近世百物語・第五十二話「コロポックル」
祖母がまだ幼い頃、
「何度も化け物に出会って、その度に、おじぃが退治してくれた」
と話してくれました。化け物を退治したのは、祖母の父ではなく、祖母の祖父のことでした。
祖母の祖父は、若い頃に内地から逃げて来たので、随分、苦労して開拓したと言っていたそうです。明治政府は陰陽師を禁止し討伐隊まで出しました。
——陰陽師は、徳川幕府の威光を笠にきて、諸国を自由に行き来するので、断じて禁ずるべきである。
と言うのが、その理由だそうです。私はこの言葉の意味が今でも分かりません。ただ、別な理由があって、この不思議な理由をつけたとしか思えないのです。
それについては、祖母が祖父に尋ねた時、
「あれは、われわれの政府でも、そして、われわれの国ですらない」
と、笑っていたそうです。
そして、
「われわれの国は、今でも、これからもずっと播磨本国にある」
と言っていたそうです。
その曽祖父が、昭和の中頃まで生きていたのですから、とても不思議でなりません。
最近、友人の、生まれて間もない子共を見て、この子が老人になった二十二世紀のはじめに、孫たちに向かって、
——おばぁちゃんはなぁ、子供の頃に播磨陰陽師に出会ったと言って笑って欲しいな。
と思いました。
さて、祖母は、
「後になって、アイヌ人のシャーマンたちに、随分、呪いをかけられたが、なんでも、おじぃが祓ってしまうので、アイヌたちも仕舞いには根負けしてとても仲良くなった」
と言っていました。
そして、その時に、何でも祓える秘伝の祝詞〈祓詞〉を教えられました。私は、その時から、この播磨陰陽師が使う〈祓詞〉を使っています。
祖母も幼い頃、まわりの人々から、
「あのおじぃ様の、お孫様」
と、呼ばれていたそうです。
その祖母は、幼い頃からアイヌ人のシャーマンたちに気にいられ、様々な術を教わったそうです。特に、仲の良い酋長がいたらしく、その酋長が雷様を嫌っていたことを良く話してくれました。
酋長は、どこに行っても雷様が近くに落ちるので、
——雷様に嫌われている。
と思っていたそうです。
しかし、ある時、とうとう、本人の上に雷様が落ちたと言っていました。ただし、それでは、死なずに霊力が増したそうです。
時々、その時のことを思い出しては、
「そんなことも、あるもんじゃ」
と、しきりに感心していました。
ある時、
「家の裏の川原に、住んでいるシャーマンは誰?」
と聞いたことがあります。
すると、
「あれは、わしの古い知り合いじゃが、邪法を使うので、あまり近づかぬ方が良い」
と言われました。
そのシャーマンについての思い出は『近世百物語』第七話にあります。邪法と言われれば、かえって興味が生まれます。
それで、自ら接触しに行くことも多かったのですが、ただ、知らない概念を教わることが多く、取り立てて邪法と呼ぶような技法を使っているのを見たことはありませんでした。
もっとも、
——それこそが邪法である。
と気づくまで、すいぶんと、時間が必要でしたが……。
そう言えば、ある時、祖母はアイヌ人のシャーマンたちにコロボックルらしい小人の居場所を教えられたそうです。
「そこに、小さな持ち物などを見付けたんじゃが、まったく不思議な感じがした」
と言っていました。
コロポックルがいるかどうかは別として、祖母はその時、とても不思議な何かを感じたそうです。
私もコロポックルらしい小さな道具を、山奥で見かけたことがあります。それは、中学生くらいの頃、ひとりで山に入って道に迷った時のことでした。大きな蕗の葉の下にとても小さな道具類があったのです。人形に添え物のオモチャのような感じではありませんでした。もし、オモチャだとしても、そんな山奥で、しかも、アイヌ人の使う道具を精密に作る人などいるのでしょうか?
そう思うと今でも不思議です。果たしてコロポックルだったのでしょうか?
ちなみに、十勝平野の伝説では、コロボックルは十勝のアイヌ人に迫害されたために土地を去ったと言われています。その時に、アイヌ人に向かって言った呪いの言葉、
「トカップチ」
には、
——水は枯れろ、魚は腐れ。
と言う意味があるそうです。そしてこの言葉が〈十勝〉の地名の由来となりました。十勝はそんな伝説が残るほど、コロポックルに関する遺跡が多い土地でした。すでにコロポックルは去って、どこかへ行ってしまったそうです。遺跡のような物は見ていますが、本物のコロポックルは見たこともありません。祖母もそれは同じでした。
道に迷った時、私の中では十分位の出来事でした。しかし私を探していた家族にとっては数時間の出来事だったそうです。確かにまだ昼過ぎだったのに、家族の元に帰った時、すでに夕方になっていました。
後で母が、
「もう、みつからないから、諦めて帰ろうと思った」
と言っていました。
祖母に、その時に見た物のことを話すと、
「とても不思議なもんじやろう」
と言って笑っていました。
私はその祖母の血を引いていたのでアイヌ人のシャーマンたちから〈あのおばぁ様の、お孫様〉とも呼ばれていました。
また、祖母の名が〈亀〉だったので〈カメ様のお孫様〉と呼ばれていました。まだ、アイヌ人のシャーマンが、普通にいた時代のお話で、とても懐かしい限りです。今はアイヌ語も、アイヌ人のシャーマンも、そして、この国のシャーマンですら、絶滅の危機に瀕しています。現代社会に果たしてどのくらいのシャーマンが生き残っているのでしょう。世界的に見ても少なくなっているのは事実です。
私は時々、世界中のシャーマンの会合に参加します。どこか外国で開催される会合に、参加する人はいつもの顔ぶれです。皆、かなり高齢になってきていますので、ひとり欠け、ふたり欠け、新しい若いシャーマンは登場しません。
コロポックルはすでに滅びてしまった亜流の未発見の人類なのでしょうか? それとも妖怪の一種なのでしょうか?
正体を知る資料もなく、伝説ばかりが残るだけです。
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