近世百物語・第九十七話「天に登る闇の柱」
この世には、天に昇る闇の柱のようなものがあります。地面から空に向かって黒い闇のような柱が立つ現象です。多くはハッキリと見えません。ただ暗いとか、その部分だけ寒いか、湿気があるとか、人によっては陰気な感じがするだけかも知れません。
これにはサイズと言うものがありません。太くも見え細くも見えます。細いように感じるものも含めてすべてが地表から天へ向かって、永遠に思えるほど長く長く伸びています。この柱と柱を結ぶ道が、いわゆる〈霊道〉と呼ばれるものです。
地図上に闇の柱の位置を記入して、それを直線ではなく、地形に沿って結ぶと〈霊道〉の位置が判明します。しかし、単純に結んだだけではなく、風の吹き方とか水脈の位置や磁場の変化も考慮しなければなりません。磁場の変化は大きな岩の位置などや、生えている木の形によって理解することが出来ます。〈霊道〉については近世百物語・第八十七夜に書きました。そちらもご参考に……。
闇の柱は霊的な自然現象のひとつです。いつでも同じ場所にある訳ではなく、時々、移動したり、出たり消えたりしています。
闇の柱が出現すると、多くは雲が乱れ、空が奇妙な模様を描きます。この時に見える空模様は不気味な印象を作ります。空を見て不吉な感じがする時は、近くに闇の柱が出来ているのかも知れません。
また、カラスが低く飛ぶ現象もあります。夕焼けが奇妙なほど赤い場合も闇の柱が立っている可能性があります。
以前、大阪で住んでいた家の近所でも闇の柱を見たことがあります。その場所は交差点の中央部分で、よく事故がありました。付近では喧嘩とか事件が多発していました。それは闇の柱の出現と密接に関係しています。霊的な力を持たない人が見ることは稀ですが、それを感じる人は多いようです。
感じた人は、突然、奇妙な寒気を感じます。それらの場所では心の弱い人が影響を受けます。突然、感情がおさえられなくなって、人を攻撃したくなったり、ムシャクシャしたりするのです。注意力も散漫になり、小さな怪我をすることも多くなります。
近くの闇の柱は古くから知られていました。
この土地に人が住むようになったのは大化の改新(645年)の頃ですので、もう1400年近く人が住んでいることになります。その間に何人もの霊能者が、この場所の闇の柱を確認し、後の世に伝えています。
戦前のお話ですが、軍部と警察が闇の柱の近くで衝突し、その結果、軍部が実権を握るようになりました。そしてそのまま軍部が暴走し、戦争に突入して行った歴史を持ちます。この出来事は〈天六ゴーストップ事件〉と呼ばれます。
かつて大きなガス爆発があったのもこの土地です。1970年4月8日の出来事で、死者79名、重軽傷者420名の大惨事となりました。天六ガス爆発事故です。
それらの多くは闇の柱の影響なのかも知れません。しかし、世の中の人には、その存在は知られていません。闇の柱は饑神が変容したもののようです。饑神については近世百物語・第六十九夜も詳しく書いていますのでそちらをご参考に……。
闇の柱を〈神〉と呼ぶ場合もあります。古来からの〈日本の神〉の数え方は、
「一柱、二柱……」
となります。これは闇の柱のような、天に昇る柱を意味しています。人に敬われ奉られた筈の〈神〉が人に見捨てられて〈饑神〉に変容し、その後、さらに変容して〈闇の柱〉になってゆくのです。そして、その闇の柱は人の世界を糺そうとするのです。
闇の柱が立っている場所の近くには、必ず、それと対をなす穴があります。これを〈龍穴〉と呼びます。
龍穴は概念が大きいので、すべてが〈龍穴〉ではありませんが、闇の柱と対になる穴には特徴があります。穴と言っても目には見えません。その穴の近くから空を見ると龍の形をした雲が多く見られます。近世百物語・第十九夜に龍の雲について書いていますが、それが見えるのです。龍の形をした雲を見るのは縁起の良いことです。
近所の闇の柱が立つ場所には、当然、〈龍穴〉もありました。近くの龍穴は戦国時代にはかなり知られていたようで、龍穴の近くに織田信長公の軍勢が陣を構えていたこともあります。これをわれわれ播磨陰陽師の先祖たちが織田家に進言したようです。
闇の柱が生まれると、それに吸い寄せられる人たちが生まれます。それらの人たちは、ちょうど汚物に群がるゴキブリのようなもので、互いに毒を出し合って、やがて、滅びてゆくのです。悪いものが集まって互いに厄を作り合い滅びてゆく現象は、自然の摂理です。自然は、常に自己浄化と回復のシステムを持っています。自然が破壊された山や海がゆっくりと回復して行くように、霊的にも同じような現象を発生させるのです。
ここに群がる人たちには特徴があります。彼らは不幸自慢をするのです。自分がいかに不幸かを話しながら悦にいります。
また、他人の悪口を言ったり文句を言う傾向もあります。これらについては〈不幸のすべて〉の中にもその理由や理論を書いています。闇の柱を好む人に、けして近付かないことをお進めします。近付けば必ず巻き込まれます。そして厄や不幸が生まれ、それに悩むこととなります。
闇の柱には目に見える現象として木火土金水の五種類の厄があります。
木の厄では祟りのある木が生えます。切ったり折ったりすると怪我をする木です。道がよけている木もこれにあたります。
火の厄では、突然、火柱が立ったり火事が起こります。原因不明の火事も起こりますが、放火により何度もボヤが起こることもあります。火の厄のある場所は、様々な理由で火事が起こりやすいのです。
土の厄では土地が陥没したり地割れがあったり、稀ですが底なし沼のように人を吸い込むこともあります。
金の厄では詐欺などの悪い状態でお金が集まったりする現象を引き起こします。多くの人がある場所に集まって不幸自慢を披露しながらお金を落としてゆくのも、この現象ある種の側面です。
水の厄では水柱が立つことや、鉄砲水が出たりします。これらの多くは自然の中で厄を浄化するためのシステムです。そして、その浄化のシステムがこの世界を破壊しながら元に戻してゆくのです。
ほとんどの天災は自然が自らを治すために発生します。人が自然を壊す時、あたかも自然は熱でも出すかのように動きはじめます。その時の動きが、人のサイズにとっては天災になってしまうのです。それは歩く人の足元が、蟻にとって天災級の厄になるようなものです。自然は人にとってはあまりに大きく、偉大であるため、厄が起こっても人の力では防ぎようもありません。そもそも防げないものを何とかしようと考えること自体がどうかしています。防げないなら、天災の起こりやすい場所には住まないことです。それが唯一の回避方法なのですから……。
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