが加わった存在です。この時の悪い霊は悪霊ではありません。悪霊は人間が死後になるものです。しかし、悪い霊は土地に浄化される前の霊体の要素のようなもので、〈はく〉と呼ばれます。魄は様々な霊体と結びついて、化け物を生み出します。そして様々なわざわいを呼びますが、祭文などを使って分離して、最後は祓詞で祓うだけのことです。
 私が電車の中で幽霊を見るのは良くあることです。近世百物語・第八夜にも体験を書いています。それらの亡霊は、通過する土地と関係しているような気がしました。

 ある時、新幹線で大阪から北九州へ向かっていました。私はグッスリと眠っていましたが、ちょうど播磨の国のあたりで目が覚めました。それからしばらく、景色を眺めていました。播磨を過ぎてまた眠りにつきましたが、別な県に入ったあたりで、ふと、目が覚めました。
 外の景色を見た時、
——あぁ、ここ。昔、多くの人が亡くなったのだな。
 と思いました。と言うのは、やはり白い人影がたくさん見えたからです。外を見ていると、すぐに〈広島〉と書かれた駅に到着しました。
 私に限ってのことですが、土地のシガラミは神社に関係したものも多いと思います。寺に関連したことはありません。私は何度も引っ越しをしましたが、必ず先祖が関係している神社のある土地に引っ越してしまいます。もちろん、それとは知らずにです。しかも無関係な状況で引っ越すのですが、気がつくと先祖に関係した神社があったりします。何だか不思議な感じもします。
 近世百物語・第五十七夜にも引っ越した先のことについて書いています。私はそのようなシガラミのある土地に関わることが多いのです。その土地へ知らずに行って、その場で気付くことが良くあります。
 ある時はただの旅行に行って旅先の観光地へ行ったら、そこが先祖が関係した神社であることに気づきました。
——どれもこれも、その土地が持つ霊的なシガラミのひとつだな。
 と、いつも思います。その意味でも、何のシガラミも持たない人工的な土地は、私に一時ひとときの安らぎを与えてくれているようです。

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