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近世百物語・第五十三夜「デ・ジャブ」

 良く〈デ・ジャブ〉と言う言葉を耳にします。デ・ジャブはフランス語です。これは一度も経験したことのない出来事を夢で見たりする現象のことです。
 子供の頃は、未来に行く場所とか、出来事とか、会う人の夢を先に見ていました。かなり頻繁に見て記憶していたので、自分の未来をある程度は知っていました。大人になってからはそう言った夢を見ることは少なくなりました。それでも時々は見るものです。
 デ・ジャブは夢でしか見ませんが、子供の頃は、白昼夢のようなものを見る時もありました。いつだったか小学生くらいの時、目の前で、私が車に轢かれるのを見てハッとしました白昼夢を見ました。それと同じ景色に差し掛かった時、自分が死ぬ未来を思い出しました。
 慌ててすぐに立ち止まると、目の前を、突然、信号無視の車が通ったのです。もし、白昼夢を見ていなければ、その場で死んでいたかもしれません。その時、持っていたお守りがパキンと音を立てて割れました。
 後で、そのことを祖母に話すと、
「お守りは、人の身代わりになって割れることがあるんじゃ」
 と言われました。
 お守りは基本的にはただの小さな板です。危険の身代わりとなり割れると言う不思議な体験をさせてくれました。危険なことがあると、身代わりにお守りが割れる体験を何度かしました。私は、何度がデ・ジャブのようなものを見てそれが現実となり、危険を回避することが出来ました。だから今でも生きていられますが、これはとてもありがたいことです。

 ある時は、事故に巻き込まれる夢を見ました。それは駅のホームでの事故で、大きなものではありませんが、私が怪我をする夢です。その何日か後、同じ光景のホームに私は立っていました。そこは、初めて行った場所でしたので、見覚えはない筈でしたが、奇妙な胸騒ぎがしたのです。それで、ふと、夢を思い出しました。私は、慌てて避難して、出来る限りホームから離れた場所にゆきました。すると、ホームの端にいた酔っぱらいがバランスを崩して線路に落ちたのです。その時、近くにいた人にすがろうとしていました。そして、その人も落ちたのです。電車は来ていませんでした。最初に落ちた酔っぱらいはかすり傷で、一緒に落ちた人は腰を打って運ばれました。その時、私がいた場所に代わりに行った人が、酔っぱらいに巻き込まれて落ちたのです。その時、その場所で事故が起きる運命は予め決まっていたようです。ただ、誰が怪我をするかは決まっていません。自分が危険を回避することは出来ますが、事故そのものを防止することは出来ないのです。それをすると、宇宙の法則そのものを変更することになります。
 もし、誰かが勝手に宇宙の法則を変更してしまうと、その影響で何千人もの死傷者が出る可能性もあります。宇宙の法則とはそう言うものです。逆らわず、ただ安全に回避するのみです。
 これが映画などですと、事故を防ごうとして、主人公がたいへんな出来事に遭遇します。しかし、残念なことに、現実では事故そのものが起きることは変えられません。
 それは、
——過去が変更出来ないように、未来も変更することは出来ない。
 と考えるものですが、実際は、過去も、未来の出来事も何かによって変更されることがあります。
 過去に亡くなった筈の人が生きていて、代わりに別な人が死んでいることに変更されたりする種類の出来事も発生します。その時は、ほとんどすべての人の記憶が書き換わっているので気づくことはありません。
 人の記憶は曖昧あいまいなものです。数回、眠りにつくだけで、記憶の内容は書き変わっているのです。
 正確には、それらを明確に覚えている人と、それを記憶した物体の内容が少し変更されるだけです。多くの人は曖昧にしか覚えていませんので、たとえ過去が何度も変更されたとしてもまったく気づかないのです。
 勘違いしやすいとか、いいかげんなことを言うとか思われている人を見ると、
「本当は、自信がないだけで、真実を言っているのに……」
 と思って可哀想になることもあります。
 過去が変更されたことを理解していないだけです。記憶している物事は正しいのです。しかし、これについては、宇宙の秘密に触れる可能性があるので、その人に告げることはありません。
 ある意味、人生は、過去から未来に流れているものではなく、今日を、そして今だけを、生きているとも言えます。
 ただ、
「時間は過去から未来に流れている」
 と、誤解しているだけなのかも知れません。
 今日、死んで、明日の朝には生まれ変わり、別な自分として生きていたとしても、それを理解出来る人は稀です。感じることもありません。デ・ジャプは、そんな複雑な時間の流れの中で発生する、ある種の自然現象です。ただ、未だ解明されていない種類の不思議な自然現象のひとつなのです。

 神社に行く種類のデ・ジャブを、時々、見ました。もちろん、知らない神社です。ある時、旅行の途中に参詣した神社が、まさしく夢に出て来た神社でした。何度か見ていたので、まわりの景色や建物の造りにも見覚えがありました。これだけなら、ただの神社の夢を見たと言うだけです。その時、一羽のにわとりが現れました。この鶏も、デ・ジャブに出て来ました。そして、鶏は、私の近くに歩いて来て、虫をついばみはじめたのです。その時の動きや、歩くコースも、すでに夢で見ていました。

 最近、夢の中で、友人の娘が大人になっているのを見ました。その子はまだ赤子ですが、夢の中では大学生になっていました。そして、複雑な時間と空間の概念について説明してくれました。とても科学的で理路整然として、疑う余地もないくらいのすばらしい理論でした。しかも、未来に発見される理論のようで、まだ、その概念がないので私には理解することが出来ませんでした。
 その夢の中で私は、その子に、
「未来に発見される概念がなければ理解不可能な理論を、過去の人間が理解することは出来ないのだよ」
 と説明しました。
 しかし、何度も繰り返し見ているので、少しづつ理解しはじめています。

 同じデ・ジャブのような夢でも、予言はハズれることが多いです。その理由は、未来の出来事を知ってしまうからです。未来を知ると、知らなかった未来とは別な世界を迎えます。だから当たらないのです。もちろん、未来の出来事に影響しないような小さな物事は当たります。基本的な未来は決まっています。しかし細部は変更出来るのです。これは、たとえば、春の次に夏が来るようなものです。七月の次は八月で、これも変えられません。しかし、その中で、自分がどう動き生きるのかは変えられるのです。それが分かれば〈運命〉を良い方向に転ずることが出来るようになります。

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