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近世百物語・第七十五夜「真冬の怪」
北の大地は冬になると厳しい吹雪になります。色々な化け物もいますが、〈雪女〉と呼ばれる幽霊は東北のものです。蝦夷にはいないと思います。しかし雪の中では、時々、不可思議な現象にみまわれます。
真冬に吹雪になると、もう、自分の手を伸ばしたところも見えなくなります。目は、当然、開けられません。耳も風のヒューヒュー言う音し聞こえないと思います。
中学生くらいの時、吹雪で避難していると、突然、音が聞こえなくなりました。顔には吹雪の雪や風がドンドン当たってくるので、
——耳が、おかしくなったのかな?
と思いました。
耳は冷えていて、もう、千切れそうに痛くなっています。その中で音が聞こえなくなったとしても不思議でも何でもありません。しかし、その時、遠くから女の声が聞こえたのです。無音に近い世界の中で女の声だけが響いています。
声は少し距離があったので、キチンと聞こえていませんでした。
——いったい、何を言っているのだろう?
と思いながら、耳に注意を傾けると日本語ではないようでした。たぶん、アイヌ語だと思うのですが、もう、その頃はキチンとしたアイヌ語を話す人も少なくなっていました。シャーマンの祈りの時か、老人しかアイヌ語を話さない時代でした。そんな時代に吹雪の奥底から若い女のアイヌ語が聞こえたのです。良く聞いていると、やはり祈りの言葉のような気がしました。
——若い女のシャーマンがいる。
その瞬間に思いました。
アイヌ人のシャーマンはすでに滅びかけていたので、
——若いシャーマンがいること自体、もうないだろう。
と思っていました。
それが現実の人間であるにしろ、幽霊であるにしろ、私に取って危険な存在であることに変わりはありません。
と言うのは、その女が、
——子供の頃に出会ったアイヌ人のシャーマンの弟子だ。
と思ったからです。
それは、未知の術と霊的な現象が、目の前に立ちはだかっていることを意味していました。
その時に祖母が、
「アイヌ人のシャーマンの弟子に出会ったら、戦いを挑まれるで、せいぜい、気をつけるこった」
と言って、笑っていたのを思い出しました。しかし、その時が来て、吹雪の中でもう死にかけている私には、
——笑いことじゃない。
と怒るしか手がなさそうです。吹雪で開かない目を出来る限り見開きながら、
——まって、ここで戦ってる場合じゃない。吹雪で遭難しているんだ。
と言いましたが、それが伝わるような相手ではなさそうです。
突然、耳元でハッキリと女の声が聞こえました。言葉の意味は分かりません。だってまだアイヌ語を、ましてやシャーマンの使う古語のアイヌ語など、理解出来るほどの知識もなかったのですから……。しかたなく、祝詞を使いながら、ひたすら防御しました。しかし、手を出すたびに防寒ジャケットの袖ごと切り傷が増えてゆきます。
血が腕に滲むと、これがとてつもなく痛いのです。冷たい吹雪の中での傷は痛みます。やがて、あちこちに傷を受けながら意識が遠くなりかけた時、とてつもなく大きな音が聞こえ、風の音が復活しました。
——今だ……。
と思い、手ぶくろを脱ぎ捨てて、柏手を打ち、古語の祓詞を早口であげました。最後に、おーっと叫んだ時、外からの強い力で私の体がグルグルと回転し出したのです。
ふと、気がつくと、吹雪はおさまっていました。私は雪崩に巻き込まれたようで、雪の中に、半分、埋まっていました。しかし大きな怪我はなく、たくさんの痛すぎる手足の傷だけが残されていました。
私が戦っていたアイヌ人のシャーマンの娘は見えるところにいませんでした。ただ、私の近くから血のついた足跡が山の方向に伸びていただけです。
足跡を見て、
——また、いつか出会える時が来るのだろうか?
と思いました。
そして、
——互いに滅びゆく身が、やはり戦って、互いに鍛える運命を持っているとしたら、この世界はつらすぎる。
とも思いました。
しかし、私はそれ以降、一度も、その娘に出会ってはいません。ただモシリ(アイヌ人の村)に迷い込んだ時、かすかに姿を見かけたような気がしました。このモシリのお話は少し長くなりますので別な機会にでも……。
また、冬のある時、吹雪が止んだ朝に、吹きだまりの雪の小山の上に半透明の白い人が空を見つめて立っているのを見ました。これは何度か目にしています。それは吹雪で凍死した人の亡霊が死体の上に立っているだけでした。朝方の、にわかに明るくなった時にしか目にすることはありません。そしてダイアモンド・ダストと呼ばれる自然現象の中でキラキラと輝いていたのです。
ダイアモンド・ダストは寒くて空気中の水分が凍った時、それに朝日が当たってキラキラと光る自然現象です。私の中ではキラキラしたものと、空を見つめる亡霊が、ワンセットで記憶されています。
はじめて見た時、キラキラした光の中に見えたので、まるで天使のように見えました。
それで、祖母に、
「吹雪のあけた朝、天使のようなキラキラした亡霊を見た」
と言いました。
すると、
「あれは、凍えて死んだ連中の亡霊じゃ。その下に本体である骸がある。その骸は青紫で、それはそれは冷たくて、しかも怖しいぞ」
と夢のないことを言われました。
祖母はそう言う皮肉な言い方が好きでした。特に凍死した人には、うんざりしてたようで、
「何も、あんなところで、わざわざ好き好んで凍えて死なんでも……」
と良く言っていました。
そして、いつも口癖のように、
「迷惑なこっで……」
と言っていました。と言うのは、生まれてから今までに嫌と言うほど凍死した人を見たそうです。
祖母の子供の頃は、かなり凍死する人が多かったようです。
「ひと冬に何十人か分からないほど凍死者を見る」
と言っていました。
そして、
「しまいには、いくら見ても何にも感じなくなる」
とも言っていました。
ある時、凍死体を見ている人たちを見ながら、
「人の死を見て、それが怖しいとか、可哀想だとか言う連中は、明日はわが身と言う言葉の意味を知らんのじゃ。良く、かみしめれば良いものを……」
と言って、怒っているのを一度だけ見たことがあります。それも冬の思い出と共に私の記憶に深く残っているものです。
* * *