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近世百物語・第八十一夜「触れ合う記憶たち」

 私は人に触るのが好きではありません。と言うのは、触った人の記憶を読み込んでしまうことがあるからです。不用意に触ってしまった人に、私の記憶の一部が伝わることもあります。
 混雑したフェリーの中で子供がぶつかってきた時のことです。避けそこねて手の一部が触れてしまいました。すると、その子が立ち止まり、突然、泣き出したのです。
 母親に、
「お化けを見たの……」
 と訴えています。
 お化けではなく私の記憶の一部なのですが、その多くは化け物に出会ったようなものばかりです。
 近世百物語を書いていることもあり、古い記憶を順番に思い出しては書けるものと、書けないものとを選別しています。特定の個人が出て来たり、今も続いている種類の出来事は書くことが出来ません。
 それらの記憶を見ず知らずの子供が受け取ってしまうこともあります。もちろん、私自身が他人の記憶を受け取ってしまう方が多いです。それは物体の持っている固有の記憶だとか、個人の背景にある、本人も知らない種類の霊的な記憶とかも含まれています。
 外国では殺人事件の証拠品を触って、その情報を読み取る超能力者がいます。私にも出来るとは思いますが、殺された人の記憶を好んで再現する気にはなれません。

 ある時は、霊的な怖い体験をした友人の手が触れて、そのまま記憶が再現されたことがありました。
 その時は亡霊を見た友人が、
「白い手に腕をこのように掴まれた」
 と言って私の手首を掴んだのです。
 その瞬間、私の記憶の中では恐怖体験が再現されました。そして、手首を掴んだ白い手の感触も記憶の中に入りました。
 その夜、自宅で眠っていると壁から白い手が出て来て私の手首を掴みました。それは、恐怖体験した友人の記憶から、霊現象がコピーされ再現される現象です。
 霊現象の多くは人の記憶の中を、言葉や体感覚の記憶を分け与えることによって増えてゆきます。この時、白い手に掴まれた体験は、本来は他人の記憶の中にある体験に過ぎないので、私が今になってどうこう出来るものではありせん。最初に体験した人の感情が、そのまま恐怖としてやってくるのです。これが自分の新しい体験だとしたら、ただ祓って終わりにします。そこには何の恐怖も怖れもなく、ただ事務的に祓うだけです。
 他人の記憶は厄介です。と言うのは、その時のリアルな恐怖の感情が頭の中で再現されるからです。とても怖ろしい記憶として、私の頭の中で再現されました。しかし、どのような場合でも、それなりの対応方法はあるものです。その方法は、もっと怖ろしい種類の記憶を呼び出して、その中にいるものに見せるのです。どのような亡霊でも、さらに怖ろしいものを見せられると必ず驚きます。相手が驚くと言うことは、こちらに祓うチャンスがあると言う意味です。そのチャンスを最大に活用して祓ってしまいました。
 後日、友人に会った時、恐怖体験のことを聞くと、もう忘れているようでした。一度でも祓ってしまったものは、それがたとえ記憶の中であっても、記憶そのものが崩壊する傾向を持っています。人の記憶の中を移動する種類の霊現象は、特にそう言った傾向があるような気がしました。

 またある時は、霊的な現象そのものに触れられて、亡霊の死んだ時の記憶を見たことがあります。私にそれを見せたかったのか、それともそう言ったものなのか分かりません。ただ見たくない種類の記憶が再現されてゆくだけです。
 その記憶は、首を切られて死ぬ男のものでした。最初、記憶は、若い女の首を絞めて殺すところからはじまりました。視線から判断すると、どうやら私に触れた亡霊が過去に犯した犯罪を見ているようでした。手の中に女の死の瞬間を感じていました。
 服装とかまわりの雰囲気から判断すると、江戸時代の末期か明治に入った頃のようでした。
 犯人は逃亡しながら、やがて逮捕されます。土壇場どたんばで首を切られて死刑になるのですが、その刃物が首に当たる瞬間の痛みとか、男の後悔の念とか、死んでゆく過程で意識が遠くなる記憶が再現されてゆきました。
 その時、
——これは嫌なものだな。
 と思いました。
 それは私の記憶の中にハッキリと残っています。祓いようもなかったので、そのまま記憶の片隅に残しています。私の脳の中では、他のトラウマの記憶と一緒に保管されているようです。と言うのは、トラウマの記憶に触れようとすると、必ず思い出すからです。

 古戦場の近くで何度か鎧兜よろいかぶとのサムライの亡霊を見て、その記憶をもらいそうになったこともありました。相手はあきらかに亡霊ですので、近づく前に祓ってしまいました。
 ただひとり、頭の半分ないサムライが、
「頼みたきことあり」
 と言った時は少し躊躇ちゅうちょしました。しかしそれは一瞬のことでしたので、次の瞬間にはすでに祓った後でした。

 またある時は、バランスを崩しそうになった時、道端で手が掴んだ物が持っていた記憶が、頭の中で再現されて困ったこともありました。物体はただの石のようでした。石の記憶は厄介です。後になってわざわいを起こす場合が多いのです。多くの石は磁気テープのように人の感情や思念を記憶しています。それを再現出来る能力を持った人が触ると、つい再現してしまうのです。能力のない人でも、場合によっては偶然に一部を再現することがあります。そして恐怖体験をするのです。
 よく観光地などへ行って記念に石を拾って来て、後で不幸になる人がいます。新婚旅行帰りなどでも聞くお話です。
——知らないこととは言いながら、どうして、わざわざ不幸になることをするのだろう?
 と、時々、疑問になることがあります。
 さて、その時は石にたくさんの人の苦しみの記憶が残っていました。どうやらその石の記憶は、戦争中に空襲で焼け死んだ人たちのもののようでした。戦時中の大阪大空襲の記憶です。焼けて死ぬ時の苦しみや、悔しさや、遣り残したことに対する想いが、複雑にからみあって残っていました。
——これは苦しいだろうな。
 と思いましたが、どうすることも出来ません。こんな時は供養する祭文などをあげて祓うのが有効的です。
 どの場合も、それらの記憶は私自身の現実と区別がつかないくらいリアルです。そしてそれに付随する霊現象も後で発生するのです。
 テレビや映画を見ているよりも、ずっとリアルです。だって、すべてが立体で、体験したことそのものの記憶が、私の中で再現されているのですから……。
 この記憶を再現することについては近世百物語の第三十三夜「人から聞いた話」の最後の部分にも書いていますので、そちらもご参考に……。

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