近世百物語・第九十ニ夜「悪夢」
何度か悪夢のことについて書いていますが、悪夢そのもののことはあまり書いていません。誰でも小さい時は、何かに追い掛けられる種類の悪夢を見ます。私も小さい時は化け物だとか幽霊だとか得体の知れないものに追い掛けられる夢を見ることがありました。怖ろしい夢を見るたびに、眠るのが怖くなりました。近くに怖ろしい姿をした幽霊がたくさんいるような悪夢も見ています。どこかから落ちる夢も見ました。それはそれは怖ろしい夢でした。追い掛けられて、どこかから落ちる種類の夢は最悪でした。
子供の頃のある時、祖母の家に泊まっていました。その夜は、やはり化け物に追い掛けられて落ちる夢を見ました。目が覚めた瞬間、いったいどこで寝ていたのか何も思い出すことは出来ません。
——たしか祖母の家で眠っていた。
と思っていましたが、星空が見えたのです。
——まだ、夢を見ているのかなぁ。
と思いました。
しかし、少し肌寒くて、やはり夢ではないようです。頭のあたりに硬くてザラザラした感触を感じ、手を伸ばすと大きな石のようでした。起き上がって見ると、草むらのお地蔵さんの足もとで眠っていたのです。驚いて、どこかを思い出そうとしました。場所は分かりましたが、ここに来た記憶はありません。祖母の家のすぐ近くにあるお地蔵さんだったのです。
しかたなく、しっかりと目を覚まして祖母の家に帰りました。家に付くと玄関には内側から鍵が掛かっていました。そこから出たようでもありません。玄関のドアを叩いて祖母に訳を話ました。
すると、
「夜中に、突然、ドスンと大きな音がして、びっくりして目を覚ましたら、お前が部屋から消えていた」
と言っていました。
時間を聞くと、
「まだ、夜中の二時じゃ」
と言われました。
春のことでした。北海道の春と言えば夜中に外で寝ていたら、風邪ではすまないことが起きたかも知れません。凍死する可能性もあります。
これ以降、祖母の家で悪夢を見て夜中にいなくなることが、たびたびあったそうです。最初は祖母も驚いて目を覚ました。何度目かには祖母も慣れてしまったようです。
ある時は祖母の家の玄関を叩いても、祖母が寝たままで、朝まで玄関の前で過ごしたことがありました。その時もやはり悪夢を見ていました。化け物に刺されて、墓穴に落とされる夢を見た瞬間、やはり目が覚めて星空が見えました。その時は小川の芝生のような場所に寝ていて、近くをアヒルが歩いていました。
もう、朝方でしたので少しだけ明るかったのですが、景色には見覚えがありません。
起き上がってまわりを見ると、見たこともない景色です。
——ここは、どこ?
と思いました。近くに建物らしき物は見えません。そこがどこなのか探険しようと思う前に、眠すぎて身動きもとれません。
しかたなく、
——もう少しだけ寝てから探険しよう。
と思い眠りました。
次に目が覚めたのは祖母が、
「いつまで寝てんじゃ」
と、怒って起こしてくれた時でした。
目をこすりながら、
「今朝方、どこか知らない所へ行ったような、夢だか現実だか分からないものを見た」
と言うと、
「あぁ、今朝方は、お前はここにいなかったからな」
と言われました。
「どこかへ行っていたの?」
と尋ねると、
「それは知らんなぁ。お前が勝手に消えて、また、ここに現れただけじゃ」
と言って、それから、
「どこでも良いが、草むらに寝て泥だらけで帰って来るな」
と怒っていました。祖母は孫が死ぬかも知れないとか思ったことはなかったようです。
「悪夢を見て、どこかにいなくなったくらいで凍死するなら、それはそれまでのものじゃろう」
と、言って笑っていました。
もちろん、普通の悪夢も数知れず見ています。追い掛けられるとか殺されるとかばかりではなく、自分の葬式の夢とか、身近な人が死ぬ夢も、時々、悪夢として見ています。それから電車に乗り遅れるとか、試験で苦しむと言ったものも、最近は見ませんが、以前はよく見たものです。しかし、年を取ると共に悪夢の内容が変化してゆくようです。怖いと思うものが変化してゆくからなのかも知れません。
最近、見る悪夢は、
「どこか知らない場所にいて夢であることが理解出来ない」
とか、
「無駄な人の無駄な行為に、それが無駄だと思いながらつきあわされる」
と言った種類の悪夢が多いです。
夢の世界で私が住む家が災害になる種類の悪夢も多く、最近も何度かそんな夢を見ました。しかし、この夢には怖ろしさと言うものがありません。ただ、災害になって、それを眺めているだけの夢で、
——これを片付けるのはとても厄介だな。
と思っていました。
しかし、これこそが悪夢なのです。そんな夢を見た時は、必ず避難して来る人が何人かいて、助けることが無駄であるような気になるのです。私の悪夢の大半は無駄をすることです。普段の生活でも無駄なことを嫌います。効率の良い方法を常に考えて行動してしまうため、無駄なことばかりする人には付き合えません。
また、人を殺す種類の悪夢も見ることがあります。私にとって人を殺す行為が悪夢なのではなく、人を殺すと言う行為を心地良く感じることが悪夢なのです。これは人間性を失ってしまう種類の悪夢です。近世百物語・第三十八夜にも、人を食べそうになる悪夢のことを書きましたが、この類の悪夢は、
——人間性の根幹を揺さぶるような悪夢だ。
と思いました。
一番、怖ろしい種類の悪夢は自分のトラウマを刺激するような種類の夢です。
私の場合、トラウマを刺激する種類の夢はとても明確です。夢で住んでいる家の一番奥の部屋に入り、荷物を開いて中身を見ようとするのです。どの荷物にも思い出の名前が書いてあります。しかし、名前が分かるだけで、それがどんな内容なのかは分かりません。分からないと言うより、意図的に忘れようとしている思い出なのです。そして荷物が少し開くと、中の物が少しだけ見えてきます。私はその怖ろしさに堪えかねて、いつもそのまま目を覚ますのです。
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