近世百物語・第五十五夜「虫の知らせ」
世の中には、奇妙な虫たちがいるものです。そして、時々、奇妙な飛び方をして人の世に何かを知らせようとするようです。
この虫たちの行動は、昔から〈虫の知らせ〉と呼ばれています。虫の知らせは、死ぬ人々が死ぬ前に、遠くの人々に別れを告げに来ることです。
祖母は、良く、
「虫が妙な飛び方をする時、虫の知らせが起きる」
と言っていました。
ある時、窓を完全に閉め切っているのに、まるでガラスを突き破るかのように、大きな蜂が家の中に入って来たことがありました。虫の知らせは蜂のような虫で現れることが多いです。
蜂は狂ったように室内を飛びまわり、やがて消えるように姿が見えなくなりました。
間もなく、
「親戚が亡くなった」
と、連絡が入りました。
その時、祖母は、
「ああ言う風に、虫が奇妙な飛び方をする時は、誰か身内が亡くなったことを知らせているんじゃ」
と言いました。
また、ある時は、大きな虫のようなものがずっと私の後に付いて来たことがあります。その虫のようなものは、拳くらいの大きさでした。そして空中を飛んでいましたが、ハッキリと虫の種類を特定出来る距離にはいません。近くもなく、だからと言って遠い訳でもありせん。付かず離れず、私の後ろを付いて来るのです。その虫のようなものは家に帰るまでずっと付いて来ていました。
そして、家に入った時、
「身内が亡くなった」
と知らせがありました。祖母の祖父が亡くなった時のことです。
そう言えば、ある時、祓いをした後、奇妙な黒い虫の一群が部屋の隅に発生しました。それはまるで、蚊柱のような感じで、その場に出来たのですが、奇妙なことに音がありませんでした。その中の虫を殺そろうとしても、どの虫も素通りしてしまいました。
——これは、見えているだけで実在の虫ではないな。
と感じ、しばらく見ていると、やがて、その虫の柱は小さくなり消えてゆきました。
そのような虫は〈黒虫〉と呼ばれています。黒虫は、現実世界の虫ではありません。もし捕まえたとしても別な虫の死骸に変化してしまいます。
ある時、そんな黒虫を捕まえることに成功しました。
私はまだ、子供でしたので、
「とうとう黒虫を捕まえた」
と思い有頂天でした。しかし、捕まえたものを見ると、最初こそ〈黒虫〉のようでしたが、次第に形が変化して、最後にはただのゴキブリのような死骸になっていました。
後で祖母に聞くと、
「黒虫は、死骸を変化させて、その痕跡を隠すものだよ」
と言われました。
黒虫が鳴くこともあるそうです。
その時は、
「まるで、虫が鳴いているように聞こえるが、とても不安な感じがする」
と祖母が言っていました。
戦争中は虫の知らせが頻繁に起きていたようです。そう言う時代だからなのか、それとも戦争で、たくさんの人が死ぬからなのか、それについては分かりません。ただ、戦争中と現代の時代は、年間に死ぬ人の数だけを比べると、さほど変化はありません。内容についてはどちらが悲惨かは判断に困るところです。と言うのは、戦争中は戦争で死ぬ人が多いですが、現代の社会のように、交通事故で死ぬ人や自殺や過労死で亡くなる人は少ないからです。しかし虫の知らせの話をあまり耳にしなくなったのは、
——そのような、霊的な虫そのものが少なくなったからだ。
と思いました。
しかし、皆無ではないと思います。
まだ、時々、それらの虫のお話を聞くことがあります。それは生命体ではないですが、すでに〈絶滅危惧種〉になっているのかも知れません。これらの虫を、正確には〈蟲〉と書きます。アニメなどに出て来る〈蟲師〉の〈蟲〉です。
この蟲たちは、
——身内や知人の死を知らせ、時として柱として立ち、あるいは人を呪うに重宝す。
と伝わっています。いずれも、物体を突き抜ける特徴があります。そして、それがどんな形なのか、霊力のない人には分からないようです。
蟲と言えば、九州の博物館に『針聞書』と呼ばれる戦国時代の本が所蔵されています。時々、そのレプリカが公開されます。この本は蟲のことについて書かれた数少ないものです。戦国時代のある時、偶然、洞穴で発見された秘伝の巻物を写し書きしたのが、この本です。
この本には、たとえば、
——臆病の虫とは……。
とか、
——人の体内に住んで、病気を発生させる虫とは……。
とか図入りで書いてあります。この本のオリジナルの巻物は、陰陽道では伝説の秘伝の巻物ですが、現物が存在していたとは知りませんでした。
私は、写しの存在を知るまでは、
——ただの伝説だ。
と思っていたのです。
この本については、時々、レプリカが公開されていますので、興味のある方は『針聞書』で検索してください。
さて〈虫の知らせ〉と言う言葉自体は、菅原道真公の物語の中に最初に登場しています。道真公配下の陰陽師集団の末裔である播磨陰陽師には、様々な蟲についての伝承が残されています。
蟲のことについては、あまりに信じられない伝承が多かったので、
——それらはただの伝説だ。
と、本気で思っていましたが、ちょっと様々な体験をしたので、
——これから思い出して研究してみようかな?
と思っています。
* * *